で、まだ切符をチェックされたことがないのだが、どうなってんだろう。
改札ないし。
真面目に切符買う必要なかったんじゃないかという気になってくる。
2012-08-31
Jeff Koons: The Sculptor
こっちは面白かった。
古代とか中世の彫刻のなかにジェフクーンのものを置くという展示。
まいこーじゃくそんとバブルスくんの作品だけじゃないんだなあ、と思った。
でも村上隆ならもっと工夫するかもしれん、と思った。
なんか、足りない気がして。
古代とか中世の彫刻のなかにジェフクーンのものを置くという展示。
まいこーじゃくそんとバブルスくんの作品だけじゃないんだなあ、と思った。
でも村上隆ならもっと工夫するかもしれん、と思った。
なんか、足りない気がして。
2012-08-30
Schoko Becher
ちょっと甘いもの食べて帰ろうと思ったら、このサイズ。店頭の写真と大違い。やだねえ、ほんと、欧米人サイズは。一人だと、どこで飯食ったら良いのか分からんよ。
しかもこれ、上半分がクリーム。
甘くて体に染み入るけど体に悪そう…。
しかもこれ、上半分がクリーム。
甘くて体に染み入るけど体に悪そう…。
Wiesbaden
来て思ったのは、こんな街でよくもまあ、フルクサス国際夏季音楽祭(正式名称、今、分からん。これの50年後ということで五十周年ということらしい)が行われたもんだなあ、ということ。
借金とかから逃げて来たマチューナスがやったイベントごと、と理解してるけど、行われた当時は、街のひとは行われていたことにさえ気付いてなかったのかもしれん。
ラディカルなものは地方都市だからこそ出現し易いかもしれない、と言っておくべきだろうか。大垣市とかカッセルのように。
何にしろ、今日は早めに帰ろう。
こういう勢いで来ないと行こうと思わなかっただろうけど、フランクフルトからけっこう近いから、行きやすいところなんだな。
なんかぼーっとしてしまう。
借金とかから逃げて来たマチューナスがやったイベントごと、と理解してるけど、行われた当時は、街のひとは行われていたことにさえ気付いてなかったのかもしれん。
ラディカルなものは地方都市だからこそ出現し易いかもしれない、と言っておくべきだろうか。大垣市とかカッセルのように。
何にしろ、今日は早めに帰ろう。
こういう勢いで来ないと行こうと思わなかっただろうけど、フランクフルトからけっこう近いから、行きやすいところなんだな。
なんかぼーっとしてしまう。
FLUX50
Wiesbaden Museumの展示は一部屋だけだった。
以前の回顧展に比べて目新しいものはなさそう。
個々の作家の展示のほうが面白そうだ。
全体的にちっさいのをいくつか、という感じなのかもしれん。
あるいは、週末に色々な展示が新たに始まるので、ちょっと様変わりするのかもしれん。
とにかく、どこもかしこも工事中に見える。
なんでだ?
以前の回顧展に比べて目新しいものはなさそう。
個々の作家の展示のほうが面白そうだ。
全体的にちっさいのをいくつか、という感じなのかもしれん。
あるいは、週末に色々な展示が新たに始まるので、ちょっと様変わりするのかもしれん。
とにかく、どこもかしこも工事中に見える。
なんでだ?
Ben Patterson
の展示を見てたら、鍵とかコインとか私物にしか見えないものを放り出してある部屋に入り込んで、なかなかすごいインスタレーションだな!と思ったら、週末からの展示を準備するために泊まり込んでいるStefan Burgerというひとの部屋だった。
その隣で写真をパシャパシャ撮ってる人がいたので、あなたも作品の一部か?と尋ねたところ、ステファン本人だった。
いやー、びっくりした。
Nassauischer Kunstverein Wiesbadenの受付のひとはとても優しいひとだった。
日本人のようだ。
その隣で写真をパシャパシャ撮ってる人がいたので、あなたも作品の一部か?と尋ねたところ、ステファン本人だった。
いやー、びっくりした。
Nassauischer Kunstverein Wiesbadenの受付のひとはとても優しいひとだった。
日本人のようだ。
Geoffrey Farmer
1935-85年の『Life』の切り抜きが、数十メートルに渡ってスポンジのうえに突き立てられている。
とにかく量が圧倒的。
なぜこの年代なのか、どういう順序なのか、なぜテキストや広告はないのか、といった疑問はあるが「量は質を凌駕する」の見本である。
とはいえ現実問題、これ、どうやって作ったんだろう。そしてどうやって他の場所に移動するんだろう。
音被りの問題
は、現実問題として回避するのが難しい。
それを防ぐ場所を用意するにはけっこうな予算とか手間が必要だろうことが予想される。
なのだから、だとすれば「音被りの問題を生じさせるような作品は稚拙である」と言ってはいけないだろうか。
これは作家に責任を押し付けすぎてるだろうか?
