たぶん10年以上ぶりに、小さなコヤで、ダンスというか、ちゅーと半端なアングラ前衛演劇もどきを見た。コヤじゃねえな、ここは。
なんかよくわからんけど、真剣に演じてる様子を見ながら僕は吹き出しそうになっていたので、いわゆる人生オタクな内容だったんだと思う。お前が友達作りゃあそれで良いんじゃねえか、という感じ。せめてダンスなら良かったのに。
真剣に演じてる演者や、真剣に見てる他の観客を見ながら、日本って平和なんだなあ、って思った。自分の身の回り、もしくは自分のことしか考えずに、セカイとかジンルイとか語ってしまうのだから。
真剣に演じる演者ってすげーなー、って思った。
→
正直、10分ほど見て、後は寝てしまったのだけど、けっこう鼾かいてたらしい。
我慢して起きてるつもりはないけど、周りに迷惑かけたくはないので、鼾かいてたら起こして欲しかったな、と思ったけど、帰宅してから、まあ別にしょうがないし、いっか、と思った。
→
これとは別で「小劇場で演劇を見たい」と思った。
2009-10-12
岡田一郎の裏の作品@京都芸術センタ-
別バージョンがあった。
詳細は後で。
→
岡田一郎 - あのひと検索 SPYSEE [スパイシー]:同学年だった。
→
ある風景の中に:この展覧会の入り口に飾られているものは、「日本の風景の看板の文字をドイツ語などに替えたもの」だけど、「外国の風景の看板の文字を日本語に替えたもの」という裏バージョンがあって、しかしそれは、京都芸術センター中のチラシとかポスターとかいっぱい置いてある部屋のポスターの一枚として貼られてて、作家本人に教えてもらわないと気付かなかった。トム君の昔からの友達らしい。そして、この作家にとっての(おそらくはある種のフィクションとしての)「新興住宅地」に、僕は、今、住んでいる。
詳細は後で。
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岡田一郎 - あのひと検索 SPYSEE [スパイシー]:同学年だった。
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ある風景の中に:この展覧会の入り口に飾られているものは、「日本の風景の看板の文字をドイツ語などに替えたもの」だけど、「外国の風景の看板の文字を日本語に替えたもの」という裏バージョンがあって、しかしそれは、京都芸術センター中のチラシとかポスターとかいっぱい置いてある部屋のポスターの一枚として貼られてて、作家本人に教えてもらわないと気付かなかった。トム君の昔からの友達らしい。そして、この作家にとっての(おそらくはある種のフィクションとしての)「新興住宅地」に、僕は、今、住んでいる。
2009-10-09
memo-Grigori Aleksandrov and Sergei Eisenstein-Romance Sentimentale (1930)
エイゼンシュタインも関わっていたらしい、サウンド・フィルム編集を用いた(とされる)映像。サウンド・フィルムに直接何かを描いてそれを発音させたかどうかは分からないが、「1930年代なのにかなり音響編集なされていること」は確認できる。
-----------------
Kahn, Douglas. 1992. "Art and Sound." in: Kahn, Douglas, and Gregory Whitehead, eds. 1992. Wireless Imagination. Sound, Radio, Avant-Garde. MA: MIT Press: 1-29.によれば、「音を操作するその他のテクニックと描かれた音が用いられているフィルムは、Romance Sentimentale (1930)だ。これはロシアで制作されたものではないかもしれないが、ロシア人による最初のサウンド・フィルムである。これはフランスで制作され、普通は、(その製作者は)グレゴリ・アレキサンドロフだけとされる。しかしおそらく間違いなく、この作品は全くの失敗だったのでこのフィルムからは距離を取ろうとするが、セルゲイ・エイゼンシュタインもこの作品の制作には関与していた。特に最初の自然風景の視覚的なモンタージュは、エイゼンシュタインのスタイルだし、過激に構築されたサウンド・トラックに対応するものだ。…」
2009-10-08
拗ねる
ここの学長には、一時期、ん?ん?ん?と思っていた時期があるけど、基本的には面白い人で、今日、久しぶりに会って挨拶して、「どう、最近、世の中を拗ねて(何してるの?)」と言われた。
上手いこと言うなあ、と思って、「世の中を拗ねて、で、前向きに生きていこうと思ってるとこです。」と言っといた。
僕は「世の中を拗ねている」というフレーズで整理されるらしい。面白かったけど、「食ってく仕事」を見つけないとねえ、で片付けられてもねえ。
しかしまあ、「世の中を拗ねる」って何だ?
