2022-12-12

JASPM34

追記:初日シンポジウムは「Zoomウェビナー参加無料・要登録」となっております! みなさまどうぞご参加ください。

日本ポピュラー音楽学会全国大会いよいよ今週末開催。初日、阿部万里江(Marié Abe)さん、大友良英さん、岸野雄一さん、山本佳奈子さんが揃い踏みするシンポジウム(ハイブリッド)。二日目、ワークショップと研究発表(オンライン)。知的興奮で充実の二日間。みなさま、よろしくお願いします。

第34回JASPM年次大会の開催と発表募集について | JASPM 日本ポピュラー音楽学会

大会ウェブサイト:JASPM34 – 第34回JASPM年次大会

2022-12-09

Kindle Unlimitedで内館牧子『終わった人』

なんつうか、シナリオを読んでいるみたいだったけど、定年後のことに思いを馳せていたので、読んでしまった。小説としての読み応えは、少し物足りなかったが。映画とかテレビドラマとかになりそう。

2022-12-07

メモ:研究室のiMac mid2011, 21.5inchに増設した500GBのSSDにアクセスできなくなった

 いよいよ寿命か…?

Ubuntu入れて「これでいつまでも使えるぜ」とか思っていたが。

→221208:Ubuntuの「ファイル」の「他の場所」を見ると、あった。でもこれをUbuntuの「ファイル」の左側のサイドバーに表示できない。どうやるのだ…。

フォルダを開いて「CTRL+D」とのこと。|フォルダーブックマークを編集する - Ubuntu 18.04 LTS デスクトップガイド改

2022-12-04

メモ:「すべて未知の世界へ ― GUTAI 分化と統合」@国⽴国際美術館と⼤阪中之島美術館

2022年10⽉22⽇(⼟)– 2023年1⽉9⽇(⽉・祝)

すべて未知の世界へ ― GUTAI 分化と統合 - イベント|国立国際美術館 

個々の作品で衝撃的に良いというものは、実はなかったけど、でも、総体として、全体的に、かなり良かった。キャンバスから絵の具が盛り上がっているものが多く、みんな、「既存の絵画から抜け出してやるぜ」という気概に溢れているのが、良かった。


「昔は皆元気だった」みたいな感想で申し訳ないが…。記憶に残った作品は…


ヨシダミノル《JUST CURVE '67 Cosmoplastic》

:これや、他の作品では水槽の中にモーターが回っていたが、どういう仕組で音が鳴らされていたのかはよく分からなかった。


吉原通雄《作品》(1965/2022)

:展示会場の壁の上の方から紙テープを何百個も垂らすインスタレーション。こういう作品は「売れない」し、その一回の展示でしか見れないなあ、など。

名坂有子《作品》(1964)

:年輪のようにも見える溝のある円形、をたくさん書いている。意図は知らないが、レコードを描いているようにも見えたので、記憶に残った。

田中敦子《地獄門》(1965-69)

:蛍光灯ドレス(《電気服》(1956/86))の前に置かれていたのだが、でかくて良かった。


松谷武判《WORK 65-E》(1965)

:初めて知った。キャンバスにビニル接着剤を分厚く塗って、少し乾いたらキャンバスの裏から空気を入れて膨らませたり亀裂を入れる、というやり方で制作した絵画。ビニル接着剤が見せる姿態をじっくり観察できる状況は、ビニルを使用する現場以外では、こういう「美術」とか「絵画」とか「展覧会」という文脈しかないだろうなあ、と思うなど。

嶋本昭三《作品》(1954)

:穴の空いたキャンバス。図録では分からない。が、実物を見るとその深遠さが分かる、という代物でもない。


今中クミ子《Swirl. Red and Yellow》(1966)

:図録では二次元イメージに見えるが、これは、こういう金属板をうまくはめ込んだもの。


村上三郎《作品》(1956/81)

Robert Morris, Box with the Sound of Its Own Making, 1961より先に作られたもののようだが、これよりもっと大きい1辺80cmの立方体の木製の箱で、なかには時計が仕込まれていてチクタク音がするし、ときおり「ぼーん、ぼーん」と鳴るらしい。が、音が小さすぎて、最初は僕は気付かず、展示室を出てカタログを眺めていてこの作品に気づいたので戻ったが、隣の部屋の人の声や足音があると聞こえないくらいの音量だったし、「ぼーん、ぼーん」も僕がいる間は鳴らなかった。


村上三郎《空気》(1956/94)

