って、こんなんだよなー。
2012-05-30
メモ「ワシントン広場の夜は更けて(Washington Square)」
この前、丸山さんとスパイク・ジョーンズについて話ていて知った曲。
元はThe Village Stompersの1963年のヒット曲。スパイク・ジョーンズの「冗談音楽」とは無縁にも思えるしっとりとした曲だった。
こういうものも演奏していたようだ。
というか、もしや、日本向けには、この曲のカバーで有名だったりするのだろうか?
ダニー飯田&パラダイスキングというグループが、1964年に日本語歌詞をつけてカバーしている。60年代前半まではこういうのー「訳詞ポップス」と言うのか?ー多そうだ。正確にいつからいつまでこういうのが多かったのか、とかは、近いうちに輪島さんが『アルテス』の連載の中で明らかにしてくれるに違いない。
元はThe Village Stompersの1963年のヒット曲。スパイク・ジョーンズの「冗談音楽」とは無縁にも思えるしっとりとした曲だった。
こういうものも演奏していたようだ。
というか、もしや、日本向けには、この曲のカバーで有名だったりするのだろうか?
ダニー飯田&パラダイスキングというグループが、1964年に日本語歌詞をつけてカバーしている。60年代前半まではこういうのー「訳詞ポップス」と言うのか?ー多そうだ。正確にいつからいつまでこういうのが多かったのか、とかは、近いうちに輪島さんが『アルテス』の連載の中で明らかにしてくれるに違いない。
この前のライブの映像
楽しそうなおっさんたちだ。
先週の学祭で見たmicannを思い出し、何かを反省するふりをしようかどうか迷うことしきりである。
mmm(ミーマイモー;右側のフルートの女)はずば抜けて若くて(たぶん23か24)、ほかは全員30代後半から40代前半(だと思うが正確には知らない)。
三沢洋紀と岡林ロックンロール・センター 2012年5月19日 at 音飯 "とろみナイトvol.3"
おそらく、うえの動画に写ってるおっさんたちも20前後の頃は下の動画の人たちのように瑞々しかったのではないかと想像される。
ベースのコゾーさんとか左手前でギター引いてる一平くんは、ハードコアな人たちだったので、髪の毛をトサカかのようにツンツン立ててたらしいし(なのにふたりともオザケンのファンだったらしい)。
あ、だから、瑞々しかったとは思うけど、「下の動画の人たちみたいに瑞々しい」わけじゃなかったんだろうな。
↓
先週の学祭で見たmicannを思い出し、何かを反省するふりをしようかどうか迷うことしきりである。
mmm(ミーマイモー;右側のフルートの女)はずば抜けて若くて(たぶん23か24)、ほかは全員30代後半から40代前半(だと思うが正確には知らない)。
三沢洋紀と岡林ロックンロール・センター 2012年5月19日 at 音飯 "とろみナイトvol.3"
おそらく、うえの動画に写ってるおっさんたちも20前後の頃は下の動画の人たちのように瑞々しかったのではないかと想像される。
ベースのコゾーさんとか左手前でギター引いてる一平くんは、ハードコアな人たちだったので、髪の毛をトサカかのようにツンツン立ててたらしいし(なのにふたりともオザケンのファンだったらしい)。
あ、だから、瑞々しかったとは思うけど、「下の動画の人たちみたいに瑞々しい」わけじゃなかったんだろうな。
↓
メモ:五木寛之『青年は荒野をめざす』(1967)
「ジュン(主人公)の北欧珍道中」みたいなコミカルなお話ではないので要注意(そのように見えるけど)。
「外国語の問題」があまりにも簡単に乗り越えられている(実質的にゼロ)という設定だけで、この脳内パラダイスのなかにだけ存在する「荒野」のことを真剣に考えるのはバカバカしいと思うのだが、これがリアルに心に迫った時代があったのだろう。1967年の「荒野」はけっこう安全そうに思われるのだが、こういうものが「荒野」に見えていた時代だった、ということなんだろう。
音楽とセックスに浸る若者たちは自由と夢を荒野に求めて走り続けていたらしい。「圧倒的共感を呼んだ」とあるが、どれくらい共感を呼んだのかは知らないが、けっこう共感を呼んだのかもしれない(同じくらいあるいはそれ以上に、バカバカしいと思った人も多いに違いないが)。
文藝春秋|いい男35冊|青年は荒野をめざす|特設サイト
