2009-10-31
高の原のマイケル
上映される部屋も広い。ヤングアットハートとは大違いだ。
さすがマイケル。
こんなド田舎なのに。
あるい国際科学都市な学研都市だからだろうか。
そうかもな。
マイケルは未来への夢と希望を駆り立てるからな。
2009-10-30
memo-Googleアラート-ゲンダイオンガク
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大和西大寺
この程度の人混みでもなんだか珍しい感じがする。
ほんとは、近所のイオンでもこの程度の人混みはあるのに、なんだか不思議。
もう秋だけど、今日は暖かいですね。
みなさん、お元気ですか?
2009-10-29
大学なる場所
色々な場所にいたけど、僕は、「大学」関連の人って以外の見方をほとんどされたことがないんだな。倒れた時でさえ。ドラム叩いてる時でさえ、たぶん。
そういう人としてセルフビルドゥングしてきたのだから、そりゃそうなんだし、それはそれで良いんだ。
ま、今日のは、学祭間近の大学の雰囲気のせいかもしれん。
たのしそーだなー、と思った。
2009-10-28
memo-EDOUARD-LEON SCOTT DE MARTINVILLE / Au Clair de la Lune - DUST-TO-DIGITAL : Newtone Records
音はネット上にたくさんでまわっている(「1860年 声」とか検索するといくらでも出てくる。)から、なんだこりゃ?なんでリリースするんだ?ある種の冗談か?と思った。
ら、どうやらDust-to-Digitalってレーベルがあって、SP盤の復刻とかしてリリースしてて、そのうちの一つらしい。
面白そうなレーベルだ。
なぜ7インチ盤なのかは分からんけど。
例えば、明治時代の写真(時に着色されてたりするもの)を復刻する、という感じなんだろなあ。
妻の勉強机的な机
最近机周辺が整理されて、面積の半分くらいはハムスターの館になり、残りの大半が、ハムスター撮影のための場所になった。
で、少しだけ残ってるスペースにMacbookが置かれたりする。
最近、ハムスター撮影のための小道具として、僕がかつて使っていた灰皿が掘り出されてた。
2009-10-27
DVDで『地球が静止する日』(1951)を見た。
エドマンド・H・ノース
SEや音楽に「テルミン」が使われている映画として有名なので、見た。だから、もちろんリメイクじゃないほうを見た。
意外さはなくて、宇宙人が初登場したりロボットが動き出したり始めて宇宙船内部の映像が出てくる場面とかで、テルミンが使われていた。「聞き慣れない音」が「見慣れない風景」のために使われていた。ちょっと以外だったのは、テルミンが「効果音」じゃなくて「(弦楽器とともに)メロディ楽器」として使われていたこと。けっこうメロディが奏でられていた。
というか「効果音としての使用」というのは、最初に思いつくことではないのだろう。
ま、テルミンの使用事例としては、簡単に紹介するくらいにしか使えないことを確認した。
ただし、リメイクにあわせたブルーレイ版には、「謎めく音色テルミン」という特典があるらしい!見てみたい!
で。映画について。
50年代のSF。
宇宙人のみならず、ロボットも、普通の白人にしか見えん。
リアリティもぜーんぜんないし、話の展開も(映画の中ではシリアスなのだけど)バカバカしくて、でも楽しめたのは、なんでだろう?
「電車の通勤中にネットブックで見る」という条件で見てたからだろうか?
座れるなら、快速とかじゃなく各駅停車に乗ったほうが座れるからいいかもな。
と思った。
→
けっこうネット上に映像が転がってるなあ。
金色の免許証
三十分後には僕もゴールド免許所持者。
あと、高齢者講習を受けたら、すべての種類の講習を受けることになる。(→いや、一般講習を受けたことがないや。)
優良運転者更新講習には、子供連れのお母さんも来るられるらしい。仕方ないのだけど、うるさい。
しかしまあ、大変やなあ。
前で話す人間は、子供がどれほど泣き叫ぼうとも、声の大きさを変えない。
免許の色が変わると、なんか気持ちも変わるだろうか。
免許証のマテリアルの美的性質が云々とか免許証の社会的ステータスが持つ影響力云々より、今、僕の心持ちは、どれほど免許証に影響を受けるのだろうか。
________________________________________________
普通免許は、中型免許に変わったらしい。
へー。
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「講習」を受けるとよく分かるけど、視力が落ちた。
スライドの文字が滲んで見える。
おお、こんなところでもプレゼンテーションソフトが使われているのか!