あと何よりも、「食ってく仕事」こそが重要ではないか、と思うのだが、そんなこたあない、ってこともあるんだろう。
→
一つ思ったこと
「世を拗ねている」という形容は、(その当人は「不当」と感じているかもしれないが)その当人を取り巻く状況やその当人の取り扱われ方は「正当」だ、と述べるために「も」役立つ。要するに、誰かの不平不満を黙らせたい時に、それは「不当」ではなく正当な状態だ、と言って黙らせるために「も」役立つ。
「も」というのは、別に、そのようなパフォーマティヴな理由で「世の中を拗ねている」というフレーズを用いられたとは思っていないから。
でもそのようなパフォーマティヴな意味を担わされることもあるだろうし、そういう事態に陥ったこともあるので、自衛のためにメモ。
メモなので遠まわしな表現。
→
それらとは関係なく、来年度どうしよう。
もう、決めねば。
上手いこと言うなあ、と思って、「世の中を拗ねて、で、前向きに生きていこうと思ってるとこです。」と言っといた。
僕は「世の中を拗ねている」というフレーズで整理されるらしい。面白かったけど、「食ってく仕事」を見つけないとねえ、で片付けられてもねえ。
しかしまあ、「世の中を拗ねる」って何だ?
あと何よりも、「食ってく仕事」こそが重要ではないか、と思うのだが、そんなこたあない、ってこともあるんだろう。
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一つ思ったこと
「世を拗ねている」という形容は、(その当人は「不当」と感じているかもしれないが)その当人を取り巻く状況やその当人の取り扱われ方は「正当」だ、と述べるために「も」役立つ。要するに、誰かの不平不満を黙らせたい時に、それは「不当」ではなく正当な状態だ、と言って黙らせるために「も」役立つ。
「も」というのは、別に、そのようなパフォーマティヴな理由で「世の中を拗ねている」というフレーズを用いられたとは思っていないから。
でもそのようなパフォーマティヴな意味を担わされることもあるだろうし、そういう事態に陥ったこともあるので、自衛のためにメモ。
メモなので遠まわしな表現。
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それらとは関係なく、来年度どうしよう。
もう、決めねば。
2009-10-07
memo-少年ヘンデル真夜中にハープシコードをひくの図
最近チェックしてた山本壽『音樂の鑑賞教育』(大正13年7月)(1924)の中の挿絵。これはヴィクター社のMusic Appreciation for Little Childrenの翻案。この翻案は、「西洋芸術音楽史」にまつわる色々な知識をそのものを輸入しようとするものではないけど、西洋芸術音楽を最上のものとする価値観を輸入するものではある。で、その一環として、ヘンデルとか、ベートーヴェンとか、モーツァルトとか、メンデルスゾーンの伝記がのってたりする。
-------------------------
「音楽は潜勢的言語の結晶である。言語の力の終る所から始まる所の言語である。その力は国民、国体、家庭、乃至個人の心の内部に働く所のものである。世界に類なき萬世一系の君を奉戴せる我が国民は、軍国主義や侵略主義とは異なった穏健な忠義といふ、一国民的団結の中に国民の責任を自覚するの必要を感ずる。」(山本1924より)
小林信彦『おかしな男 渥美清』
おかしな男 渥美清 (新潮文庫)

車寅次郎ではなく渥美清の本。面白かった。
『男はつらいよ』以外の渥美清の映画を見てみようと思った。
内容もさながら、久しぶりに小林信彦を読んだ。
中高生の時の愛読作家だ。
---------------
明日、九時の時点で「暴風警報」なら、お休み。
車寅次郎ではなく渥美清の本。面白かった。
『男はつらいよ』以外の渥美清の映画を見てみようと思った。
内容もさながら、久しぶりに小林信彦を読んだ。
中高生の時の愛読作家だ。
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明日、九時の時点で「暴風警報」なら、お休み。
2009-10-06
memo-TOEIC800点程度の英語力とは…