「他者」に目を向けずに「自分」のことだけを考えるために、「荒野」とか「人生」とか「世界」とか「放浪」とか、そういうもの(”脳内他者”)に夢中になるための触媒は、いつでもどこにでもあるのかもしれない。
それはアラン・シリトーかもしれないし尾崎豊かもしれないしエルビス・プレスリーかもしれないけど。
と、書いてみて思ったけど、こういう「青春十代思春期のための文化」が存在しない文化、ってのは、けっこうたくさんあるに違いない。そこでは「10代のための文化」というカテゴリーはないのだろうと思うが、だとすると、そこでは「文化」はどんな僧帽を見せているのだろう。
フォーククルセイダーズの青年は荒野をめざす(1968) - Wikipedia:
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、この本ではなんといっても「ジャズ」が万能の霊薬みたいに大変なものとなっている。五木寛之と「エンカ」の問題については、輪島さんの著作が詳しいのでまた読みなおしておくべきだが、以下、少しだけ、この本の中で「ジャズ」に言及している言葉をメモしておく。
「ジャズにとりつかれると不幸になるわ。…本当のジャズの道は、独りきりで歩いて行く道よ。誰も歩いた事のない、危険な荒野へ、楽器だけをたよりに踏み込んで行くんだわ。…」(47):最初に、ナホトカに向かうバイカル号の船内で、アンソニー・フィンガーと出会ったジュンにヘレンが言った言葉
「…現在の生活に満足しきっている人間に、果してジャズが必要だろうか? ジャズは幸福にちょっぴり味をそえるBGMなんかじゃない。それは突撃ラッパだ。現実を変えたいとと熱望している人間の旗じるしだ。それはー」(251):コペンハーゲンで再会した、麻薬からは足を洗って妻のヘレンと幸福な家庭生活を営もうとしているアンソニー・フィンガーの言葉
「フィンガーはパパになる日を夢にまで見てるんだ」というジュンの言葉に対して「そいつが駄目なんだよ。…ジャズは孤独な道だからさ。…この世の大事なものを犠牲にしなきゃ、その場所には立てない。ジャズの神様はエゴイスティックなんだ。幸福で、満足して、それでジャズをやろうったって無理な話さ。本当のジャズは、その日、その日のギリギリの生き方の反映だから。ジャズメンは、その人生のクライシス・モーメントに立って演奏を続けて行かなけりゃならん。そして、本当の音楽家は、必ず不幸になる。外からはどんなに栄光に包まれているように見えてもだ。…」(288-289):フィンガーをNYに連れ戻そうとやってきたジャックの言葉
「私はあなたに何かこれまでのジャズメンと少し違ったものを感じるのだ。なんといったらいいかわからないけど、自分の人生とジャズをぴったり重ね合わせて、何か変に生真面目にそれを追いかけてるーー。アメリカ人や黒人のジャズとはちがう、何かがあるわ。それはあなたが東洋人だからかも知れない。それが私には気になるのよ。日本人は、長い歴史と独自の文化の伝統をもつ民族だわ。思想的にも、感覚的にもわたしたち白人とも黒人とも違うものを持ってる。その中に本当のジャズが育ったとき、どんなものが生まれるだろうと私は考えているの」(315):パリで再会したクリスティーヌがジュンをプロモートしようと思った時に話した言葉
「男たちは常に終りなき出発を夢みる。安全な暖かい家庭、バラの匂う美しい庭、友情や、愛や、優しい夢や、そんなものの一切に、ある日突然、背を向けて荒野をめざす。だから彼らは青年なのだ。それが青年の特権なんだ。ジュン君がジャズをやりたいと思う。するとこれまでのジャズの世界に安住しているだけでは気がすまない。誰もこれまで行ったことのない、新たなジャズの未知の荒野をめざして君は歩き出す。だからは君はジャズをやる権利がある。麻紀さんだってそうかも知れん。わしだって、そうだった。地方大学の教師の職と平和な家庭を捨てて、わしは新宿に自分の荒野を探した。そしていま、若い君たちとヨーロッパを南下し、何が待っているかわからないアメリカへ行こうとしている。つまりわしも荒野をめざす青年の一人なのだ。そうじゃないか、え?」(393):「プロフェッサー」というあだなの新宿で馴染みだった老人の最後の言葉、この小節のテーマの独白みたいなもの
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)
輪島 裕介
