なんだか今日は、鈴木昭男さんのパフォーマンスにとても感動した。
今まで何度も見てきたし今日が他の時とそんなに違うわけではないと思うけど、BankARTの広い部屋のなかを布で包んだ瓶を持って時々床に当てて音を出したり棒切れでダンボールをこすったり、そういうパフォーマンスをしている昭男さんを見ていて、この人は今までずっと、こうやって音を出して遊ぶことだけを一生懸命やってきたのだろうなあ、とか思って、感動した。
そうなのかどうかそりゃあ〈ホントのこと〉は知らないけど、ヘンな人だし、スゴイ人だなあ、と思った。
何をいまさらという感想かもしれんが。
堀尾寛太さんのパフォーマンスも、何というか、一本ピシッと筋の通ったパフォーマンスだった。
モーターでクルクル回る風船に赤や緑の光をあてたり、その風船が板(?というか、何かの円盤? あれは何と呼ぶ機械なんだろう?)に接触する音を増幅したり。暗い中で風船が摩訶不思議なホログラムみたいに見える時間帯もあったし、音がなくなっても背景で風船の影が蠢く時間帯もあったし、見ていて飽きない。
何回か見ているけど、今のところ、毎回ちょっとずつ違う。僕がそんなに頻繁に堀尾さんのパフォーマンスを見れていないからということもあるけど、毎回違うものを見ることができて、楽しい。もう少し観察を重ねていきたいと思う。
とか考えたあたりで、ふと気付いた。今日のこれは「TPAMの音楽部門」のはずだが、これ、素直に「音楽」って言って良いのか?
そりゃもちろん、答えは〈呼び名なんかどうでも良い、面白いパフォーマンスならそれで良い〉なんだが、やはり、音を出さないパフォーマンスをも「良い音楽だ」と判断する言説構造みたいなものに、関心がある。だって、それは即ち、僕も含めて、ひとがどういうものをどういう基準で「良い音楽」と考えているか、ということの解明にもつながるはずなので。自分がある事柄をどういう基準で判断しているか、に気付く瞬間はいつもスリリングだ。
ということで、今日の三人目はインドネシアのビン・イドリスさんのパフォーマンス。ギター一本のドローンとエフェクターで重厚なサイケな世界を作り出すのだけど、音量がでかくて疲れた。で、幸い、椅子に座らずに立って眺めていたので、途中から観客席から離れて外を眺めながら聴いていた。そしたら、これはまあ、気持ち良かった。さすがBankART。けど、そういう聴き方でも構わないと思う演者かどうかは分からない。僕は集中的聴取みたいなものを要求する音楽が苦手だけど、迫力のあるパフォーマンスだったことは確かだ。
明日は、オブザバトリーというひとたちのライブを見る。
修論審査会の(審査する側としての)準備もしないといけないのだけど、楽しみだなあ。
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