2022-11-27

メモ:JOHN CAGE / DAVID TUDOR@京都芸術センター

https://www.kac.or.jp/events/32823/

昨日のDavid Tudor《Rainforest IV》(1973)について少し。

会場1500で開演1530とのことだったが、1500の開場からもう音は発されていたし、時間で明確に区切られた演奏ではなかったので、入場した人たちがウロウロするのを辞めるまで、たぶん1610頃までずっと続いていた。会場全体の音響を聴きながら演奏者たちが音を調整するサウンド・インスタレーションが、一時間程度提示されていた、という感じ。60分の音楽作品の演奏というより、リアルタイムに音響の調整される時間限定のサウンド・インスタレーション、という感じ。

会場全体に8-10個くらいのオブジェが吊り下げられていて、4人のパフォーマーがそれに取り付けた発振器を操作し、そのオブジェを共振させる。さらに、それぞれのオブジェに取り付けたピエゾ・マイク(?)の信号をひとつのミキサーに集約し、それをニシジマ・アツシさんが操作して、会場に設置されたいくつかのスピーカーから発信していた。
チューダーがこれを「サウンド・インスタレーションとして」提示しなかったのは、「サウンド・インスタレーション」なるものがまだなかったからかもしれない。あくまでも、音楽作品として、便宜的なものでしかないとしても始まりと終わりのあるものとして、提示するということしか思いつかなかったのかな? また、チューダーは(?)、なぜオブジェを浮かべたかったのだろう?
欲を言えば、もう少し高いところにオブジェが吊るされているのを聞いてみたかった。「John Cage Countdown Event 2007-2012」のどれかで、瓜生山の造形大の春秋座でやったとき、たぶん、もっと天井高いところでVariationsのどれかをやったと思うのだけど、それはもっと天井が高かったと思う。(→2008年だったみたい。Variations III とIVが演奏されている。Inletsの演奏、覚えてるなあ。)(→と思ったら、記録が残っていた:32to34: John Cage 100th Anniversary Countdown Event 07-12 https://32to34.blogspot.com/2008/11/blog-post_29.html
50年後にこの作品を再制作する意味はなんだろう。
ごちゃごちゃしたオブジェが吊るされているなかを歩き回るのは楽しい。その中で聞こえ方が変わるのを経験するのは、楽しい。


やはりというかなんというか、色々と知人に遭遇。近くの自販機のところでこーすけくんに会った。mama!milkはふたりともいた。ニシジマ・アツシさんはコースケくんの飲み友だちらしい。世界とか京都は狭いのかもしれない。

2022-11-26

12月3日(土)に大阪の+1artギャラリーでトークイベントを行います。

 「クリスチャン・マークレーとオノマトペ」というタイトルで、マークレー以外の色々についてもお話しようと思います。+1artは小さなギャラリーですが、いつも僕のアンテナにひっかかるような作品を展示している印象。要メール予約とのことです。みなさま、どうぞおいでませ。

+1art e70 Charity&Auction http://plus1art.jp/Ja_+1/+1Current.html


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トークイベント

「クリスチャン・マークレーとオノマトペ」

|日 時| 12 月03 日(土) PM 5~
|出 演| 中川克志(横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院准教授)
|会 場| +1art
|参加費| 500円(1ドリンク付)
|要メール予約| +1art (gal@plus1art.jp )



中川 克志 NAKAGAWA Katsushi

専門は音響文化論。19世紀後半以降の芸術における音の歴史、理論、哲学(音のある芸術、サウンド・アート研究、音響メディア論、ポピュラー音楽研究、サウンド・スタディーズなど)。論文に「クリスチ ャン・マークレイ試論─見ることによって聴く」、東京都現代 美術館で昨年から今年にかけて開催された「クリスチャン・ マークレー /トランスレーティング 」展の図録に「クリスチャ ン ・マークレー再論ー世界との交歓」を寄稿。ポップスバンド ・OK ミュージックボールのドラマーでもある。 

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2022-11-25

sakana『Le Rayon -光線-』(1994)などについて

sakanaのバイオグラフィ番外編が公開されている。

To my friend who doesn't come yet.: sakana biography 番外編 1997~2009 https://kazuhiro-nishiwaki.blogspot.com/2022/11/19972009.html