「外国語の問題」があまりにも簡単に乗り越えられている(実質的にゼロ)という設定だけで、この脳内パラダイスのなかにだけ存在する「荒野」のことを真剣に考えるのはバカバカしいと思うのだが、これがリアルに心に迫った時代があったのだろう。1967年の「荒野」はけっこう安全そうに思われるのだが、こういうものが「荒野」に見えていた時代だった、ということなんだろう。
音楽とセックスに浸る若者たちは自由と夢を荒野に求めて走り続けていたらしい。「圧倒的共感を呼んだ」とあるが、どれくらい共感を呼んだのかは知らないが、けっこう共感を呼んだのかもしれない(同じくらいあるいはそれ以上に、バカバカしいと思った人も多いに違いないが)。
文藝春秋|いい男35冊|青年は荒野をめざす|特設サイト
「他者」に目を向けずに「自分」のことだけを考えるために、「荒野」とか「人生」とか「世界」とか「放浪」とか、そういうもの(”脳内他者”)に夢中になるための触媒は、いつでもどこにでもあるのかもしれない。
それはアラン・シリトーかもしれないし尾崎豊かもしれないしエルビス・プレスリーかもしれないけど。
と、書いてみて思ったけど、こういう「青春十代思春期のための文化」が存在しない文化、ってのは、けっこうたくさんあるに違いない。そこでは「10代のための文化」というカテゴリーはないのだろうと思うが、だとすると、そこでは「文化」はどんな僧帽を見せているのだろう。
フォーククルセイダーズの青年は荒野をめざす(1968) - Wikipedia:
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さて、この本ではなんといっても「ジャズ」が万能の霊薬みたいに大変なものとなっている。五木寛之と「エンカ」の問題については、輪島さんの著作が詳しいのでまた読みなおしておくべきだが、以下、少しだけ、この本の中で「ジャズ」に言及している言葉をメモしておく。
「ジャズにとりつかれると不幸になるわ。…本当のジャズの道は、独りきりで歩いて行く道よ。誰も歩いた事のない、危険な荒野へ、楽器だけをたよりに踏み込んで行くんだわ。…」(47):最初に、ナホトカに向かうバイカル号の船内で、アンソニー・フィンガーと出会ったジュンにヘレンが言った言葉
「…現在の生活に満足しきっている人間に、果してジャズが必要だろうか? ジャズは幸福にちょっぴり味をそえるBGMなんかじゃない。それは突撃ラッパだ。現実を変えたいとと熱望している人間の旗じるしだ。それはー」(251):コペンハーゲンで再会した、麻薬からは足を洗って妻のヘレンと幸福な家庭生活を営もうとしているアンソニー・フィンガーの言葉
「フィンガーはパパになる日を夢にまで見てるんだ」というジュンの言葉に対して「そいつが駄目なんだよ。…ジャズは孤独な道だからさ。…この世の大事なものを犠牲にしなきゃ、その場所には立てない。ジャズの神様はエゴイスティックなんだ。幸福で、満足して、それでジャズをやろうったって無理な話さ。本当のジャズは、その日、その日のギリギリの生き方の反映だから。ジャズメンは、その人生のクライシス・モーメントに立って演奏を続けて行かなけりゃならん。そして、本当の音楽家は、必ず不幸になる。外からはどんなに栄光に包まれているように見えてもだ。…」(288-289):フィンガーをNYに連れ戻そうとやってきたジャックの言葉
「私はあなたに何かこれまでのジャズメンと少し違ったものを感じるのだ。なんといったらいいかわからないけど、自分の人生とジャズをぴったり重ね合わせて、何か変に生真面目にそれを追いかけてるーー。アメリカ人や黒人のジャズとはちがう、何かがあるわ。それはあなたが東洋人だからかも知れない。それが私には気になるのよ。日本人は、長い歴史と独自の文化の伝統をもつ民族だわ。思想的にも、感覚的にもわたしたち白人とも黒人とも違うものを持ってる。その中に本当のジャズが育ったとき、どんなものが生まれるだろうと私は考えているの」(315):パリで再会したクリスティーヌがジュンをプロモートしようと思った時に話した言葉
