2017-12-25

メモ:山田泰司『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』(日経BP社、2017年)

躍進が著しいという話しか最近は聞かない中国(PRC)の都市(上海)で出稼ぎしている農民工のルポ。ちょー面白かった。
中国(PRC)の都市住民と農民工との圧倒的な格差を丁寧に説明している。これを外国人(日本人)が記録したってスゴイけど、確かに、中国(PRC)に住んでいる人はこれを発表できないだろう。すぐに発禁になりそう。
故郷では年収が5万円にも届かないので上海に出稼ぎに来て、多い時には月収で20万円を超えることもあったけどここ数年でそれも半減したとか、一年で娯楽費に使ったお金は2000円以下だ、とかいった収入に関する具体的な事情とか、取り壊しが決まったアパートが取り壊される前の間だけその廃墟を借りて住むといった賃貸事情とか、農民工の具体的な生活状況が描写されていた。一方で、上海の都市住民は、親から譲り受けただけのアパートが開発のために取り壊されるとなると、その保証金などで数千万単位の一攫千金を得ることになったり、といったことがあるらしい。
何年か前にジャック・アンド・ベティで王兵(ワン・ビン)の映画作品(『無言歌』とか『三姉妹〜雲南の子〜』)を見て衝撃を受けて、「なんだあれ? この貧困状態の生活が、今や日本を追い越したと言われる中国(PRC)の現在のドキュメンタリー? 100年前とかじゃなくて?」と疑問を感じ続けてきたのだが、やっと初めて、中国(PRC)の格差問題に関する事情を知ることができた。
英語できても農民工の人とは会話できないのだろうな。

3億人の中国農民工 食いつめものブルース
3億人の中国農民工 食いつめものブルース山田 泰司

日経BP社 2017-11-09
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確かに、この本は単なるルポじゃない。多分に、だから感動したのかもしれない。
年収3万の農民に未婚の母、中国貧民の向かう先:日経ビジネスオンライン 


ワン・ビンの映画

2017-12-19

メモ:ICCで坂本龍一with高谷史郎《設置音楽2》

ICCの上がって右側のあの部屋で展示。数十メートルの奥行きのある部屋で、暗くて目が慣れるまで少しかかるが、右側と左側に、天井の高さまで組まれたテレビ台みたいなものが五本ずつあり、それぞれにモニターとスピーカーが取り付けられていて、スピーカーからは音が再生され、何らかの規則に従ってモニターは明滅していた。奥にはピアノがぼんやりと浮かび上がっていた。ただし、近寄って見てみると、鍵盤部分には柵みたいなものが取り付けられていて人が演奏することはできない。しかし、鍵盤には棒が設置されていて、その棒が時々動いて、ピアノの音も発せられていた。
数分に一回くらいすべてのモニターが明るく光るときがある。その時に分かったのだが、会場には7,8人の観客が寝転がっていた。
そういう居心地の良いインスタレーションでした。

確かにこの贅沢な造りの空間でしか味わえない芳醇に作り込まれた濃厚な音像だった気はする。ヘッドフォンじゃダメだし、生演奏できない音だ。だから、レコード音楽を洗練していくと、CDとかDVDとかじゃなくて、美術館とかで展示するのが、一番適切な流通形態になるのかもしれないなあ、と思った。あと、やっぱピアノって象徴的に重要な楽器なのだなあ、と思った。

Emergenciesで展示していた和田夏美さんの作品は、目線が隠れるくらいのヘルメットを被って動き回ったり天井から吊るされたモノを触ると、ヘルメットの内側にあるヘッドフォンから音が聞こえる、という作品だったのだけど、残念なことに、何か壊れていて、うまく体験できなかった。
面白そうだったのに。





