ポスト・テクノ(ロジー)ミュージック―拡散する「音楽」、解体する「人間」
久保田晃弘(監修) 2001 『ポスト・テクノ(ロジー)ミュージック ‐拡散する<音楽>、解体する<人間>』 東京:大村書店。
これはもう8年前の本なんだな。「シカゴ系」とか「音響派」が流行ってた頃の本。
これは、日本語でマーカス・ポップ「オヴァルプロセス講義」があるので利用すること。
(マーカス・ポップ(オヴァル) 2001 「オヴァルプロセス講義」 バルーチャ・ハシム(訳) 久保田2001:219-243。)
僕は、ほんとうに「この手の文章」を受け付けない。
「この手の文章」の最大の問題は、そこで論じられる「音楽」が、「なぜ、どんな風に」面白いのか?という説明を、完全にすっ飛ばしてしまうこと、だと思う。あらゆるレベルで「比較」の契機がないこと、だと思う。
そこで論じられる音楽が、「現在/未来」の音楽であることは、ほとんど前提として話が組み立てられていくのだけど、そんなわけねえじゃねえか、と思う。90年代後半といえば、例えば、JPOP最盛期なのに、この本の中では誰も何も言及してないんじゃないかな?
そこをすっ飛ばして「音楽の歴史」を語ったって、「仲間内でしか通用しない自閉的な屁理屈」を語っているようにしか見えない。そしてたぶん、人文系のほとんどの言説は(僕の産出するものも含めて)、「仲間内でしか通用しない自閉的な屁理屈」でしかないのだろう。
いずれにしろ、2001年に探られていた「未来」なのだからレトロフューチャーにしかならない。ここではMP3やインターネットやPCの可能性がほとんど考慮されていないのだから。だから逆に、また20年後に読み直すと、今度はものすごく面白いかもしれない。
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