TOEIC800点程度の英語力とは、世間一般にどの程度のレベルの事をいうのか。800点とれるというと、これくらいの事はできるだろうという事を教えてください。.. - 人力検索はてな:だよなあ。不自由ありまくりだ。つかわねえしなあ。
TOEICスコアが効く場所に行かねば。
TOEICスコアが効く場所に行かねば。
2009-10-04
memo-Rubber Duck Project 2009
Rubber Duck Project 2009:天満橋のアヒルは、オランダから来たものだったらしい。見たかったな、これ。
→
闇夜に浮かぶ巨大アヒルをオランダに帰る前に撮影してきた - GIGAZINE
高橋源一郎『13日間で「名文」を書けるようになる方法』を読んだ。
13日間で「名文」を書けるようになる方法

これは、高橋源一郎の大学の授業の講義録、という体裁になっている。
授業は、高橋源一郎が学生に読ませた文章、学生に課した課題とそれに応えて学生が書いた作文、それらに関する高橋先生の説明とか解釈で構成されている。大学での授業収録した体裁なので9回目は「休講」だったりする。
タイトルはハウ・トゥー本で、これを読めば「名文」を書けるようになるらしい。
だけど読んですぐに気付くけど、この「先生と学生の会話」はフィクションだ。学生が読み上げる作文は本当に学生が書いたものなんだろうけど、実際に授業の中で「作文」してもらうためには、もっと細かな実務的な指示(字数とか)が必要だし、「書き方に関する細かな指示」が必要なんじゃないかと思う。でもそこらへんの授業進行に関するエトセトラは(収録されていても邪魔だし)省略されている。
また、これも読んですぐに気付けど、これはハウ・トゥー本じゃあない。これは、大学受験参考書としてたくさん出ている『…先生の「英文法」(あるいは「数学」とか「化学」)講義の実況中継』とは違って、「名文を書く方法」に関する知識を効率的・能率的に伝える本じゃない。これを読み終わったからといって、すぐに「名文」を書けるようにはならない。代わりに、この本を読めば、文章(を書くこと)に関して色々なことを学んでいるかもしれない。
じゃあ何を学べるのか、というと、実は、僕は、よく分からない。20前後の大学生が、「自己紹介」とか「ラブレター」とか「憲法」とか「自分以外の誰か(一日しか記憶が持たない人)になって書いてみる文章」とか「演説」とかを書けること、そしてそれはけっこう面白い文章となること、を知るのは面白い。「名文」ってのはこの程度のモンなのかもしれんなあ、と思ったりもする。二人以上の人間が「面白い」と思う文章は、もう全て「名文」なのかもしれない。
それより僕が面白かったのは、この本は「ハウ・トゥー本」のタイトルを持つ「大学の授業の講義録」だけど、この本で時々高橋源一郎が述べていて、この本の授業において実践しようとしている「教育」は、「ある種の知識やデータを能率的・効率的に伝達する」ハウ・トゥー本とは正反対のものであろうとしていること、だった。
高橋源一郎にとって「教育」とは徹底的に人文学的なもので、高橋源一郎は「誰かが、なにかについて「考える」様子を、目の前で見ること…それ以上に「教育」的なことは、存在しないのです。」(77)と考えてる。なので、授業が15回あるとして、毎回何をしてどのような効果が見込まれるかを予め決めて授業計画表を作成するように指導する文部科学省的な「教育」には違和感を感じている。
確かに文部科学省の「指導」は馬鹿馬鹿しい。でも「教育」が変化していることは確かだろう。ここ数年の学生の変化に金して「教育」のあり方が変化し、「大学教育のための教科書」がある程度の需要が見込まれる市場になっていることは確かだと思う。つまり、大学は、あるいは大学という市場では、「ある種の知識やデータを能率的・効率的に伝達するハウ・トゥー本」が求められていると考えて良いはずだ。でも高橋源一郎は、徹底的にそういう「教育」からは距離を置こうとしているわけだ。
僕が面白かったのは、そういう「教育」の変化と「大学教育のための教科書」への需要の増加の中でこの本がたくさん売れたら面白かろうなあ、ということなんだと思う。