:なかに何も入っていないガラスの立方体

白髪富士子《白い坂》(1955/85)

:ジグザグに二つに割れた板。


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国立国際と大阪中之島美術館との使い分けの理由がよく把握できなかった。中之島美術館には常設展がないらしく、残念。島成園を見れるかと期待していたのだが。

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参考

「具体」といま、新たに出会う。「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」(大阪中之島美術館+国立国際美術館)レポート|Tokyo Art Beat

解散から半世紀で見つめ直す「具体」。大規模展、大阪の2美術館で共同開催|美術手帖 

2022-12-03

メモ:「Back to 1972 50年前の現代美術へ」@西宮市大谷記念美術館

1972年に絞った展示だった。限定的なパースペクティヴを垣間見るのは楽しい。三木富雄と具体ともの派は同時期かあ、とか、そういうのを面白がった。ただし、ここには、浅間山荘事件のイメージなどはなかった。そういうのは、知識がないと分からないな。https://ja.wikipedia.org/wiki/1972年の日本


今井祝雄、倉貫徹、村岡三郎《この偶然の共同行為を一つの事件として》(1972年)のDMが展示されていた。個人蔵。これはDMでお知らせされていたのか、ということを感慨深く思った。どの程度知られていたのだろう。また、「サウンド・インスタレーション」のような意識は、どの程度あったのだろう。チューダーのRainforestのような意識は皆無だっただろう、と推察するが。今井祝雄さんの作品には、この後、plus1artでも出会う。
参考:I am alive.: メモ:村岡三郎は、1970年代前半に、日本で最初期に屋外展示のためのサウンド・インスタレーションを自覚的に作った。 https://after34.blogspot.com/2018/03/blog-post_25.html
参考:今井祝雄、倉貫徹、村岡三郎《この偶然の共同行為を一つの事件として》 https://soundcloud.com/japaneseartsoundarchive/coaction-a


具体美術協会の作品が多かった。吉原治良など。松田豊《SRU-SRU-L》という作品が目立っていた。ひし形のキャンバスの真ん中に空いた穴から、紐が垂れ下がり、それがモーターで上下にゆっくり動く、という作品だった。和歌山県立近代美術館蔵とのこと。

具体の作家は、まだ現役の人も多そうだ。


リー・ウー・ファンの作品もあった。三木富雄の《EAR》もあった。1972年11月に南画廊で個展をやったとのこと。1938年生まれの三木富雄が逝去するのは1978年。三木富雄は具体協会やもの派と同時代だったんだなあ、など。


参考:【美術館・展覧会レポ】西宮市大谷記念美術館 開館50周年記念 特別展『Back to 1972 50年前の現代美術へ』 https://nishimag.com/trip/event/60577/

2022-12-01

AlfredのようなランチャーとしてAlbertというものを入れた

 Alfredの代わりとして使えるLinux向けのランチャーAlbertのインストール手順と使い方 | virtualiment https://virment.com/how-to-setup-albert-ubuntu/

Ubuntuで辞書を引く:Goldendictを使う

Ubuntuの辞書アプリの存在に気づいた。これで、Ubuntuでも翻訳仕事を進められる。やり方はここを参照。とにかくGoldendictというアプリを使う。

上野家のホームページ - 資料室 : PC/電子辞書ビューワー/GoldenDictGoldenDict 

2010年前後まで使っていたWindows用の辞書はほとんど使えず、昔の英辞郎だけ使えた。

他の辞書データはネットに転がっていたのをダウンロードしたのだが、そのページを紹介していたページを見つけられない。以下のサイトからもダウンロードできるみたいだが、僕はここからじゃなかった。どこだったのだろう…。

lo jbovlaste pe la stardikt 

再インストール時には探し直すこと。

gnome-tweaksを入れたら背景画像を設定できた

Ubuntuの見た目を簡単に少しだけおしゃれにする方法 | virtualiment 

Ubuntu20.04LTSにGNOMETweaksToolをインストールします- LinuxCapable

島成園《祭りのよそおい》(大正2(1913)年):大阪中之島美術館で見て好きになった絵画。なぜか、そのままでは「中央に配置」ができなくて悩んでいたのだが、gnome-tweaksで「中央に配置」できた(が、今度は、上下の空いている部分の背景色を変えられなくて悩んでいる)。


→webpをpngに変換:Ubuntuで拡張子.webpの画像をPNGやJPGに一括変換する方法 https://minoru.okinawa/archives/2972

