によるワークショップの二回目を行いました。
前回の記録はこちら、あるいはこちら。
今回の生成音楽は、鳴釜神事の再生成。とはいえもちろん釜はないので、空き缶とカセットコンロでやりました。3日ほど前まで、実際にうまくいくかどうか分からなかったそうですが、4つのグループに分かれてやってみたところ、最終的にはどこもうまく音を出すことができました。
水を入れた空き缶を熱し、水の上に網を敷いておいてそこに米粒を何個か入れることで、空き缶の中で熱い空気と冷たい米粒が触れてカルマン渦を巻き起こし、空き缶を共鳴させるそうです。
ポーーー、という音がします。
鳴釜神事では、その音で吉兆を占ったりするそうです。
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映像は、平倉スタジオ班の鳴釜です。
そう、今日は、平倉さんと平倉スタジオの学生数名も参加したのでした。
こういう音聴くとテンションが上がるのってなんだろうなあ、と思いました。
あと、生成音楽WSは毎回、最後に学生たちに「今日の感想」をひとりずつ言わせるのだけど、僕は毎回「なんだろなあ、これ」と思っていたのですが、最近それが面白くなってきました。
経験は言語化されることによってのみ血肉となる。
なので、空き缶とカセットコンロの「鳴釜神事」の経験は、その後これに言及する言い方次第で、経験を身体化するやり方が変わる。
生成音楽WSはこれを「生成音楽」として理解する。あるいは、この音を「ドローン音楽」になぞらえたり、「付喪神(器物が変化した妖怪)としての鳴釜」と関連させて聞いたり、鳴釜神事の起源に桃太郎との関連があることを考えながら聴いたり、米を空き缶に入れることで生じる音の制御不能性に注目したり、できる。
音と音楽が必ずしも同じ次元の活動とは限らないこと、しかしやはり「音楽」に関連する活動として理解されがちであること、などが分かるのが面白い。
生成音楽WSに来てもらう理由のひとつは「できるだけ多様な音響経験を得ること」なので、音について考えるときに、必ずしも「音楽」になぞらえる必要はないことを自覚してくれれば良い。
のかなあ。
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