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おお、今、子供が前のスライドのところに!
しかし何事もなかったかのように講習会は進む。
子供連れのお母さん、出ていったぞ。。。免許更新の講習会なのに。
_________________________________________________
退屈だ。
memo-TV-FOX
(しかしすぐに飽きてしまいそうな予感もする。)
2009-10-26
環状線を走る電車の一部
美学の後輩(とはいえ、僕よりずいぶんしっかりとした研究者だけど)は、週の前半だけ関西で非常勤というハードスケジュールをこなしつつ、今、貨幣の感性論を構想してるらしい。なんと頼もしい。
ま、会話の三分の一が暗い内容とされそうなことだったのはむべなるかな。なので良しとしとこう。
やっぱ他人と会話するのは良いことだ。自分を確認するために必須だ。
明日は早起きだ!
2009-10-25
ドリルマン@ウララ
今のドリルマンは違うみたいだけど、昔のドリルマンを思い出すので、ジザメリとか、ヴェルヴェットとか、マンチェとか、なんかそういう懐かしいフレーズが思い出される。なんか昔よりかっこいい気もするけど、終電もあるし途中で帰ろう。
西院から阪急で烏丸で地下鉄に乗り換えて、で、竹田で近鉄に乗り換える、と。
ま、近くはないよな。
memo-メンバーの見立て
あらまたひろしのようなギターボーカルがヌメヌメ歌って、みうらじゅんのような外見のリードギターがエッジのきいたギターを弾いて、勝谷誠のようなドラムが、細かくは不正確ながらも重いリズムを叩いてる。ベーシストは見えないが女性らしい。
ニプリッツ@西院ウララ
サイケでノイジーでブルージーで。
ギターと二本とベースとドラムは体内に突き刺さるように鋭い。
すげえ。
ボーカルは、なに言うとるのか分からん。
これもまたすげえ。
これで「バンド」として一まとまりだ、ってのがすげえ。
たぶん6年前に一度Eastで見たけど、比較できるほど覚えてはいない。「成長」とかしてきたバンドなのかな?
まあとにかく、かっこよかった。
(今、まだ演奏中だけど。)
→
ギターは「DUSTのZINさん」だった。そうだった。
僕は話したこともないけど。
Tochika(か、トーチカ)
スペイシーなギター、かっこいいね。僕好みだ。
予想外というかビックリしたのが、トムくんが歌ってること、かな。そういや、昔歌ってた気もするが。
「ステージで歌うときの声」を作るタイプの人だったんだな、トムくんは。普段ののんきな声で歌うのじゃなくて。でもそれはそれでちょっと想像できないか。できたらすごいけど。
→
正直、けっこう寝てしまった。僕の隣のぶちくんとかたかしくんも寝てた。
でも三人とも、「嫌だから寝てた」んじゃなくて「気持ち良かったから寝てた」ので、良かったんだと思う。
なんつうか、演奏してる三人が楽しそうだなあ、と思った。
メモ:道券くんは水道屋さんらしい。
西院ウララ
トムくんのTOCHIKAを見るために。ちょうど京都市内に来る日だったし。ニプリッツも見れるし。
ライブハウス自体が、数年振りだ。
客として何分も見てられるだろうか。飽きて途中で帰ってしまわないか、不安だ。
烏丸北山
むかし、男友達の誰かとこのロイホで朝までだらだらした記憶があるのだけど、誰とだったか、思い出せない。
一乗寺から夜中にタクシーで行くとお手軽にスペシャル感が得られるくらいの距離だったんだよな、確か。
そういうこと、ここで何回もしたかもしれない。
今日は、京都府立大学に初めて来た日。
なんか、すごく気楽な気分になってきた。
アミーゴ書店???
かつて、サカナのアルバムが(pocopenソロも含めて)全部あったり、ちょっと珍しい感じの良い品揃えだったCD屋内さんだったはずの店の名前が、アミーゴ書店ってのになってた。
今でもCD売ってるんだろうか。
隣は相変わらず、サンクスだった。
2009-10-24
2009-10-23
memo-anamorphosis picture
『Film Before Film』という映画(?記録映像??)を見て、呼び名を知った。先週まで京近美でやってた、ケントリッジ展で初めて見て「こんなもの思いつくなんて、この人すげー!」と思ったけど、けっこう歴史あるものだったらしい。
何で説明したら良いのか…。このGoogle画像検索で出てきた画像を見ればすぐに分かる。
例えば円柱形の鏡に映ったイメージが「普通の二次元画像」に見えるように、歪曲を計算した二次元画像を描く、ということは、けっこう昔からなされていたらしい。
どういう計算するんだ?そんで、どうやったらできるんだ?