2022-11-27

メモ:JOHN CAGE / DAVID TUDOR@京都芸術センター

https://www.kac.or.jp/events/32823/

昨日のDavid Tudor《Rainforest IV》(1973)について少し。

会場1500で開演1530とのことだったが、1500の開場からもう音は発されていたし、時間で明確に区切られた演奏ではなかったので、入場した人たちがウロウロするのを辞めるまで、たぶん1610頃までずっと続いていた。会場全体の音響を聴きながら演奏者たちが音を調整するサウンド・インスタレーションが、一時間程度提示されていた、という感じ。60分の音楽作品の演奏というより、リアルタイムに音響の調整される時間限定のサウンド・インスタレーション、という感じ。

会場全体に8-10個くらいのオブジェが吊り下げられていて、4人のパフォーマーがそれに取り付けた発振器を操作し、そのオブジェを共振させる。さらに、それぞれのオブジェに取り付けたピエゾ・マイク(?)の信号をひとつのミキサーに集約し、それをニシジマ・アツシさんが操作して、会場に設置されたいくつかのスピーカーから発信していた。
チューダーがこれを「サウンド・インスタレーションとして」提示しなかったのは、「サウンド・インスタレーション」なるものがまだなかったからかもしれない。あくまでも、音楽作品として、便宜的なものでしかないとしても始まりと終わりのあるものとして、提示するということしか思いつかなかったのかな? また、チューダーは(?)、なぜオブジェを浮かべたかったのだろう?
欲を言えば、もう少し高いところにオブジェが吊るされているのを聞いてみたかった。「John Cage Countdown Event 2007-2012」のどれかで、瓜生山の造形大の春秋座でやったとき、たぶん、もっと天井高いところでVariationsのどれかをやったと思うのだけど、それはもっと天井が高かったと思う。(→2008年だったみたい。Variations III とIVが演奏されている。Inletsの演奏、覚えてるなあ。)(→と思ったら、記録が残っていた:32to34: John Cage 100th Anniversary Countdown Event 07-12 https://32to34.blogspot.com/2008/11/blog-post_29.html
50年後にこの作品を再制作する意味はなんだろう。
ごちゃごちゃしたオブジェが吊るされているなかを歩き回るのは楽しい。その中で聞こえ方が変わるのを経験するのは、楽しい。


やはりというかなんというか、色々と知人に遭遇。近くの自販機のところでこーすけくんに会った。mama!milkはふたりともいた。ニシジマ・アツシさんはコースケくんの飲み友だちらしい。世界とか京都は狭いのかもしれない。

2022-11-26

12月3日(土)に大阪の+1artギャラリーでトークイベントを行います。

 「クリスチャン・マークレーとオノマトペ」というタイトルで、マークレー以外の色々についてもお話しようと思います。+1artは小さなギャラリーですが、いつも僕のアンテナにひっかかるような作品を展示している印象。要メール予約とのことです。みなさま、どうぞおいでませ。

+1art e70 Charity&Auction http://plus1art.jp/Ja_+1/+1Current.html


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トークイベント

「クリスチャン・マークレーとオノマトペ」

|日 時| 12 月03 日(土) PM 5~
|出 演| 中川克志(横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院准教授)
|会 場| +1art
|参加費| 500円(1ドリンク付)
|要メール予約| +1art (gal@plus1art.jp )



中川 克志 NAKAGAWA Katsushi

専門は音響文化論。19世紀後半以降の芸術における音の歴史、理論、哲学(音のある芸術、サウンド・アート研究、音響メディア論、ポピュラー音楽研究、サウンド・スタディーズなど)。論文に「クリスチ ャン・マークレイ試論─見ることによって聴く」、東京都現代 美術館で昨年から今年にかけて開催された「クリスチャン・ マークレー /トランスレーティング 」展の図録に「クリスチャ ン ・マークレー再論ー世界との交歓」を寄稿。ポップスバンド ・OK ミュージックボールのドラマーでもある。 

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2022-11-25

sakana『Le Rayon -光線-』(1994)などについて

sakanaのバイオグラフィ番外編が公開されている。

To my friend who doesn't come yet.: sakana biography 番外編 1997~2009 https://kazuhiro-nishiwaki.blogspot.com/2022/11/19972009.html

1997年以降に関わったある人(=高橋健太郎)とのことが記述されている。何というか、僕の好きな音楽家に何してくれてんねん、という苛立ちとか怒り(?)とかやりきれなさとかを感じる。確かに僕にとっては他人事なのだが、もしかしたらsakanaはもっと良いoutputができていたかもしれないし、過去のアルバムももっと手に入れやすくなっていたのではないか、とか思ってしまった。
(あと、「やはりこの人とやり取りしても不毛なんだな」という感想も抱いた。)