1997年以降に関わったある人(=高橋健太郎)とのことが記述されている。何というか、僕の好きな音楽家に何してくれてんねん、という苛立ちとか怒り(?)とかやりきれなさとかを感じる。確かに僕にとっては他人事なのだが、もしかしたらsakanaはもっと良いoutputができていたかもしれないし、過去のアルバムももっと手に入れやすくなっていたのではないか、とか思ってしまった。
(あと、「やはりこの人とやり取りしても不毛なんだな」という感想も抱いた。)


僕がsakanaを知ったのは、たぶん21歳(1996年)の秋頃。『Le Rayon -光線-』(1994?)を知った。歌とギターだけの編成で色々なリズムやニュアンスが表現されているのが、もう本当にカッコよくて、今までずっと聴き続けてきた。ギターの微妙なニュアンスのすべてが、もうコレしかないように聞こえていた。
その頃は周りで流行っていたような記憶がある。「周り」って、たぶんかなり狭い「周り」かもしれないけど。京都にライブに来るたびに見に行っていた記憶もある(ほんとかな?)。磔磔くらいのライブハウスならいつもいっぱいで立ち見だったし、きっとこの二人組は日本の音楽業界のどこかを上っていって伝説になるんじゃなかろうか、とか思ってた気もする。
とにかく好きだったのだけど、2011年に横浜に来て、下北沢のleteに行けば見れるらしいことを知って「そのうち行こう」とか思っていて、全然行かなかったことを反省している。
sakana、昨年末をもって活動終了「理由は34年分ありますから言葉にはなりません」(動画あり) - 音楽ナタリー https://natalie.mu/music/news/314914


sakana『Le Rayon -光線-』が何年発売のアルバムなのか、すぐには分からなかった。アマゾンによれば1995年4月21日とのこと。disc unionによれば1994年1月1日とのこと。ウィキペディアによれば1994年とのこと。


→追記
To my friend who doesn't come yet.: sakana biography 番外編 1997~2009 http://kazuhiro-nishiwaki.blogspot.com/2022/11/19972009.html
いいように丸め込まれて終わるのかな、とも思っていたけど、ちゃんと言いたいことを言っていて立派だな、と思った。「はいはいごめんなさいすみません」で終わらせてしまうのもアリな気もするし。10年以上続いて終わった(?)人間関係をそのさらに10年後に回顧するというのは、きっと、そうする必要があったからだと思うけど、なんと体力の必要な話なんだろう。関係者各位全方位的に、みんな、幸あれ。
ともあれ、原盤を制作して売ることにはこんなごちゃごちゃがありえる、というのをしっかり示してくれた音楽家に望むことではないかもしれないけど、sakana『Le Rayon -光線-』を再発してください。捨てるわけないから僕の部屋のどこかにあるはずだけど、見つけられる気がしない。

2022-11-21

Macのキーボードショートカットの変更:「ペーストしてスタイルを合わせる」

僕の環境のクリップボード履歴アプリClipyでは、コピペした文書の書式設定を外してプレーンテキストとして貼り付けるショートカットは「command + shift + v」に設定してある。
しかし、pages, keynote, numbersの初期設定では、「ペーストしてスタイルを合わせる」ためのショートカットは「command + shift + option + v」に設定されている。
その際は、設定>キーボード から、キーボード・ショートカットを設定すること。それだけでよい。

2022-11-17

ネトフリで『花束みたいな恋をした』

 映画『花束みたいな恋をした』公式サイト https://hana-koi.jp/

花束みたいな恋をした - Wikipedia 

音響文化論演習で二人の「おたく(?)」の話を聞いて、その後いけだの素晴らしい話を聞いて、触発されて、見た。

最後のエンドロールの音楽のドラムイントロが抜群にカッコよかった。

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  1. 『花束みたいな恋をした』の感想:小説とか映画とかのウンチクとか共感を軸に会話を進めるふたり、という設定のくせに、モノローグで物語を進行するタイプのダサい映画だった。これでは、見ていてまったくドキドキしない。押井守の映画はもっと映画的に物語を進行させるぞ。少なくとも、ここまでモノローグには頼らないと思う。なんやねん、このふたり。つらい。(40分くらいのところまで見た。二人は道端でキスをして、あれこれして、部屋にこもり続けた。)
  2. 『花束みたいな恋をした』の感想:小説とか映画とかのウンチクとか共感を軸に会話を進めるふたり、という設定のくせに、モノローグで物語を進行するタイプのダサい映画だった。これでは、見ていてまったくドキドキしない。押井守の映画はもっと映画的に物語を進行させるぞ。少なくとも、ここまでモノローグには頼らないと思う。なんやねん、このふたり。つらい。(40分くらいのところまで見た。二人は道端でキスをして、あれこれして、部屋にこもり続けた。)