memo-errant bodies
で、Yasunao Tone: Noise, Media, Languageの出版社情報を探していて、こういう団体を知った。
1995年から(多くは音に関わる)実験的なパフォーマンスやアートの本やCDを出版しているらしい。大きいところではなさそう。
具体的に、どれくらい小さいのだろう?
memo-パイレーツ・オブ・道頓堀
名称は「大阪インプロ(即興コント)グループ」かもしれない。
《Freeze in Osaka》をやったのはこの集団らしい。日本でやったのこの集団だけか?他にもいた気がするが。
そのうちチェックし直すこと。
一回こういうのに遭遇してみたい。案外、邪魔と思うだけかもしれんけど。
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2009-10-22
本当にさっき気づいたこと:「おっ」+「さん」=「おっ さん」
イカレポンチホイホイ
調子にのった誰かに飛び込んで欲しい。ただ飛び込あむだけではつまらないので、「何かヒトネタ」して欲しい。で、すぐに池から上がって、体を暖めて欲しい。
と、思って、ヒトネタについて授業前に結構考えたけど、何も思い浮かばなかった。
で、授業。
今年度は、もんのすごく静かで、すごく抑制が効いている。最初だけかと思ったけど、6回目もまだ続いている。
我ながら素晴らしい。確かに、十分内容を準備してあれば、僕でも、100人程度なら静かにさせて授業できる。
しかし、なぜ、こんなにきちんとしてるんだ!?
「ちゃんとじっくりと話しているから」だろうか?
だとすれば、僕の成長を意味しているのだから、めでたい。
あるいは「学生気質の変化」ってやつだろうか?でも、たった一年でこんなにも変わるってことはないだろうし、それに、この授業は学年がバラバラだ。
やっぱ僕の成長だな。
やるなあ。
2009-10-18
memo-サディスティック・ミカ・バンド『天晴』
サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」は文句なしに名曲だけど、僕は、この二曲がすごく好きだった。
ボーカルが「桐島かれん」になったSadistic Mica Bandの1989年の音源。僕は中古CDで買った。(なぜか、現物もMP3データも手元に残っていない。)
なんつうか、お洒落な感じを狙ってんだろうけど、(少なくとも僕には)うまく伝わってこないダサい感じが好きだった覚えがある。
62か。
自分で死ぬやつなんか嫌いだ。
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St. Louisみやげ
2009-10-17
オレンジ
で、結局、オレンジ色のを買ってしまった。
ううむ。
永江孝志 / イミテーション・イエロー (2003)
現在は「永江孝」で活躍してるらしい、なあちゃんの6年前のアルバムからのシングルのPV。
色々突っ込みどころはあるけど、もう6年前のものだし、なあちゃんとも長いこと会ってないし、全部ヨシとしとこう。
(しょぼい映像で金がかかってないのは「colla disc」ってのがその程度の規模のインディーズ・レーベルだったからだし、なあちゃんの挙動に色々突っ込みたくなるのは、なあちゃんの才能はこういうところでうまく「演技」できることではないからだし、PV全体の出来がこんな感じなのも、こんな感じ以外のものを考えることができる人がいなかったってことだろう。)
何がすごいって、
1.僕は、この曲のドラムを叩いた。(五線譜渡されて、フレーズ通り叩くために、珍しく個人練習した記憶がある。)確かこの報酬は、缶コーヒーと100均の石鹸を置くためのプラスティックの台。(どっかいったけど。)
2.なのに、こんなPVが作られていたことを聞いた覚えが一切ない。作られたという噂を聞いた覚えも一切ない。少なくとも見たことはない。
3.別に、当時の僕はいじめられていたわけじゃない(はず)。
なのに、なんでこのPVのことを知らなかったんだ?
深夜にテレビ出演したのは知ってたけど。
不思議。不思議。摩訶不思議。
2009-10-16
テレビ録画した『傷だらけの栄光』を見た
2009-10-13
memo-ライセンス認証の期限が…
毎日バックアップとってるし、DropboxとかEvernote使ってるし、音声と動画は外付HDDなので、データ・ロスはなし。
何より、デスクトップPCについてきたOSのCD-ROMを入れて起動してみると、起動できた。
つまり、今んところ、問題はなし。午前が潰れたけど。
なんだったんだ?