2017-12-12

メモ:六本木のシューゴアーツで藤本由紀夫さんの個展『Stars』

http://shugoarts.com/news/3300/

2mほどの高さの幅狭の本棚みたいな木製の箱に三つのオルゴールがはめ込まれてあり、鑑賞者は自由にネジを回してオルゴールの音を出すことができる、という1990年の作品。オルゴールの歯はほとんど外されていて、1,2音しか発せられない。また、この本棚のような箱が今回は、シューゴアーツの二部屋に10本以上置かれていた。
この部屋を訪れた鑑賞者は、好きなタイミングで好きな場所の本棚のどれかのオルゴールのネジを好きな回数だけ回す。すると、部屋全体に、毎回ランダムな音の羅列が毎回ランダムな方向にある音源から毎回ランダムなタイミングで発せられ、毎回ランダムな時間経過に応じて減衰していく。鑑賞者は、部屋の中の好きな位置でその音に耳を傾けても良いし、部屋の中を歩き回っても良いし、適当に部屋から出て行ってももちろん構わない。
多音源サウンドインスタレーションで、しかも、時間的にも空間的にも鑑賞者に自由があるものだし、昔から面白い作品だなあ、と思ってきたけれど、今回は、シューゴアーツで一人だけでこの作品を体験できたので、今まで知らなかった面白さを味わえた。この作品は、鑑賞者がオルゴールのネジを巻かなければ音がしないのだが、今までぼくがこの作品を経験してきたのは西宮市大谷記念美術館のAudio picnicなど他の鑑賞者もたくさんいる状況だったので、自分以外よ誰かにオルゴールを巻くのを任せても、それなりに面白かった。しかし、今日は僕しかいなかったので、僕が巻かなければ音は出てこない。オルゴールのバネが伸びきった後に巻き戻すのも僕がしなければいけない。
なので気付いたのだが、この作品は、ランダムな音の配列が生み出される最初のギアを入れるのが自分である、というのがけっこう気持ち良いものなんだなあ。

ところで、美術館じゃなくてギャラリーだったので、作品に値段が書かれてる紙もあったのだけど(あの紙は何と呼ぶのだろう)、試験管にサイコロ入れたあの作品とか数十万円するらしい。
アート作品なので高いとは思わないけど、なんでその値段なのかはさっぱり分からない。アートの値段はどのように決定されているのだろう。あと、どんな人がどんなふうな考えのもと、買うのだろう。










2017-12-05

Our article is published in Leonardo Music Journal 27.

Our article about the developmental history of sound art in Japan is out now in Leonardo Music Journal 27.

NAKAGAWA Katsushi and KANEKO Tomotaro. 2017. "A Documentation of Sound Art in Japan: Sound Garden (1987–1994) and the Sound Art Exhibitions of 1980s Japan.” Leonardo Music Journal 27: 82-86.
http://www.mitpressjournals.org/doi/abs/10.1162/LMJ_a_01024

It deals with the situation around the exhibition series Sound Garden (1987-94), a part of History of Sound Art in Japan.
I keep doing research on this subject including the comparative research with Sound Art in other Asian countries.
Please use this article as one of the references telling what NAKAGAWA Katsushi is going to do research on.

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サウンド・ガーデン展関連の論文が『Leonardo Music Journal』誌に掲載されました。
内容的には、京都近代美術館の研究誌に掲載してきた共同調査の調査報告をまとめて少しプラスαを加えた、という感じのものです。
とりあえず、自己紹介のときに使おう。
これ、複数のpeer reviewを受けたのだけど、内容への対応もけっこう骨だったけど、それと同じくらい、内容に対応したことの説明の仕方が大変だった。全ての指摘をリストにして、どのように対応したかを示して、その説明も加えて、とか。
あと、図版の著作権処理が、すごく大変だった。画像の著作権保持者と作品の著作者から署名をもらう、とか…。

2017-11-30

メモ:佐々木敦さんによるSIAFへの言及のメモ

佐々木敦さんが連載「アートートロジー」で札幌国際芸術祭に触れている回を読んだ。一回目の最後で次回の議論内容に少し期待させつつも、二回目の途中までは作品の簡潔な(とはいえ短い記述で作品の要点をえぐる見事な)記述が続いたので、確かに良い文章だけど、音楽と美術の文脈の違いを検証してくれてるわけでもないし(僕は何となくそれを少し期待していたので)なんだか物足りないなあ、と思っていたのだが、二回目の後半で、芸術祭とは何かという問題を論じることから議論を展開し、簡潔に、〈(国際)芸術祭バブルの根底にある様々なジレンマは、芸術(祭)の目的あるいは有用性が問われざるを得ないことにある〉という議論をしていて、その書きぶりに大変感心した。

