自分が話す原稿をそのままスライドに掲載する(しかもその後、日本語訳を読み上げる)って。。。
でヴぃっどだんは、この世界とのコミュニケーションの音響的記録(ベイトソン的な意味での「マインド」の軌跡)を作品として提出する人だから、自分の活動の提示方法には意識的なはずだから、これはわざとなのかもしれん。
つまりたとえば「グランドキャニオンで吹かれるトランペットと野鳥の鳴き声の交歓」とか「北半球で初めて録音された、超音波でコミュニケーションする両生類の鳴き声」とかを、音響作品(環境音楽とかサウンドアート)として提示することには、この音は何か、とか、これをアートとか科学的発見物として提示するとはどういうことか、といった問題があってややこしいのではないかと思うのだ。
が、珍しい生物の写真とその生物の録音を再生すると、結構それだけで面白い。
ただし、その音響が、アートとして経験されるかどうかは、あやしい。
コンセプトの裏打ちと解説がなければ、何も分からないのではなかろうか。
僕は好きだが、コンセプトの裏打ちがなければ退屈だ。
こういう音響経験は、アートを通じなければできないものなんだろうか?
ともあれ、通訳がいるので、かなり速い速度でしか英語を話さないので、ほとんど分からない。
スライドの文字は小さいし。
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