個人的には、人文学でも「ある種の知識やデータを能率的・効率的に伝達する」ことはとても大事な知的営為だと思う。大学が、というか文学部が、効率や能率を全て無視した「教育(と呼ばれてきたもの)」しか持たないままなら社会の中に存在する意味はないと思うけど、でも「全ての授業において毎回の目的と効果をリストアップする必要がある人文学」って、それはそれで、何にでも同じ基準を当てはめておけば満足するお役所馬鹿みたいだ、と思うので。
ということで、この本、「一般書」としてではなく「大学の教科書」だと勘違いされたままベストセラーになったら面白いなあ。
これは、高橋源一郎の大学の授業の講義録、という体裁になっている。
授業は、高橋源一郎が学生に読ませた文章、学生に課した課題とそれに応えて学生が書いた作文、それらに関する高橋先生の説明とか解釈で構成されている。大学での授業収録した体裁なので9回目は「休講」だったりする。
タイトルはハウ・トゥー本で、これを読めば「名文」を書けるようになるらしい。
だけど読んですぐに気付くけど、この「先生と学生の会話」はフィクションだ。学生が読み上げる作文は本当に学生が書いたものなんだろうけど、実際に授業の中で「作文」してもらうためには、もっと細かな実務的な指示(字数とか)が必要だし、「書き方に関する細かな指示」が必要なんじゃないかと思う。でもそこらへんの授業進行に関するエトセトラは(収録されていても邪魔だし)省略されている。
また、これも読んですぐに気付けど、これはハウ・トゥー本じゃあない。これは、大学受験参考書としてたくさん出ている『…先生の「英文法」(あるいは「数学」とか「化学」)講義の実況中継』とは違って、「名文を書く方法」に関する知識を効率的・能率的に伝える本じゃない。これを読み終わったからといって、すぐに「名文」を書けるようにはならない。代わりに、この本を読めば、文章(を書くこと)に関して色々なことを学んでいるかもしれない。
じゃあ何を学べるのか、というと、実は、僕は、よく分からない。20前後の大学生が、「自己紹介」とか「ラブレター」とか「憲法」とか「自分以外の誰か(一日しか記憶が持たない人)になって書いてみる文章」とか「演説」とかを書けること、そしてそれはけっこう面白い文章となること、を知るのは面白い。「名文」ってのはこの程度のモンなのかもしれんなあ、と思ったりもする。二人以上の人間が「面白い」と思う文章は、もう全て「名文」なのかもしれない。
それより僕が面白かったのは、この本は「ハウ・トゥー本」のタイトルを持つ「大学の授業の講義録」だけど、この本で時々高橋源一郎が述べていて、この本の授業において実践しようとしている「教育」は、「ある種の知識やデータを能率的・効率的に伝達する」ハウ・トゥー本とは正反対のものであろうとしていること、だった。
高橋源一郎にとって「教育」とは徹底的に人文学的なもので、高橋源一郎は「誰かが、なにかについて「考える」様子を、目の前で見ること…それ以上に「教育」的なことは、存在しないのです。」(77)と考えてる。なので、授業が15回あるとして、毎回何をしてどのような効果が見込まれるかを予め決めて授業計画表を作成するように指導する文部科学省的な「教育」には違和感を感じている。
確かに文部科学省の「指導」は馬鹿馬鹿しい。でも「教育」が変化していることは確かだろう。ここ数年の学生の変化に金して「教育」のあり方が変化し、「大学教育のための教科書」がある程度の需要が見込まれる市場になっていることは確かだと思う。つまり、大学は、あるいは大学という市場では、「ある種の知識やデータを能率的・効率的に伝達するハウ・トゥー本」が求められていると考えて良いはずだ。でも高橋源一郎は、徹底的にそういう「教育」からは距離を置こうとしているわけだ。
僕が面白かったのは、そういう「教育」の変化と「大学教育のための教科書」への需要の増加の中でこの本がたくさん売れたら面白かろうなあ、ということなんだと思う。
個人的には、人文学でも「ある種の知識やデータを能率的・効率的に伝達する」ことはとても大事な知的営為だと思う。大学が、というか文学部が、効率や能率を全て無視した「教育(と呼ばれてきたもの)」しか持たないままなら社会の中に存在する意味はないと思うけど、でも「全ての授業において毎回の目的と効果をリストアップする必要がある人文学」って、それはそれで、何にでも同じ基準を当てはめておけば満足するお役所馬鹿みたいだ、と思うので。