「そんなものがいったい何の役に立つのか、という極めて現実的な問いに、それら[「国際芸術祭」など]は常に晒されている。そしてその問いは、アートとは、芸術とは、いったい何の役に立つのか、という、より根源的な問いを、その背後に有している。そしてそれは、私の考えでは、それこそが、問うてはならない問い、禁断の問いなのである。芸術は、何かの役に立つというものではない。すぐさま訂正する。芸術は、すぐれた芸術(何がすぐれているのか、という問題もあるのだが)は、間違いなく何かの役に立つのだし、立っている。その「何か」が何であるのかを明確に述べさせようとしてはならない。芸術の価値とは、そうしようとした途端に雲散霧消してしまうようなものなのだ。」(351)

別によくある考え方だとも言えるけど、それが役に立つのか立たないのかが問われ続ける有用性の世間に住んでいると、なかなかこんな感じで広言する機会もないので、シンプルにかっこよく断言してくれているのを読むと、気持ちが良い。
大学人たるもの、もちろん、ここでは、「芸術」という言葉の代わりに「人文学」とか「大学教育」という言葉を代入してみるわけである。

我ながらなんか情けないけど(とりわけ芸術を研究しているものとして)。
なので、急いで次の仕事の準備を始めることにしよう。

佐々木敦「アートートロジー(第6回) 「芸術祭」という問題(その1)」すばる 39.10(2017年10月号):284-293
佐々木敦「アートートロジー(第7回) 「芸術祭」という問題(その2)」すばる 39.11(2017年11月号):342-351

2017-11-28

メモ:烏賀陽弘道『「Jポップ」は死んだ』(扶桑社新書、2017年)

全体を通読した結果、パチンコと老人ホームのカラオケを最近の日本で音楽が消費される「現場」として紹介する第4章が面白かった。
ここ10年ほどで「音楽」が消費される「現場」が多様化したという視点のもと、Jポップとかポピュラー音楽について考える時にあまり注目されてこなかった「現場」を紹介しているのが、面白かった。で、なかでも、「パチンコ業界」と「老人ホームのカラオケ」の紹介が面白かった。

とはいえ、パチンコ業界がJASRACにとって大きな顧客であることは分かったけど、それが「ポピュラー音楽の消費」とどんな関係にあるのかは分からないので、まあ色々と消化不良だ。また、DTMやDAWの説明とかインターネットがインフラ化した後のマス・メディアの状況の記述とかは単純で乱暴過ぎると思う(一方向的なマスプロ体制から消費者が主役に取って代わった、みたいな説明の仕方なので)。他にも色々な「現場」があるだろうに、とか。
なので不満点は多いのだけど、〈こんな感じで、他のいろいろな「現場」を網羅できると面白かろうなあ〉と思わせてくれたのは良かったかな。

確かに、タイトルは意味不明だ。なんだこれ。
あと、第一章のライブハウスの話は、やっぱりなんか偏ってるような気がする(ということは他の章もけっこう偏っているのだろけど、そもそも最初に著者自身断っているように、これはジャーナリストと個人しての著者の現場報告みたいなものなので、そもそも偏っているものとして読めば良いのだろう)。



烏賀陽弘道『「Jポップ」は死んだ』を読み始めた。全体的な内容はまだよく分からないけど、最初の章の「ライブハウス」の話、僕が知ってる「ライブハウス」とはまったく違う世界の話みたいだ。
それでも、本でまとめられたら、その話のほうが正しく見えるし、その話のほうが伝わっていくものだ。つまり、この本に書かれている内容が「正統的」に見えるようになることだろう。
とりあえずは、この本を参考に発表したり卒論書いたりする大学生が急増するんだろうなあ。
ふーむ。

