2021-06-27

メモ:小林信彦『夢の砦』(1983)

最後の場面、カワイが辰夫に何か話しかけようとするがヘリコプターの音に邪魔されるという情景描写、かっこいい。

小林信彦が自身の60年代前半の20代の頃にヒッチコックマガジンの編集長をしていた頃を題材に描いた小説らしい。小説としての展開に引きずられるようにして読んだわけではないし、事物描写の美しさなどを売りにする小説ではないし、60年代初頭のちょっとした文化風俗の珍しさと、20代の青春の焦燥(のようなもの)とが、この小説の魅力だったような気もする。確かに、小林信彦版「坊っちゃん」だったのかもしれない(が、だとすれば、長すぎるが)。

後書きなどを読むと、50歳になる前に20代のことを書くべし、と思ったとのこと。僕も50才になると、20代の頃を違うふうに思い出し始める、ということだろうか。

PDF自炊したものを読んだ。ところどころ、ページの一番端の行が切れていたのだが、なんとか読んだ。再読だがほぼ覚えていない。中学生下高校生の頃に多く読んだのだけど、かやこは「小林信彦」という名前を聞いたことがないという。



2021-06-24

メモ:劉慈欣『三体』第一部


 一作目を読了。ハードカバーでは読めず、Kindleで読了。せめて、安くなった時に買えて良かった、と思うことにしよう。

北京で、最近のアジア圏の文化の代表的要素として、Edward Sandersonさんに教えてもらったのだった。

ただまあなんというか、ディティールのびっくり具合が僕に対してはずっと不発で、「超トンデモSFだ」という感想にはならなかった…。僕の信頼する多くの人も高評価なのだけど、なぜだろう…。

三体 - Wikipedia

三体 | 劉 慈欣, 大森 望, 光吉 さくら, ワン チャイ, 立原 透耶 | 中国の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

2021-06-18

メモ:アマプラで『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』(2020)

三島由紀夫も全共闘の学生も、彼らは「反体制」とか叫んで何を実現したかったのだろう? 高学歴の喫煙男性ばかりの世界で、自分のことを反権威主義者と言い張る権威主義者たちは。丁寧に考えたら何となく分からなくもないような気がするけど、共感はできない。
結局のところ、〈権力を握って周囲を支配しようと目指す人たち(ほとんど男性)〉の権力闘争に過ぎなかったのではないか。偶々その時には権力を持っていない大学生だったのでその時の体制に反抗したりしたけど、実際に体制的な権力を手に入れるか手に入れないかは関係なく、結局は、周囲に対して権威的な関係性を構築して上位に立とうとするのだろうし、〈どんなレベルであれ人間関係にヒエラルキーは生じざるを得ないのだ〉とか言うのではないか。

2021-06-14

メモ:萩尾望都『一度きりの大泉の話』

https://www.amazon.co.jp/dp/B092D32ZPY/ref=cm_sw_r_tw_dp_69BB4DMR6VBZEV8WEPCV


70過ぎても20代前半の人間関係の決別について心を揺り動かされ続けなければならないこともあるということの厳しさを感じさせ、その人間関係の諸々について説明するためにではなく〈そのことについて話すつもりはありません〉と宣言するためだけに書かれた本を読んだ。

この人が、僕が大学受験の時に京都のホテルで(河原町三条の京都朝日会館に入っていた今はなき駸々堂コミックランドで買って)読んだ『トーマの心臓』を描いた、高校生の頃から愛読してきた天才マンガ家だというのは、この本の中身とはまた別の話だと思うが、この人が著名人だからこそ本を書いて出す必要があったわけで、そういう本の由来(とか影響力とか話題力とか)という点で、すごい本だった。
作家の人間関係を詮索してもつまらないので、マンガを改めてKindleで入手しておこう。
とかいいつつ、佐藤史生さんのひととなりに触れてある文章を読めて、佐藤史生ファンとして嬉しかった。

2021-06-12

メモ:ネトフリでET


ETが死にかけた理由も生き返った理由も不明なまま、感動のラストに突き進むご都合主義の映画が、なぜこれほど傑作扱いされているか、またあるいは、実際に月を背景に自転車で飛ぶ場面に感動するか、は、面白い文化現象だ。
その感動は間違いなく、作品の外側のエトセトラのおかげだが、そのエトセトラが機能するためには、この作品がなければいけないのだから、作品の内と外を容易く分別するわけにもいくまい。
ともあれ、良い映画体験だった。

最初は「こわいよ、こわいよ」と言っていた鼓も、最後には楽しんでいたように思うし。最後の別れ際には悲しくなっていた。

2021-06-01

メモ:Koepnick, Lutz. 2021. Resonant Matter: Sound, Art, and the Promise of Hospitality.

Koepnick, Lutz. 2021. Resonant Matter: Sound, Art, and the Promise of Hospitality. Bloomsbury Academic.

(4月頭くらいに書いたポスト、公開するのを忘れていた。)

sound art関連の研究書として確認した。Ragnar Kjartansson という作家の《The Visitors》という作品を中心に、この作品を分析することを軸として、他の様々な作品にも言及しつつ、そこから様々な読みの可能性を提示する、という書籍のようだ。

この作家は1976年生まれですでに日本でも紹介されており、「ラグナル・キャルタンソン」と記述されるようだ。この作品は、2017年の横浜トリエンナーレで展示されていたようだが、その時僕は、最終日に5ヶ月の娘と一緒に滑り込んだので、映像作品はほとんど見れていないので、記憶にない。YouTubeに映像全編がある。著者はこの作品にいたく感動したのでこのような著作を作成したとのことだが、その感動の多くはこの音楽がエピファニックだからではないだろうか、と思った。僕がYouTubeで見てそう判断しただけという可能性も高いだろうけど。サウンド・インスタレーションとして経験するとどんな感じだったのだろう。

今は8月までボストンで展示されているようだ。

横トリの展示でこの作品に感動したという記事:横浜で音楽の真価を知らしめるアートに出合う:日経ビジネス電子版 


Bloomsbury Academicの紹介ページ :研究書を電子書籍として購入する場合は、KindleよりもPDF版の方が便利。PDF版の方が安いな。

著者ウェブサイト

著者のツイッターアカウント(ほぼ使われていない)

著作:Ragnar Kjartansson (English edition) Ragnar Kjartansson



メモ:刻まれた音楽とノイズ ―ミャンマーのレコード事情―

 ミャンマーでSPレコード収集して大著を表したマウンマウンという人の著作と、自分がミャンマーで収集したSPレコードに基づく小冊子とCD。ミャンマーもガイズバーグの海外録音きっかけでレコード文化が始まったこと、ミャンマーでは60年代にもまだシェラックが使われていたこと、を知った(いずれも、マウンマウンという人の著作だけを参照したり、推察だけで記述したり、もう少し文脈を調べれば良いのに、と思った)。

レコードとは音を録音したものというだけではなく、ミャンマーの歴史と文化の中で様々な機能――付属のCDでは、例えば僧侶のお経、芝居のレコードなどなど――を果たしてきたものだ、という〈想い〉が詰まっている小冊子だなあ、と思った。