ということで、この本、「一般書」としてではなく「大学の教科書」だと勘違いされたままベストセラーになったら面白いなあ。
2009-10-03
HI-TEC-Cとか
京都芸術センター
色々思うところあって、『ある風景の中に』展を見に来た。
来てから、来たことがあるような気もしてきたが、思い出せない。
オフィス街の真ん中に、ぽっかり空いてる空地みたいなスペース。そりゃ魅力的な場所だ、ここは。
と思うと同時に、地価が高い場所に維持される空地には、色々なコストがかかってるんだろうなあ、と思った。
展示は、予想していたより面白かった。もっかい来よう。
教室ひとつ全体を使ったインスタレーション作品を三つと、ちょっと小さなエイオリアンハープ作品が一つと、展示がさりげなさ過ぎて見過ごしてしまいそうな、花がクルクル回るガジェットみたいなの一つと、写真作品が一つ。
展覧会の名前は、ケージの佳曲が由来だろうけど、ま、あんまし気にしなくて良い。
日常の風景の見え方を、結果的に「ちょっとだけずらしてくれる」という僕好みの作品が多くて良かった。
69分かけてドからミへ、同じ時間かけてミからドへ音が変わっていくスピーカーを部屋の両端においておく、とかね。39分頃に一瞬だけ音のうねりが止まるはずだけど、そこまで待ってられなかった。
この手の作品では、ずっとうねりを聞いた後に外の音聞くと、音を聞くときの注意力の尺度が変わる。(聴取の焦点が変わる。)
そういうの、けっこう好き。地味だし、こっちに努力を要求するからめんどくさいけど。
でも、この手の作品を経験した後じゃなければ経験できないもの、ってのがあると思う。コストパフォーマンス悪いし、そうして得られる経験こそが何よりも大事なもの、ってことはないけど。でも面白いから、世間の隅っこに置いといてもらいたいもんだ。
サウンドアート作品だけじゃなかったのが、なんだか好印象。
夜はもう寒いな。
→
このケージの佳曲の邦題は《ある風景の中で》(1948)が多いみたい。原題は《In a Ladscape》 (1948)。
「ある風景の中に」を無理やり英訳したら「Into a Landscape」となるはず。確かに、この展覧会は「音の風景」の見え方を少し変えようとする点で「風景」に積極的に関わろうとするものだけど、ケージの曲のほうは、「風景」なるものにそれほど積極的に関わろうとするものではなかった気がする。うろ覚えだけど。
「わけの分からないケージ」とは違って、あんまし「ケージの曲」という感じのものではないけど、聴きやすいし長さも適当だし、けっこう色々な人が録音している、ケージのピアノ曲だとは思う。
来てから、来たことがあるような気もしてきたが、思い出せない。
オフィス街の真ん中に、ぽっかり空いてる空地みたいなスペース。そりゃ魅力的な場所だ、ここは。
と思うと同時に、地価が高い場所に維持される空地には、色々なコストがかかってるんだろうなあ、と思った。
展示は、予想していたより面白かった。もっかい来よう。
教室ひとつ全体を使ったインスタレーション作品を三つと、ちょっと小さなエイオリアンハープ作品が一つと、展示がさりげなさ過ぎて見過ごしてしまいそうな、花がクルクル回るガジェットみたいなの一つと、写真作品が一つ。
展覧会の名前は、ケージの佳曲が由来だろうけど、ま、あんまし気にしなくて良い。
日常の風景の見え方を、結果的に「ちょっとだけずらしてくれる」という僕好みの作品が多くて良かった。
69分かけてドからミへ、同じ時間かけてミからドへ音が変わっていくスピーカーを部屋の両端においておく、とかね。39分頃に一瞬だけ音のうねりが止まるはずだけど、そこまで待ってられなかった。
この手の作品では、ずっとうねりを聞いた後に外の音聞くと、音を聞くときの注意力の尺度が変わる。(聴取の焦点が変わる。)
そういうの、けっこう好き。地味だし、こっちに努力を要求するからめんどくさいけど。
でも、この手の作品を経験した後じゃなければ経験できないもの、ってのがあると思う。コストパフォーマンス悪いし、そうして得られる経験こそが何よりも大事なもの、ってことはないけど。でも面白いから、世間の隅っこに置いといてもらいたいもんだ。
