僕もそろそろ34なので、それなりに学んできたことがある。
その一つ。
人生には、すぐにそれとわかる明確な区切りは、あまりない。
入学、卒業、結婚、人との出会いと別れ、色々な節目と呼ばれるものはあるけど、それは、ある程度までは自分が努力しないと節目としては機能しない。それに、たいていは、それは事後的に節目として認識されるだけだし、たいていは、その節目とは別の瞬間の方が大切だったりする。
ま、これは一般論。
で、何が言いたいかと言うと、人はたいてい、後から考えると決定的な瞬間を、そうだとは考えずに過ごすもんだ、ってこと。
良くも悪くも。
人生は偶然と成り行きでできていると思うので、それはそれで良いんだろう。
で、たぶん、、僕にとっては、今日と明日はそういう日になる「かも」しれん、と思ったってこと。
明日「先生面」したら、1ヶ月はしなくて良いので。
奇しくも、中学からの友達も、今日と明日、凱旋帰国という形式の引っ越しだし。
がんばって、この無視と抑圧の(無視や抑圧さえも隠蔽される)格差社会から脱出せねば。(そしてまた、別種の無視と抑圧の格差社会に直面するんだろうか。せめて無視や抑圧を受けていることを発言できる人とか場所を確保せねば。)
ま、その程度の区切りなので、実はそれほどたいしたこたあないのかもしれん。
これがクギリなら、今後しばらく、いっぱいあるな。
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