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UbuntuPDFを簡易編集するためにOkularをインストールした

qpdfviewより使いやすいPDFビューワ「Okular」 | ラズパイダ https://raspida.com/pdfviewer-okular

第731回 Ubuntuのドキュメントビューアーとして最適なOkularを使用する | gihyo.jp https://gihyo.jp/admin/serial/01/ubuntu-recipe/0731


2022-11-14

メモ:再制作されたイントナルモーリについて

ルッソロのイントナルモーリの復元についてちょっと聞かれただけのことに答えるために、いろいろ調べてしまったので、せっかくなので、メモを残しておく。2009年に復元されたものがけっこうまとまって復元された最初のもの、という理解で良いかもしれない、と考えておこうと思った。

この動画のイントナルモーリはどこが持っているのか?という質問。


どこが持っているか分からないが、たぶん2009年に復元されたものだと思うがその確証もない、というのが答え。
典拠の曖昧なものを事例に使うのは研究者としてダメだけど、これはある程度傍証を集められる。
とりあえず以下のようなことを調べたのでメモしておく(調べたといっても基本はネットを検索しただけだが)。

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1.

YouTubeのキャプションには2012 exhibition at Lisbon’s Museu Coleção Berardo」とあり、ポルトガルのベラルド現代近代美術館 (Museu Coleção Berardo)で2012年に展示されたもののようだが、「Museu Coleção Berardo intonarumori」と検索しても確証が得られない…。

2.

英語版Wikipediaの「Intonarumoriの「Intonarumori reconstruction」という部分の説明によると、ルッソロの手になるスケッチなどに基づいて復元されたイントナルモーリたちは三セットあるらしい。

1.イタリア未来派100周年を記念してSFMoMAなどが協賛して2009年辺りに作られたもの
2.「雑音の芸術」100周年を記念してカーネギーメロン大学などが協賛して2013年辺りに作られたもの
3.オランダのサウンド・アーティストのWessel Westerveldという人が作ったもの

近年のルッソロ研究として参照すべきChessa, Luciano. 2012. Luigi Russolo, Futurist: Noise, Visual Arts, and the Occult. University of California Press.によると、1は、Luciano Chessaがグラントをとって調査研究したうえで復元作業を行ったものとのこと(Chessa 2012: 275 ch9のn35)。これもそう。
2と3がダメということでもなさそう。どちらも詳細不明だが、3はオランダ語の情報しか見つけられないけど、これなどしっかりした造りで復元しているみたいで、面白そう

3.

Wikipediaに書かれていないものもたくさんある
秋山邦晴が復元したことで日本では有名な多摩美のイントナルモーリもそう。というか、一台だけ復元した事例はWikipediaに記載しきれないほど多い、ということかもしれない。
たぶん一番流通しているルッソロ《都市の目覚め》の録音物は、1977年のヴェニス・ビエンナーレの際に復元されたイントナルモーリを使って、1978年にDaniel Lombardiというひとが収録したもの(と、ライナーノーツに書いてあったけど、このspotifyのリンク先では1977年と書いてあるな…)。
1の復元をしたLuciano Chessaも、Pietro Verardoなる人物による復元ヴァージョンを参照した、と述べている。

4.

なので、上記動画のイントナルモーリは、おそらくLuciano Chessaという、ルッソロ研究の著作もある音楽家が復元したものだと思うが、確証はない本人に聞くのが一番早い/速い案件だろうな。
:Luciano Chessa website https://www.lucianochessa.com/

追記:

ところで、色々検索していたら、大友良英さんが2005年に書いたJAMJAM日記を発見した。
ここで、1914(大正4)年の日本の記事で、イギリスでイントナルモーリ初演を見た日本人による報告記事に言及があり、さらに、大友良英さんは2002年に多摩美のイントナルモーリを使って演奏会をしてCDをにもなった、ということを書いている。
でも、このCDはなかなか入手しにくそうだ以下のようなウェブサイトが出てきたのだけど、けっこう典型的な詐欺サイトにしか見えない。違ったらほんとごめんなさい。でも、僕はちょっと使えないなあ…

巨大騒音楽器 INTONARUMORI ORCHESTRA*02年多摩美大美術館実況録音 /大友良英 /伊東篤弘 /Sachiko M /秋山徹二 /中村としまる /杉本拓 ヤフオク! - 巨大騒音楽器 INTONARUMORI ORCHESTRA 02年多摩... [b1035586969] - 9,700円 https://nsexjv.worlden.top/index.php?main_page=product_info&cPath=60_61&products_id=16877