今私が読んでいる本の一節を紹介します。
「だから彼ら[最近の若いバンドマンたち]は、楽屋で共演バンド(いわゆる『対バン』)とおしゃべりして親交を結んだりしない。店のスタッフと語り合ったりもしない。「打ち上げ」の宴会などにも来ない。本番直前に現れ、ステージが終わるとさっさと帰る。帰ってライブビデオの編集をするのだという。ネットに上げて公開するそうだ。」(『「Jポップ」は死んだ (扶桑社BOOKS新書)』(烏賀陽 弘道 著)より)
この本を無料で読む: http://a.co/6nuzGyY
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Quote shared via Kindle: "だから彼らは、楽屋で共演バンド(いわゆる『対バン』)とおしゃべりして親交を結んだりしない。店のスタッフと語り合ったりもしない。「打ち上げ」の宴会などにも来ない。本番直前に現れ、ステージが終わるとさっさと帰る。帰ってライブビデオの編集をするのだという。ネットに上げて公開するそうだ。"
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コメント1件
コメント
梶山 暢子 新書って知らない分野についての知識を過不足なく与えてくれる媒体だったけどそういう新書はもうほとんど見られない、と最近友だちが呟いてたの思い出しました。岩波、中公、ク・セ・ジュ、理系ならブルーバックスあたりなら概ね「可」だけど新興のは酷いのがあります。その辺りの目利きが難しい(定本がない)のはポピュラーカルチャー研究に特有の問題ですね。卒論レベルなら定番やっとけって指導されたのが今となってはある意味納得です。
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1
11月18日 8:02
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中川 克志 この著者のこの新書が問題なのは、この著者の2005年の『Jポップとは何か』は新書だけどこの分野の基本文献のひとつとして重要である、ってことですね。
一章だけ読んだ限りでは、調査意識とか調査精度の深度や振幅や範囲がけっこうアレではないかという疑いを抱いたのだけど、まずは最後まで目を通さねば。
https://www.amazon.co.jp/Jポップとは何か―巨大化する音楽産業-岩波新書-烏賀陽-弘道/dp/400430945X
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返信11月18日 10:12編集済み
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梶山 暢子 中川 克志 まあこの人元記者だからねえ。基本文献かあ。先生は本の読み方から指導ですもんね。
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返信11月18日 11:09
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中川 克志 梶山 暢子 さらには、「本を読むべし!」と伝えるところからが指導です。
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返信
2
11月18日 11:53
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2017-11-12

メモ:日本近代音楽館レクチャーコンサートシリーズ VI 前衛の種子たち-「グループ音楽」の日々


レクチャーコンサート、「グループ音楽」の日々に参加。簡単なお話と座談会と合間に音源再生。前の人も観衆も、平均年齢高し。
グループ音楽とは、〈西洋芸術音楽の末裔としてのゲンダイオンガクというエクリチュールの音楽文化〉の中に生じた即興演奏グループなんだな、と思った。あと、それは〈hearがリリースして、今はubuwebにあるグループ音楽の録音〉で知られたグループ音楽とは、かなり別の意味付けをなされているものだな、と思った。
〈ふたつのグループ音楽〉が存在するそれぞれの文脈は、そんなに離れているわけでもないだろうけど、もう片方の音楽文化に関心のない人もたくさんいる。両方を見るのは面白いことだ。
コメント
中川 克志 日本近代音楽館レクチャーコンサートシリーズ VI 
前衛の種子たち-「グループ音楽」の日々
11月11日(土) 開演:14:00 (開場:13:30) 
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中川 克志 マニラで会ったシンガポールのマークが、グループ音楽にとても関心を持っていたことを思い出した。マニラで僕も少しだけグループ音楽に言及したけど、ハイコンテクストなことを簡単に説明するのには難儀した。僕らは、グループ音楽に、録音を通じてしか触れていないし。
当事者世代にとってのグループ音楽と、後世にとってのグループ音楽は別物であるようにしか感じられない。でも、同じものなんだなあ!
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中川 克志 質疑応答で。
グループ音楽の即興演奏に付けられた曲名は、hearが音源をリリースした時に岡本たかこさんが付けた、とのこと。元々の録音には日付けだけが記入されていたとのこと。
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