不気味。
近いうちに壊れるんじゃないだろうか。
memo-Richard Youngs: Garden Of Stones
『The Wire』って雑誌のウェブサイトからダウンロードできるのだけど、ひっさし振りに「かっこいー!」と思った。
「なんてこたあないエレキギターのインプロ」なのだけど。
たぶん「瑞々しい」とか、そういう形容詞で語られることが多いエレキギターだと思う。
2009-10-12
ミックまで
左京区に住んでりゃ朝まで遊べるのにな、と思いつつも、帰宅。
久しぶりにこういう遊び方して、楽しかった。やっぱ人と遊ぶって良いな。
あと「ライブ」っていいなあ、と思った。色々状況を落ち着かせて、ドラム叩きたいな。
トム先生から学んだこと
:人付き合いは、浅く広く幾重に何度も。
小劇場?
なんかよくわからんけど、真剣に演じてる様子を見ながら僕は吹き出しそうになっていたので、いわゆる人生オタクな内容だったんだと思う。お前が友達作りゃあそれで良いんじゃねえか、という感じ。せめてダンスなら良かったのに。
真剣に演じてる演者や、真剣に見てる他の観客を見ながら、日本って平和なんだなあ、って思った。自分の身の回り、もしくは自分のことしか考えずに、セカイとかジンルイとか語ってしまうのだから。
真剣に演じる演者ってすげーなー、って思った。
→
正直、10分ほど見て、後は寝てしまったのだけど、けっこう鼾かいてたらしい。
我慢して起きてるつもりはないけど、周りに迷惑かけたくはないので、鼾かいてたら起こして欲しかったな、と思ったけど、帰宅してから、まあ別にしょうがないし、いっか、と思った。
→
これとは別で「小劇場で演劇を見たい」と思った。
岡田一郎の裏の作品@京都芸術センタ-
詳細は後で。
→
岡田一郎 - あのひと検索 SPYSEE [スパイシー]:同学年だった。
→
ある風景の中に:この展覧会の入り口に飾られているものは、「日本の風景の看板の文字をドイツ語などに替えたもの」だけど、「外国の風景の看板の文字を日本語に替えたもの」という裏バージョンがあって、しかしそれは、京都芸術センター中のチラシとかポスターとかいっぱい置いてある部屋のポスターの一枚として貼られてて、作家本人に教えてもらわないと気付かなかった。トム君の昔からの友達らしい。そして、この作家にとっての(おそらくはある種のフィクションとしての)「新興住宅地」に、僕は、今、住んでいる。
2009-10-09
memo-Grigori Aleksandrov and Sergei Eisenstein-Romance Sentimentale (1930)
エイゼンシュタインも関わっていたらしい、サウンド・フィルム編集を用いた(とされる)映像。サウンド・フィルムに直接何かを描いてそれを発音させたかどうかは分からないが、「1930年代なのにかなり音響編集なされていること」は確認できる。
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Kahn, Douglas. 1992. "Art and Sound." in: Kahn, Douglas, and Gregory Whitehead, eds. 1992. Wireless Imagination. Sound, Radio, Avant-Garde. MA: MIT Press: 1-29.によれば、「音を操作するその他のテクニックと描かれた音が用いられているフィルムは、Romance Sentimentale (1930)だ。これはロシアで制作されたものではないかもしれないが、ロシア人による最初のサウンド・フィルムである。これはフランスで制作され、普通は、(その製作者は)グレゴリ・アレキサンドロフだけとされる。しかしおそらく間違いなく、この作品は全くの失敗だったのでこのフィルムからは距離を取ろうとするが、セルゲイ・エイゼンシュタインもこの作品の制作には関与していた。特に最初の自然風景の視覚的なモンタージュは、エイゼンシュタインのスタイルだし、過激に構築されたサウンド・トラックに対応するものだ。…」
2009-10-08
拗ねる
上手いこと言うなあ、と思って、「世の中を拗ねて、で、前向きに生きていこうと思ってるとこです。」と言っといた。
僕は「世の中を拗ねている」というフレーズで整理されるらしい。面白かったけど、「食ってく仕事」を見つけないとねえ、で片付けられてもねえ。
しかしまあ、「世の中を拗ねる」って何だ?