僕がsakanaを知ったのは、たぶん21歳(1996年)の秋頃。『Le Rayon -光線-』(1994?)を知った。歌とギターだけの編成で色々なリズムやニュアンスが表現されているのが、もう本当にカッコよくて、今までずっと聴き続けてきた。ギターの微妙なニュアンスのすべてが、もうコレしかないように聞こえていた。
その頃は周りで流行っていたような記憶がある。「周り」って、たぶんかなり狭い「周り」かもしれないけど。京都にライブに来るたびに見に行っていた記憶もある(ほんとかな?)。磔磔くらいのライブハウスならいつもいっぱいで立ち見だったし、きっとこの二人組は日本の音楽業界のどこかを上っていって伝説になるんじゃなかろうか、とか思ってた気もする。
とにかく好きだったのだけど、2011年に横浜に来て、下北沢のleteに行けば見れるらしいことを知って「そのうち行こう」とか思っていて、全然行かなかったことを反省している。
sakana、昨年末をもって活動終了「理由は34年分ありますから言葉にはなりません」(動画あり) - 音楽ナタリー https://natalie.mu/music/news/314914


sakana『Le Rayon -光線-』が何年発売のアルバムなのか、すぐには分からなかった。アマゾンによれば1995年4月21日とのこと。disc unionによれば1994年1月1日とのこと。ウィキペディアによれば1994年とのこと。


→追記
To my friend who doesn't come yet.: sakana biography 番外編 1997~2009 http://kazuhiro-nishiwaki.blogspot.com/2022/11/19972009.html
いいように丸め込まれて終わるのかな、とも思っていたけど、ちゃんと言いたいことを言っていて立派だな、と思った。「はいはいごめんなさいすみません」で終わらせてしまうのもアリな気もするし。10年以上続いて終わった(?)人間関係をそのさらに10年後に回顧するというのは、きっと、そうする必要があったからだと思うけど、なんと体力の必要な話なんだろう。関係者各位全方位的に、みんな、幸あれ。
ともあれ、原盤を制作して売ることにはこんなごちゃごちゃがありえる、というのをしっかり示してくれた音楽家に望むことではないかもしれないけど、sakana『Le Rayon -光線-』を再発してください。捨てるわけないから僕の部屋のどこかにあるはずだけど、見つけられる気がしない。

2022-11-21

Macのキーボードショートカットの変更:「ペーストしてスタイルを合わせる」

僕の環境のクリップボード履歴アプリClipyでは、コピペした文書の書式設定を外してプレーンテキストとして貼り付けるショートカットは「command + shift + v」に設定してある。
しかし、pages, keynote, numbersの初期設定では、「ペーストしてスタイルを合わせる」ためのショートカットは「command + shift + option + v」に設定されている。
その際は、設定>キーボード から、キーボード・ショートカットを設定すること。それだけでよい。

2022-11-17

ネトフリで『花束みたいな恋をした』

 映画『花束みたいな恋をした』公式サイト https://hana-koi.jp/

花束みたいな恋をした - Wikipedia 

音響文化論演習で二人の「おたく(?)」の話を聞いて、その後いけだの素晴らしい話を聞いて、触発されて、見た。

最後のエンドロールの音楽のドラムイントロが抜群にカッコよかった。

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  1. 『花束みたいな恋をした』の感想:小説とか映画とかのウンチクとか共感を軸に会話を進めるふたり、という設定のくせに、モノローグで物語を進行するタイプのダサい映画だった。これでは、見ていてまったくドキドキしない。押井守の映画はもっと映画的に物語を進行させるぞ。少なくとも、ここまでモノローグには頼らないと思う。なんやねん、このふたり。つらい。(40分くらいのところまで見た。二人は道端でキスをして、あれこれして、部屋にこもり続けた。)
  2. 『花束みたいな恋をした』の感想:小説とか映画とかのウンチクとか共感を軸に会話を進めるふたり、という設定のくせに、モノローグで物語を進行するタイプのダサい映画だった。これでは、見ていてまったくドキドキしない。押井守の映画はもっと映画的に物語を進行させるぞ。少なくとも、ここまでモノローグには頼らないと思う。なんやねん、このふたり。つらい。(40分くらいのところまで見た。二人は道端でキスをして、あれこれして、部屋にこもり続けた。)


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