でも、自分の作品を展示する場所やお客さんを確保することも含めてこその「作家活動」だと思うので、別に作家に責任を押し付けても構わないと思うのだが、どうだろう。
ちなみにこの写真はRossela Biscottiというひとの作品。Neue Museumにあったもの。
この人のはさらに室内に音被り問題のないインスタレーションが続く。
今回のドクメンタにもいくつか「サウンドアート」とか「オーディオインスタレーション」とかがあるけど、音被り問題のないものもあった。
基本、サウンド・インスタレーションは屋外ですれば良いのではないか、と思った。
Lara Favaretto
旧カッセル主要駅(Hauptbahnhof)の端っこに廃線みたいになったところがあり、その周辺にたくさんのスクラップがあったので、駅や列車の残骸かと思った。
でも実はそれがLara Favarettoの作品だった。騙された。
旧カッセル主要駅の状況をちょっとズラす(スクラップがあるほど寂れてはいない場所→スクラップが積み上げられているほど寂れた場所)ものとして考えると、400tのスクラップメタルは面白い。
旧カッセル主要駅の状況をちょっとズラす(スクラップがあるほど寂れてはいない場所→スクラップが積み上げられているほど寂れた場所)ものとして考えると、400tのスクラップメタルは面白い。
でも東北大震災の津波の跡のことを思い出すと大したことはないので「ごーかい」ではない。
Janet Kardiff & George Bures Miller, Alter Bahnhof Video Walk (2012)
面白かった!
ドキドキした。
映像内の犬の鳴き声やひとの話し声に実際に振り返ってしまったり、現実の車掌さんが映像の登場人物が抜け出たみたいに思えたり。
途中で、電源が切れる、映画館の人にテープをチェックされる、その後しばらく真っ暗で声だけになる、というちょっとしたハプニングの仕掛けがあるのだが、こうなるともう完ぺきに僕らの行動とか現実は映像に支配されたのであった。
終わった今、僕から見えるこの駅はiPod touchのなかの映像が拡張したものに見える。
個室都市・京都のオプショナル・ツアーとかmp3 experimentと同じようなものかもしれないが、映像があるだけでこんなにも現実認識は揺らぐのか!と感心した。
この映像を撮影する前に悪夢を見た云々かんぬんと言ってたけど、なんのことかは分からない。
これは分からなくても十分面白い。
このふたりの作品として、Karlsaueにfor a thousand years (2012)という作品があったらしい。
気づかなかった、残念。ーーーーーーーーーーーー
◯情報
朝から行くなら確かに九時半から並ばないないといけない。
僕は9時40分に並び始めたので10分程度待つだけですんだ。でも10時には並んでた人が40分は待っていた。12時頃には1時間以上待ちになってた。
ただ、13時には行列は減ってた。30分待ちくらい?