あと何よりも、「食ってく仕事」こそが重要ではないか、と思うのだが、そんなこたあない、ってこともあるんだろう。
→
一つ思ったこと
「世を拗ねている」という形容は、(その当人は「不当」と感じているかもしれないが)その当人を取り巻く状況やその当人の取り扱われ方は「正当」だ、と述べるために「も」役立つ。要するに、誰かの不平不満を黙らせたい時に、それは「不当」ではなく正当な状態だ、と言って黙らせるために「も」役立つ。
「も」というのは、別に、そのようなパフォーマティヴな理由で「世の中を拗ねている」というフレーズを用いられたとは思っていないから。
でもそのようなパフォーマティヴな意味を担わされることもあるだろうし、そういう事態に陥ったこともあるので、自衛のためにメモ。
メモなので遠まわしな表現。
→
それらとは関係なく、来年度どうしよう。
もう、決めねば。
2009-10-07
memo-少年ヘンデル真夜中にハープシコードをひくの図
この翻案は、「西洋芸術音楽史」にまつわる色々な知識をそのものを輸入しようとするものではないけど、西洋芸術音楽を最上のものとする価値観を輸入するものではある。で、その一環として、ヘンデルとか、ベートーヴェンとか、モーツァルトとか、メンデルスゾーンの伝記がのってたりする。
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「音楽は潜勢的言語の結晶である。言語の力の終る所から始まる所の言語である。その力は国民、国体、家庭、乃至個人の心の内部に働く所のものである。世界に類なき萬世一系の君を奉戴せる我が国民は、軍国主義や侵略主義とは異なった穏健な忠義といふ、一国民的団結の中に国民の責任を自覚するの必要を感ずる。」(山本1924より)
小林信彦『おかしな男 渥美清』
車寅次郎ではなく渥美清の本。面白かった。
『男はつらいよ』以外の渥美清の映画を見てみようと思った。
内容もさながら、久しぶりに小林信彦を読んだ。
中高生の時の愛読作家だ。
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明日、九時の時点で「暴風警報」なら、お休み。
2009-10-06
memo-TOEIC800点程度の英語力とは…
TOEICスコアが効く場所に行かねば。
2009-10-04
memo-Rubber Duck Project 2009
Rubber Duck Project 2009:天満橋のアヒルは、オランダから来たものだったらしい。見たかったな、これ。
→
闇夜に浮かぶ巨大アヒルをオランダに帰る前に撮影してきた - GIGAZINE
高橋源一郎『13日間で「名文」を書けるようになる方法』を読んだ。
これは、高橋源一郎の大学の授業の講義録、という体裁になっている。
授業は、高橋源一郎が学生に読ませた文章、学生に課した課題とそれに応えて学生が書いた作文、それらに関する高橋先生の説明とか解釈で構成されている。大学での授業収録した体裁なので9回目は「休講」だったりする。
タイトルはハウ・トゥー本で、これを読めば「名文」を書けるようになるらしい。
だけど読んですぐに気付くけど、この「先生と学生の会話」はフィクションだ。学生が読み上げる作文は本当に学生が書いたものなんだろうけど、実際に授業の中で「作文」してもらうためには、もっと細かな実務的な指示(字数とか)が必要だし、「書き方に関する細かな指示」が必要なんじゃないかと思う。でもそこらへんの授業進行に関するエトセトラは(収録されていても邪魔だし)省略されている。
また、これも読んですぐに気付けど、これはハウ・トゥー本じゃあない。これは、大学受験参考書としてたくさん出ている『…先生の「英文法」(あるいは「数学」とか「化学」)講義の実況中継』とは違って、「名文を書く方法」に関する知識を効率的・能率的に伝える本じゃない。これを読み終わったからといって、すぐに「名文」を書けるようにはならない。代わりに、この本を読めば、文章(を書くこと)に関して色々なことを学んでいるかもしれない。
じゃあ何を学べるのか、というと、実は、僕は、よく分からない。20前後の大学生が、「自己紹介」とか「ラブレター」とか「憲法」とか「自分以外の誰か(一日しか記憶が持たない人)になって書いてみる文章」とか「演説」とかを書けること、そしてそれはけっこう面白い文章となること、を知るのは面白い。「名文」ってのはこの程度のモンなのかもしれんなあ、と思ったりもする。二人以上の人間が「面白い」と思う文章は、もう全て「名文」なのかもしれない。