ともあれ、このCD聞いてみたいな。

2022-11-12

映画『Coda コーダ あいのうた』

映画『Coda コーダ あいのうた』公式サイト https://gaga.ne.jp/coda/

主題的に 見ておこうと思って、でも、父と娘の物語として見てしまった。

CODAである娘がデュエットで歌う場面、娘が「人生をすべてあなたに捧げてきた云々」と歌った直後、音が消えてろう者である父親の主観ショット(っていうんだっけ?)になる。しかも主観ショットの最初の一瞬は、父親が画面のこちらがわ(=観客たち)を見る主観ショット。父親たちの「孤独さ」を一瞬で理解させる凄いショットだった。

この秀逸なショットがあったせいで、僕はこの映画を傑作として最後まで見てしまった。なので、この演奏会の後、主人公のCODAの娘とV先生との仲直りの場面が描かれないままに二人がわだかまりもなく話している場面になるが、そういうところも許せる(先生の家族が初登場したり先生が動画で手話を独習したり、という描写があるので、おそらくいくつかのエピソードがカットされたのだろうと思う)。女の子だけが地元を離れるというところで『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから』を思い出したりするなど。大学進学を機にサバービアから脱出する娘。僕も娘には「go」と言ってあげたいものである。

コーダ あいのうた - Wikipedia :2014年のフランス映画『エール!英語版』の英語リメイクらしい。アカデミー賞作品賞を受賞したらしい。

2022-11-10

Ubuntu再インストール

いったん起動して授業で研究室を離れた後に戻ってくると、再ログインできなくなった。Chrome remote desktopを使うために設定をいじった(がすべて失敗した)からだと思う。リモートデスクトップできないならChromeOSでも構わない気もするが、Dropboxやクリップボード履歴アプリがあるというのが便利なので、Ubuntuを再インストールすることにした。

とはいえ、もはや研究室にはUSBメモリも空のDVD-Rもないので(探したらあるのかな?)、自宅に転がっていたUSBメモリにubuntuを入れて、研究室に持ってきてUSBメモリからインストールする必要があった。なので、決めて実行は翌日。

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インストール作業

0930:研究室ではWindows用キーボードを使っているので、optionキーではなくaltキーで、起動ディスクを選択。そのままインストールしようとすると固まって止まってしまったので(原因不明)、try ubuntu with Japanese inputから起動して、インストールすることにした。

1030:キーボードレイアウトを決めてからしばらく固まっているように見える。

1039:やっと「アップデートと他のソフトウェア」、開始。地域やユーザ名など選択。

1041:「Ubuntuへようこそ」画面で「ファイルをコピーしています」が始まる。サードパーティ製のあれこれはダウンロードしないけど、その他の色々はダウンロードしてアップロードしながらインストールする設定で。

1130くらいに終了。

「ソフトウェアの更新」を始めたら1236になってもまだ終わらず。午後の授業に行かねば。先にChromeなどインストールすべきだった。

1930:研究室に戻ってきた。ソフトウェアの更新は終了していたので再起動。少しだけアップデートなどやって帰宅。続きは土曜日。以下のようなことをする予定。

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★最初の設定

◯基本

Chromeを導入すべし
I am alive.: Ubuntuで[英数]キーで直接入力、[かな]キーで日本語入力 ←ターミナル操作した後に再起動すべし、各モードでの『 Henkan 』の入力キーを探し出して全て『 IME を有効化 』にするのがポイント →2023年2月2日lubuntuではうまく行かなかったので全て「ひらがなに入力切替」に設定した

マウス操作は、設定から変更

このウェブサイト(金子邦彦研究室)の情報を基本にしよう

◯その他:インストールすべし

Remember the milk
vlc
gimpより軽い画像処理アプリを何か
いちおうwineも
spotifyも?

2022-11-04

メモ:大竹伸朗展@東京国立近代美術館

https://www.momat.go.jp/am/exhibition/shinro-ohtake/

7つのテーマ云々は正直よく分からんかった。
でも、その膨大で圧倒的な創作意欲はすごい。東京にはおさまりきらないだろう。
遠くから見れば人体らしく見えるものに近づけば「ゴミ」である云々。という感受性に、20代は圧倒的に痺れていたことに改めて気付くなど。僕は繕い物が好きなだけど、それも、この延長線上にあることは間違いない。ツギハギのある方がカッコ良い、という感覚なのだ。