「男たちは常に終りなき出発を夢みる。安全な暖かい家庭、バラの匂う美しい庭、友情や、愛や、優しい夢や、そんなものの一切に、ある日突然、背を向けて荒野をめざす。だから彼らは青年なのだ。それが青年の特権なんだ。ジュン君がジャズをやりたいと思う。するとこれまでのジャズの世界に安住しているだけでは気がすまない。誰もこれまで行ったことのない、新たなジャズの未知の荒野をめざして君は歩き出す。だからは君はジャズをやる権利がある。麻紀さんだってそうかも知れん。わしだって、そうだった。地方大学の教師の職と平和な家庭を捨てて、わしは新宿に自分の荒野を探した。そしていま、若い君たちとヨーロッパを南下し、何が待っているかわからないアメリカへ行こうとしている。つまりわしも荒野をめざす青年の一人なのだ。そうじゃないか、え?」(393):「プロフェッサー」というあだなの新宿で馴染みだった老人の最後の言葉、この小節のテーマの独白みたいなもの
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創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)
輪島 裕介
2012-05-29
DVDで溝口健二『赤線地帯』(1956)
群衆劇で登場人物全員を把握できなかったが、ラーメン屋の場面がジーンときた。
「今にあの時死ななくて良かったって思うようになるわ。」
50年代に日本の映画に電子音が使われた珍しい事例ー映画音楽担当は黛敏郎ーだが、テルミンなどの電子楽器を使ったに過ぎないように聞こえた(→こんな感じの音:http://www.youtube.com/watch?v=xIGyMEFyaCM)。
実際は、これは、クラヴィリオンとミュージカル・ソウとスティール・ギターの使用の特色があるものらしい。
これで「論争」が起きたというのは、まったく不思議だ。電子音に対する違和感は、今から想像がつかないくらい大きかったんだろうなあ。
これが「同時代の現代劇」(売春防止法制定前後ー公布は1956年5月24日ーの社会情勢をリアルタイムに取り入れた現代劇)だったってのもなかなか不思議である。
この二年後は『オールウェイズ 三丁目の夕日』の世界なわけで、そこでは描かれないものがいっぱいあるんだろうなあ、と想像させてくれるからだ。
黄金町はどんなとこだったんだろうなあ。
赤線地帯 [DVD]
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露木茂の「ニュース映画で見る昭和」の映像らしい。
「今にあの時死ななくて良かったって思うようになるわ。」
50年代に日本の映画に電子音が使われた珍しい事例ー映画音楽担当は黛敏郎ーだが、テルミンなどの電子楽器を使ったに過ぎないように聞こえた(→こんな感じの音:http://www.youtube.com/watch?v=xIGyMEFyaCM)。
実際は、これは、クラヴィリオンとミュージカル・ソウとスティール・ギターの使用の特色があるものらしい。
これで「論争」が起きたというのは、まったく不思議だ。電子音に対する違和感は、今から想像がつかないくらい大きかったんだろうなあ。
参考:長門洋平 2009 「溝口健二『赤線地帯』(1956)の音響デザイン」 演劇博物館グローバルCOE紀要『演劇映像学』1(2009年):117-142。
これが「同時代の現代劇」(売春防止法制定前後ー公布は1956年5月24日ーの社会情勢をリアルタイムに取り入れた現代劇)だったってのもなかなか不思議である。
この二年後は『オールウェイズ 三丁目の夕日』の世界なわけで、そこでは描かれないものがいっぱいあるんだろうなあ、と想像させてくれるからだ。
黄金町はどんなとこだったんだろうなあ。
赤線地帯 [DVD]
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露木茂の「ニュース映画で見る昭和」の映像らしい。
2012-05-28
録画してあった『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)
面白かったー。
物語とか心情描写の勘所の多くが俳優の表情で物語られるので、映画館で見たくなった。
けど、今日は休養なので映画館に行ってはいけない。
オール・アバウト・マイ・マザー - Wikipedia
オール・アバウト・マイ・マザー [DVD]
『トーク・トゥ・ハー』と同じく、最初と最後は「演劇のステージ」の場面だった。
この映画では劇中劇のように『欲望という名の電車』が使われていた。
あらゆるレベルでゲイに縁の深い物語だけど、そういうことに気を回す余裕がないくらい面白い映画だった。
欲望という名の電車 [DVD] FRT-140
物語とか心情描写の勘所の多くが俳優の表情で物語られるので、映画館で見たくなった。