サウンドアート作品だけじゃなかったのが、なんだか好印象。
夜はもう寒いな。
→
このケージの佳曲の邦題は《ある風景の中で》(1948)が多いみたい。原題は《In a Ladscape》 (1948)。
「ある風景の中に」を無理やり英訳したら「Into a Landscape」となるはず。確かに、この展覧会は「音の風景」の見え方を少し変えようとする点で「風景」に積極的に関わろうとするものだけど、ケージの曲のほうは、「風景」なるものにそれほど積極的に関わろうとするものではなかった気がする。うろ覚えだけど。
「わけの分からないケージ」とは違って、あんまし「ケージの曲」という感じのものではないけど、聴きやすいし長さも適当だし、けっこう色々な人が録音している、ケージのピアノ曲だとは思う。
2009-10-02
HI-TEC-C、幾つかの反応
一色だけで替えがなかった時期から、二色、三色、四色と、ずっと、全て使用してきてます。我ながらはまっとる。
最近、「ボールペン戦争」があったらしいけど、関係ないな。
あと最近、幾つかの機会に、人から意見をもらえるのはありがたいことだ、と思った。
できることは全てやらねば。
最近、「ボールペン戦争」があったらしいけど、関係ないな。
あと最近、幾つかの機会に、人から意見をもらえるのはありがたいことだ、と思った。
できることは全てやらねば。
2009-09-30
2009-09-28
Patrick Feaster-Oldest sound recording
1860年に記録された世界最古の声(FirstSounds.ORGにあるやつ)の企画とか、レオン・スコットの文書の英訳とかしてて、フォノグラフ発明直後の新聞記事とかをテキスト化して公開してくれているPatrick Feaster(Phonozoic - Patrick Feaster's Phonograph Website)の映像が、YouTubeにあった。
ほほう!
→
ただし、あんまし内容はなかった。
Patrick Feasterくんは、子供の頃から昔の録音を集めるのが好きだった、ってことが分かった。
→ちなみに、これ。
1860年の声の記録について
2008年3月頃にこのニュースが出て、それでしばらくネット上で色々な記事が出回ってたもの。
NYタイムズの記事の抄訳
フランスで行われた世界初のレコーディングが再生された[前編]
フランスで行われた世界初のレコーディングが再生された[後編]
→
初音ミクが歌ってました。
CloseBox and OpenPod > 世界最古の歌声が見つかったので初音ミクにうたってもらった
→
初音ミクとデュエットしてました。
CloseBox and OpenPod > 148年前の歌声と初音ミクが時空を超えてデュエットした
世界最古の録音が怖すぎる件(動画) : Gizmodo Japan
世界最古の録音音声、最新技術でよみがえる 国際ニュース : AFPB News
→
FirstSounds.ORG
2009-09-27
memo-オリコンシングルチャート、20位が史上初の3000枚割れ…59位からは売上1000枚に満たず
(cache) オリコンシングルチャート、20位が史上初の3000枚割れ…59位からは売上1000枚に満たず:The Natsu Style:昔、キセルのマネージャーに、2-3万枚売れるくらいではメジャーでは商売にならない、と聞いた記憶がある。10万枚くらい売れてもらわないと、と。10年前にインディーズでちょいと有名なバンドは、5000-10000枚くらい売れてたんじゃないのか?
知らんけど。
OKは1000枚らしいけど。
知らんけど。
知らんけど。
OKは1000枚らしいけど。
知らんけど。
2009-09-26
2009-09-22
memo-天竺鼠
を見て、笑い転げて呼吸が苦しくなった後、点数が700点台で、驚愕した。
1の位から発表される点数の10の位が「2」だったので、900点台だと思ったのに。
えええ!!!
(20:57の投稿)
→
隣で、納得がいかないと妻が怒っている。
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