それより僕が面白かったのは、この本は「ハウ・トゥー本」のタイトルを持つ「大学の授業の講義録」だけど、この本で時々高橋源一郎が述べていて、この本の授業において実践しようとしている「教育」は、「ある種の知識やデータを能率的・効率的に伝達する」ハウ・トゥー本とは正反対のものであろうとしていること、だった。
高橋源一郎にとって「教育」とは徹底的に人文学的なもので、高橋源一郎は「誰かが、なにかについて「考える」様子を、目の前で見ること…それ以上に「教育」的なことは、存在しないのです。」(77)と考えてる。なので、授業が15回あるとして、毎回何をしてどのような効果が見込まれるかを予め決めて授業計画表を作成するように指導する文部科学省的な「教育」には違和感を感じている。
確かに文部科学省の「指導」は馬鹿馬鹿しい。でも「教育」が変化していることは確かだろう。ここ数年の学生の変化に金して「教育」のあり方が変化し、「大学教育のための教科書」がある程度の需要が見込まれる市場になっていることは確かだと思う。つまり、大学は、あるいは大学という市場では、「ある種の知識やデータを能率的・効率的に伝達するハウ・トゥー本」が求められていると考えて良いはずだ。でも高橋源一郎は、徹底的にそういう「教育」からは距離を置こうとしているわけだ。
僕が面白かったのは、そういう「教育」の変化と「大学教育のための教科書」への需要の増加の中でこの本がたくさん売れたら面白かろうなあ、ということなんだと思う。
個人的には、人文学でも「ある種の知識やデータを能率的・効率的に伝達する」ことはとても大事な知的営為だと思う。大学が、というか文学部が、効率や能率を全て無視した「教育(と呼ばれてきたもの)」しか持たないままなら社会の中に存在する意味はないと思うけど、でも「全ての授業において毎回の目的と効果をリストアップする必要がある人文学」って、それはそれで、何にでも同じ基準を当てはめておけば満足するお役所馬鹿みたいだ、と思うので。
ということで、この本、「一般書」としてではなく「大学の教科書」だと勘違いされたままベストセラーになったら面白いなあ。
2009-10-03
HI-TEC-Cとか
京都芸術センター
来てから、来たことがあるような気もしてきたが、思い出せない。
オフィス街の真ん中に、ぽっかり空いてる空地みたいなスペース。そりゃ魅力的な場所だ、ここは。
と思うと同時に、地価が高い場所に維持される空地には、色々なコストがかかってるんだろうなあ、と思った。
展示は、予想していたより面白かった。もっかい来よう。
教室ひとつ全体を使ったインスタレーション作品を三つと、ちょっと小さなエイオリアンハープ作品が一つと、展示がさりげなさ過ぎて見過ごしてしまいそうな、花がクルクル回るガジェットみたいなの一つと、写真作品が一つ。
展覧会の名前は、ケージの佳曲が由来だろうけど、ま、あんまし気にしなくて良い。
日常の風景の見え方を、結果的に「ちょっとだけずらしてくれる」という僕好みの作品が多くて良かった。
69分かけてドからミへ、同じ時間かけてミからドへ音が変わっていくスピーカーを部屋の両端においておく、とかね。39分頃に一瞬だけ音のうねりが止まるはずだけど、そこまで待ってられなかった。
この手の作品では、ずっとうねりを聞いた後に外の音聞くと、音を聞くときの注意力の尺度が変わる。(聴取の焦点が変わる。)
そういうの、けっこう好き。地味だし、こっちに努力を要求するからめんどくさいけど。
でも、この手の作品を経験した後じゃなければ経験できないもの、ってのがあると思う。コストパフォーマンス悪いし、そうして得られる経験こそが何よりも大事なもの、ってことはないけど。でも面白いから、世間の隅っこに置いといてもらいたいもんだ。
サウンドアート作品だけじゃなかったのが、なんだか好印象。
夜はもう寒いな。
→
このケージの佳曲の邦題は《ある風景の中で》(1948)が多いみたい。原題は《In a Ladscape》 (1948)。
「ある風景の中に」を無理やり英訳したら「Into a Landscape」となるはず。確かに、この展覧会は「音の風景」の見え方を少し変えようとする点で「風景」に積極的に関わろうとするものだけど、ケージの曲のほうは、「風景」なるものにそれほど積極的に関わろうとするものではなかった気がする。うろ覚えだけど。
「わけの分からないケージ」とは違って、あんまし「ケージの曲」という感じのものではないけど、聴きやすいし長さも適当だし、けっこう色々な人が録音している、ケージのピアノ曲だとは思う。
2009-10-02
HI-TEC-C、幾つかの反応
最近、「ボールペン戦争」があったらしいけど、関係ないな。
あと最近、幾つかの機会に、人から意見をもらえるのはありがたいことだ、と思った。
できることは全てやらねば。