けど、今日は休養なので映画館に行ってはいけない。
オール・アバウト・マイ・マザー - Wikipedia
オール・アバウト・マイ・マザー [DVD]
『トーク・トゥ・ハー』と同じく、最初と最後は「演劇のステージ」の場面だった。
この映画では劇中劇のように『欲望という名の電車』が使われていた。
あらゆるレベルでゲイに縁の深い物語だけど、そういうことに気を回す余裕がないくらい面白い映画だった。
欲望という名の電車 [DVD] FRT-140
2012-05-26
2012-05-25
小林ゼミでは打ち上げ
を毎週やってる。
ゼミでは男女比が女性七割以上だったのに飲み会では逆になってたが、ゼミではみんな積極的に発言するし、なかなかアクティブなゼミだった。
いーなー。
なかなか面白い経験でした。
ありがとうございました。
またよろしくお願いします。
ゼミでは男女比が女性七割以上だったのに飲み会では逆になってたが、ゼミではみんな積極的に発言するし、なかなかアクティブなゼミだった。
いーなー。
なかなか面白い経験でした。
ありがとうございました。
またよろしくお願いします。
2012-05-23
メモ:ラ・モンテ・ヤングに関する研究書
先月号のThe Wireで、ラ・モンテ・ヤングに関する研究書として紹介されていたのでチェック。
The Wireでは、著者は作曲家との個人的親交を得ているが楽譜を使う許諾を得損ねたなどいくつか不備があるので惜しいところで「決定版」になりそこねている、というニュアンスで紹介されていた。
でも、そんなに否定的な評価をすべき本ではないと思う。
確かに、どこまでいってもやはり「研究書」でしかないし、何となく惜しいところがあるように思われるし、徹底的な「楽曲分析」がなされている様子はないが、でも、ダメな研究書じゃない。全部目を通してないけど、きっちり先行研究に目を通しているし、この本の方向性とか限界にも言及しているし。
僕は実はラ・モンテ・ヤングに関する論文をモノにした研究者でもあるので、ミニマル・ミュージック関連の研究の動向はキャッチアップしておこうと思うのだが、なんつうか、対象の細分化が進んでいくばかり、という気がするな。
ウィム・メルテンとかナイマンの先駆的論文が、先駆的であるがゆえに「画期的」と評価されるのはツマラナイなあ。
Draw a Straight Line and Follow It: The Music and Mysticism of La Monte Young
Jeremy Grimshaw
Grimshaw, Jeremy. 2011. Draw a Straight Line and Follow It: The Music and Mysticism of La Monte Young. Oxford: Oxford University Press.
The Wireでは、著者は作曲家との個人的親交を得ているが楽譜を使う許諾を得損ねたなどいくつか不備があるので惜しいところで「決定版」になりそこねている、というニュアンスで紹介されていた。
でも、そんなに否定的な評価をすべき本ではないと思う。
確かに、どこまでいってもやはり「研究書」でしかないし、何となく惜しいところがあるように思われるし、徹底的な「楽曲分析」がなされている様子はないが、でも、ダメな研究書じゃない。全部目を通してないけど、きっちり先行研究に目を通しているし、この本の方向性とか限界にも言及しているし。
僕は実はラ・モンテ・ヤングに関する論文をモノにした研究者でもあるので、ミニマル・ミュージック関連の研究の動向はキャッチアップしておこうと思うのだが、なんつうか、対象の細分化が進んでいくばかり、という気がするな。
ウィム・メルテンとかナイマンの先駆的論文が、先駆的であるがゆえに「画期的」と評価されるのはツマラナイなあ。
Draw a Straight Line and Follow It: The Music and Mysticism of La Monte Young
Jeremy Grimshaw
Grimshaw, Jeremy. 2011. Draw a Straight Line and Follow It: The Music and Mysticism of La Monte Young. Oxford: Oxford University Press.