13時45分頃には僕が9時40分頃に並んだ位置が最後尾になってた。
でもこの駅は時間がかかるので、体力のある早い方がよいかもしれない。
2012-08-29
突然、近代美術
を見ると、まったくの別物としてとても面白い。
グリム兄弟博物館と、新美術館ってとこが、そう。
「アート概念揺籃期」とか言ってしまいたくなるが、もちろんそれは間違いで近代にはアートは存在していたわけで、せいぜい「現代アート以前!」と言えるだけだろうけど、ドクメンタで見る近代美術って面白いな。
iPhoneから送信
メモ:井筒俊彦『イスラーム文化 その根底にあるもの』(岩波文庫)
Alaに会う前にイスラムについて少しだけでもお勉強しておこうと思って、機内で読んだ。
一流の学者の講演の書き起こしはこんなに分かりやすくも、深い論理的な事項を語るものなのだなあ、と感心した。
とはいえ、難しい言い方をしなければ言えないことはあるので、やはり難しいことは難しい言葉になるのだなあ、と思った。
とりあえず、イスラム世界のすべてはコーランから演繹されるものなので、世界は「聖」と「俗」に別れないということ―いわゆる「俗」世界とは、「聖」が日常世界に徹底的に染み込んだものとして存在している―だけおさえておこうと思った。
あと、因果律の否定に伴う非連続的世界観をもつ―神が絶対的に個々の瞬間にすべてを支配しているから個別事項は内的な因果関係などによって結ばれてはいない、というロジックらしい:72−80―、って話も面白いな、と思った。
そのほか色々すぐに忘れてしまいそうだ。
もとは1981年の本。
イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)
井筒 俊彦
一流の学者の講演の書き起こしはこんなに分かりやすくも、深い論理的な事項を語るものなのだなあ、と感心した。
とはいえ、難しい言い方をしなければ言えないことはあるので、やはり難しいことは難しい言葉になるのだなあ、と思った。
とりあえず、イスラム世界のすべてはコーランから演繹されるものなので、世界は「聖」と「俗」に別れないということ―いわゆる「俗」世界とは、「聖」が日常世界に徹底的に染み込んだものとして存在している―だけおさえておこうと思った。
あと、因果律の否定に伴う非連続的世界観をもつ―神が絶対的に個々の瞬間にすべてを支配しているから個別事項は内的な因果関係などによって結ばれてはいない、というロジックらしい:72−80―、って話も面白いな、と思った。
そのほか色々すぐに忘れてしまいそうだ。
もとは1981年の本。
イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)
井筒 俊彦
Thomas Bayrle
これ面白かった。
エンジンのメカニズムを(おそらく)電気モーターで動かして、そこに「エンジンの音」をスピーカーから出す。
電気モーターで動くエンジン機構には油もさしてあるし、それが動くことで出る音も聞こえる。
エンジンのメカニズムを(おそらく)電気モーターで動かして、そこに「エンジンの音」をスピーカーから出す。
電気モーターで動くエンジン機構には油もさしてあるし、それが動くことで出る音も聞こえる。
Kader Attia
今日見た中ではこれがいちばん面白かった。
Repairをテーマに集められたイメージと器物と書籍と彫刻とスライドのインスタレーション。
スライドが圧倒的に説得的。
修繕されたことのある身には感動的ですらある。
修繕された器具や、「ぷりみてぃぶ」な身体改造や、戦争で傷つき整形された顔や、顔の一部が欠けた木の彫刻など、戦争や身体改造や人体造形を貫く近代のイメージの潜在的共通項を浮き彫りにするような、何か知的な迫力のあるインスタレーションだった。
スライドが圧倒的に説得的。
修繕されたことのある身には感動的ですらある。
どうやら僕は、コンセプチュアルなものだけじゃなく、アーカイバルなものが好きなようだ(なのでどうやら僕は、よっぽどクリスチャン・マークレイが好きなようだ)。
この人の作品はドクメンタじゃない機会に見たいな。
→
Kader Attia - Artist's Profile - The Saatchi Gallery
Tarek Atoui, The Metastable Circuit 1
公園(Karlsaue)の小屋のインスタレーションで生成音楽を発するサウンド・インスタレーション。
迫力のある出音はとてもかっこいいのだが、生成ルールが分からないので、残念!
ドクメンタはカールスルーエに行くついでに来たのだが、しかしまあこれは、誰かと一緒に二泊くらいするつもりで来るものだ。
迫力のある出音はとてもかっこいいのだが、生成ルールが分からないので、残念!
ドクメンタはカールスルーエに行くついでに来たのだが、しかしまあこれは、誰かと一緒に二泊くらいするつもりで来るものだ。
一人歩きを楽しもう、と思った
Orangerie ~ Erkki Kurenniemi
コンピュータをめぐるイメージを集めた云々とあったが、基本、この博物館の所蔵品の展示だった。
昔の科学機器の展示があって、それはそれで面白く見た。
蓄音機とか電話もあったけどReisのTelefonはなかった。
が、三階にはまたよう分からんものがあった。
なんだ、こいつは!
蓄音機とか電話もあったけどReisのTelefonはなかった。
が、三階にはまたよう分からんものがあった。
なんだ、こいつは!
同じ部屋にあったErkki Kurenniemiというひとの活動(作品?)がとてもステキだった。
帰国したらチェックだ。
登録:
投稿 (Atom)