「外国語の問題」があまりにも簡単に乗り越えられている(実質的にゼロ)という設定だけで、この脳内パラダイスのなかにだけ存在する「荒野」のことを真剣に考えるのはバカバカしいと思うのだが、これがリアルに心に迫った時代があったのだろう。1967年の「荒野」はけっこう安全そうに思われるのだが、こういうものが「荒野」に見えていた時代だった、ということなんだろう。
音楽とセックスに浸る若者たちは自由と夢を荒野に求めて走り続けていたらしい。「圧倒的共感を呼んだ」とあるが、どれくらい共感を呼んだのかは知らないが、けっこう共感を呼んだのかもしれない(同じくらいあるいはそれ以上に、バカバカしいと思った人も多いに違いないが)。
文藝春秋|いい男35冊|青年は荒野をめざす|特設サイト
「他者」に目を向けずに「自分」のことだけを考えるために、「荒野」とか「人生」とか「世界」とか「放浪」とか、そういうもの(”脳内他者”)に夢中になるための触媒は、いつでもどこにでもあるのかもしれない。
それはアラン・シリトーかもしれないし尾崎豊かもしれないしエルビス・プレスリーかもしれないけど。
と、書いてみて思ったけど、こういう「青春十代思春期のための文化」が存在しない文化、ってのは、けっこうたくさんあるに違いない。そこでは「10代のための文化」というカテゴリーはないのだろうと思うが、だとすると、そこでは「文化」はどんな僧帽を見せているのだろう。
フォーククルセイダーズの青年は荒野をめざす(1968) - Wikipedia:
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さて、この本ではなんといっても「ジャズ」が万能の霊薬みたいに大変なものとなっている。五木寛之と「エンカ」の問題については、輪島さんの著作が詳しいのでまた読みなおしておくべきだが、以下、少しだけ、この本の中で「ジャズ」に言及している言葉をメモしておく。
「ジャズにとりつかれると不幸になるわ。…本当のジャズの道は、独りきりで歩いて行く道よ。誰も歩いた事のない、危険な荒野へ、楽器だけをたよりに踏み込んで行くんだわ。…」(47):最初に、ナホトカに向かうバイカル号の船内で、アンソニー・フィンガーと出会ったジュンにヘレンが言った言葉
「…現在の生活に満足しきっている人間に、果してジャズが必要だろうか? ジャズは幸福にちょっぴり味をそえるBGMなんかじゃない。それは突撃ラッパだ。現実を変えたいとと熱望している人間の旗じるしだ。それはー」(251):コペンハーゲンで再会した、麻薬からは足を洗って妻のヘレンと幸福な家庭生活を営もうとしているアンソニー・フィンガーの言葉
「フィンガーはパパになる日を夢にまで見てるんだ」というジュンの言葉に対して「そいつが駄目なんだよ。…ジャズは孤独な道だからさ。…この世の大事なものを犠牲にしなきゃ、その場所には立てない。ジャズの神様はエゴイスティックなんだ。幸福で、満足して、それでジャズをやろうったって無理な話さ。本当のジャズは、その日、その日のギリギリの生き方の反映だから。ジャズメンは、その人生のクライシス・モーメントに立って演奏を続けて行かなけりゃならん。そして、本当の音楽家は、必ず不幸になる。外からはどんなに栄光に包まれているように見えてもだ。…」(288-289):フィンガーをNYに連れ戻そうとやってきたジャックの言葉
「私はあなたに何かこれまでのジャズメンと少し違ったものを感じるのだ。なんといったらいいかわからないけど、自分の人生とジャズをぴったり重ね合わせて、何か変に生真面目にそれを追いかけてるーー。アメリカ人や黒人のジャズとはちがう、何かがあるわ。それはあなたが東洋人だからかも知れない。それが私には気になるのよ。日本人は、長い歴史と独自の文化の伝統をもつ民族だわ。思想的にも、感覚的にもわたしたち白人とも黒人とも違うものを持ってる。その中に本当のジャズが育ったとき、どんなものが生まれるだろうと私は考えているの」(315):パリで再会したクリスティーヌがジュンをプロモートしようと思った時に話した言葉
「男たちは常に終りなき出発を夢みる。安全な暖かい家庭、バラの匂う美しい庭、友情や、愛や、優しい夢や、そんなものの一切に、ある日突然、背を向けて荒野をめざす。だから彼らは青年なのだ。それが青年の特権なんだ。ジュン君がジャズをやりたいと思う。するとこれまでのジャズの世界に安住しているだけでは気がすまない。誰もこれまで行ったことのない、新たなジャズの未知の荒野をめざして君は歩き出す。だからは君はジャズをやる権利がある。麻紀さんだってそうかも知れん。わしだって、そうだった。地方大学の教師の職と平和な家庭を捨てて、わしは新宿に自分の荒野を探した。そしていま、若い君たちとヨーロッパを南下し、何が待っているかわからないアメリカへ行こうとしている。つまりわしも荒野をめざす青年の一人なのだ。そうじゃないか、え?」(393):「プロフェッサー」というあだなの新宿で馴染みだった老人の最後の言葉、この小節のテーマの独白みたいなもの
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創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)
輪島 裕介
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