2012-05-21
メモ:Sound Poetryなひと:Bob Cobbing
50年代以降のSound Poetryの実践者として、Henri Chopin以外のひととして。
リンク先から、Bob Cobbingが朗読している様子を見ることができる。
UbuWeb Sound :: Bob Cobbing and Peter Finch:
先月号のThe Wire(2012年5月号)にSound Poetryのガイド記事があったのだけど、基本的に名前を羅列してるだけで、ああいうのはあんまし読み応えがないよなあ…と思った。
もっと歴史的な動向と現在の動向を記述すべきだろう。
ディスク情報があげられていてもたいてい入手できないし、ubu.comに何があるかを記載すべきだと思う。
たとえば1965年に開催されたSound Poetryのフェスティバルのこれ(Text-Sound Compositions-a Stockholm Festival)、欲しいけど入手できない。ubu.comにも全部はない(5枚組だがdisc1,2しかないようだ)。
amazon.co.ukで中古を見つけたのだが、なぜか注文できない。
→
PennSound: Bob Cobbing:
Bob Cobbing - Wikipedia, the free encyclopedia:
リンク先から、Bob Cobbingが朗読している様子を見ることができる。
UbuWeb Sound :: Bob Cobbing and Peter Finch:
先月号のThe Wire(2012年5月号)にSound Poetryのガイド記事があったのだけど、基本的に名前を羅列してるだけで、ああいうのはあんまし読み応えがないよなあ…と思った。
もっと歴史的な動向と現在の動向を記述すべきだろう。
ディスク情報があげられていてもたいてい入手できないし、ubu.comに何があるかを記載すべきだと思う。
たとえば1965年に開催されたSound Poetryのフェスティバルのこれ(Text-Sound Compositions-a Stockholm Festival)、欲しいけど入手できない。ubu.comにも全部はない(5枚組だがdisc1,2しかないようだ)。
amazon.co.ukで中古を見つけたのだが、なぜか注文できない。
→
PennSound: Bob Cobbing:
Bob Cobbing - Wikipedia, the free encyclopedia:
2012-05-19
五木寛之『青年は荒野をめざす』
を読んでる。
七十年代頭に書かれた、六十年代を舞台とする青春小説。
自分が二十歳前後なら受け付けなかったろう。今読むと「昔のせえしゅん」はどんなものだったのか、という興味から読めるので、面白い。
「ジャズ」が万能の処方箋みたいに描かれてるし。
しばらく読み進めよう。
七十年代頭に書かれた、六十年代を舞台とする青春小説。
自分が二十歳前後なら受け付けなかったろう。今読むと「昔のせえしゅん」はどんなものだったのか、という興味から読めるので、面白い。
「ジャズ」が万能の処方箋みたいに描かれてるし。
しばらく読み進めよう。
2012-05-17
宣伝:5月19日(土)に
高円寺 音飯で「三沢洋紀と岡林ロックンロール・センター」でライブします。
音飯はご飯が美味そうな飯屋さん。
みなさま、よろしくおいでませ!
------
「とろみナイトvol.3 〜松井ー平個展「しゅくず」も楽しめる夕ベ〜」
OPEN: 18:30 / START: 19:00
料金: 1500円(1D付)
出演:
GO FISH
三沢洋紀と岡林ロックン口ール・センター
------
高円寺では新聞紙叩きます。
キーボードにミヤジくんが入りました。
憂歌団の「君といつまでも」をする。
19日はドラムセットじゃなくて新聞紙セットなので、僕は何をしたものだろうか。
音飯はご飯が美味そうな飯屋さん。
みなさま、よろしくおいでませ!
------
「とろみナイトvol.3 〜松井ー平個展「しゅくず」も楽しめる夕ベ〜」
OPEN: 18:30 / START: 19:00
料金: 1500円(1D付)
出演:
GO FISH
三沢洋紀と岡林ロックン口ール・センター
------
高円寺では新聞紙叩きます。
キーボードにミヤジくんが入りました。
憂歌団の「君といつまでも」をする。
19日はドラムセットじゃなくて新聞紙セットなので、僕は何をしたものだろうか。
2012-05-16
2012-05-15
2012-05-14
録画してあった『羅生門』(1950(昭和25)年)
2012-05-09
メモ:2005年5月6日タモリ倶楽部の「ジョン・ケージのこれどうやって弾くの?!」
を思い出したように見た。
面白いではないか。
というか、この先生が面白いではないか。
2012年3月30日にNHKBSプレミアム・クラシック倶楽部で放送された「ザ・ジョン・ケージ」より面白いな。
