これはblanClassの月1セッション「アジアで上演する」というリサーチプロジェクト(?ワークショップ?)を元に書かれた文章(=戯曲)を元に作られたパフォーマンスらしく、岸井さんも、当日どんなパフォーマンスが行われることになるか知らなかったらしい。
見終えた後モヤモヤしたけど、帰ってから昨日録画しておいた『ENGEIグランドスラム』の村上ショージとジャルジャルのネタをもう一度見たら2400を回ったので、なんかまあもういいかな、と思った。
3つの感想を持った。
1.
当日配布のリーフレットに「[本戯曲は]自由な行動(芸術表現のような)は必然に回収されてしまいがちだという診断の表現なので、喜劇(コメディー)と名づけました」とあるので、これは、どのようなパフォーマンスであっても「必然」に回収されてしまうという構造なのだと判断した。一見これは、ケージのFontana Mixのように、演者に演奏用楽譜を作成させるタイプの(メタ)作品のようにも思えるけれども、それにしては、楽譜の規定とか演者に対する楽譜の強制力が緩すぎる。だから、たぶん違う。たぶんこれはあくまでも、どうやっても岸井さんの掌に回収されてしまう構造になっているのだと思う。
ということは、岸井さんという人は(なかなかハイパーなひとのようだとは思っていたのだけど、それだけではなく)なかなか器か何かが広くてアレな人なのだろう、と思った。いろんなタイプの「戯曲」を追及しているひとなんだな。で、blanClassってそういう実験のための場所なんだな。
来場者もまたこの演劇の上演者だったみたいなので、僕も今日の上演を良くするために、一生懸命、〈退屈な進行に寝てしまった観客〉とか〈退屈で緊張感の足りないパフォーマンスにイライラして、愛想よくハイタッチしてあげない観客〉を演じました。なんとも凡庸でありきたりなことをしてしまった。
「好きにやること」をやるのは難しい。
2.
blanClassってこういういろいろな実験をやるところだったらしい。TPAMでやることではないような気がする。
まあ、やったもん勝ちだとは思うけど、でも、TPAMのひとつとしてやると、内輪のひとだけではなく、TPAM的なものを期待して来る人もいると思うのだけど(僕はどっちでもない)、今日みたいな実験はかなり客層を選ぶと思う。良いか悪いかは別として
「好きにやること」をやるのは難しそうだ。
3.
blanClassから自宅まで徒歩20分弱なので歩いて帰ったところ、4,5分歩いてから、自分が全く逆方向に向かっていることに気づいた。
僕もちょっとは「好きにやること」をやれたのではないか(ぜんぜん違うかもしれないが)。
2016.2.13戯曲[好きにやることの喜劇(コメディー)]上演 | ブランクラス|blanClass
(写真はまた後で)
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