ピアノ:青島広志 ソプラノ:横山美奈(タモリ ほんこん 清水ミチコ まこと)
面白いではないか。
というか、この先生が面白いではないか。
2012年3月30日にNHKBSプレミアム・クラシック倶楽部で放送された「ザ・ジョン・ケージ」より面白いな。
ピアノ:青島広志 ソプラノ:横山美奈(タモリ ほんこん 清水ミチコ まこと)
DVDで『カリガリ博士(Das Kabinett des Doktor Caligari)』(1920)
ドイツ映画のはずだが僕が見たDVDの字幕は英語だったが、日本での初公開時(1921年5月14日)も、英語字幕での上映に活動弁士がついたらしい。
背景が書割りで、書割りや大道具がドイツ表現主義絵画っぽくて面白い、というのは納得できる。これは「アメリカ英語に対抗しようとしたドイツ表現主義的な映画」なんだろう。この映画で初めて精神病者とか夢遊病者とかは初めて映画化されたのかもしれないし。
分からないのは「今でもこの映画の物語内容が面白い」という感想なのだが、面白いか? むしろ退屈だと思うのだが。
カリガリ博士 - Wikipedia
淀川名画撰集 - カリガリ博士
『カリガリ博士』
これくらいの感想が一番腑に落ちる。
いま、むしろ凄い!1920年のシュール無声映画「カリガリ博士」、フル視聴 | DDN JAPAN
カリガリ博士 新訳版 [DVD]
2012-05-08
2012-05-07
2012-05-06
DVDで『去年マリエンバートで』(1961)
分からんかった。三回見ると「物語の流れ」が理解できるようになり、面白くなる、という感想もあるようだが、本当だろうか?!
でもまあ多分、これは「物語映画」なので、マヤ・デレンの実験映画のようなものとして見るのは、間違いなんだろう。
町山智浩の特電ポッドキャストでも聞きなおしてみよう。
特電ポッドキャストで「去年マリエンバートで」 - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記:
去年マリエンバートで - Wikipedia
去年マリエンバートで HDニューマスター版 [DVD]
以下、ツイートメモ
『去年マリエンバートで』(1961)を見始めた。GW最後に見る映画じゃなかった。明日もしも警官に職務質問されて「昨日家で映画を見ていたってんなら、見た映画のあらすじを説明してみろ」とか言われたら、なんて言えば気が利いているだろうか。
posted at 22:32:39
やっぱ実験映画は短いから面白いんだろな!
posted at 22:34:41
これが一般公開された(日本公開は1964年)ってのがわかんねえ。時間軸とか人間の主観的認識の曖昧さとかだけを90分かけて描き出す映画は、時代とか社会を変えるかもしれない、というパワーを感じさせるものだったのだろうか?
posted at 22:40:05
「実験的ななにか」にはパワーがあるように感じられていたのか? あるいは他の理由か? うーん。そこらへんは興味深いのだが。
posted at 22:40:38
若い時に頑張って、これが何か分からないままに「有名だから」というだけの理由で、真剣に見ておくべきだったのかもしれない。そういうにって、大事だ。スノッブにさえならなければ、大事だ。
posted at 22:43:05
不協和音がうるさい。六十年代なんだから、ミュジックコンクレートとか使っておいてくれれば、ネタとしておいしかったのに。
posted at 23:02:59
終わったが…。ううん…。これをデートで見に行った若者もいたのだろうか。1964年の日本には。東京オリンピックの年だよな。
posted at 23:20:23
ドーナツの進化
連休中はドーナツをたくさん食べたので(はらドーナツ、ミスド、クリスピークリームドーナツなど)、連休最終日はドーナツを作ることにした。
ホットケーキミックスを揚げるだけだが、結構膨らむので穴を作るのは難しい。
写真は、少しずつドーナツの穴が出現していく様子を示したものである。
ホットケーキミックスを揚げるだけだが、結構膨らむので穴を作るのは難しい。
写真は、少しずつドーナツの穴が出現していく様子を示したものである。
2012-05-05
2012-05-04
2012-05-01
DVDで『ヘアスプレー』(2007年のリメイクのほう)
HDDにあったので見たら、とても面白かった。
特に根拠もなく前向きなちょっとbigな女の子の元気な踊る姿は面白いものだ。
あのお母さんがジョン・トラヴォルタだったとは! 予告編で言ってることだから隠してないのだけど、気づかなかったので、後から知って驚いた。
ヘアスプレー (2007年の映画)は、1988年のジョン・ウォーターズ監督の『ヘアスプレー』をミュージカル化したものを、ミュージカル映画化したものらしい。ジョン・ウォーターズ監督って…。これは、どんな風にブラック・コメディだったんだろう?
ヘアスプレー [DVD]
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