2014-10-25

京阪なにわ橋駅のアートエリアB1で『鉄道芸術祭vol.4 音のステーション』

面白かった。
中部屋三室使って、10個の充実した作品を展示。
半分は「音」というより「音楽にまつわる慣習」をテーマとする作品だったのでマンネリ感を感じそうにもなったけど、個々の作品には「よくあるタイプの作品」に「少しのヒネリ」が加えられていて、全体的にヴァラエティに富んでいて、なんつうか楽しんでしまった。
面白かった。
京阪電車 なにわ橋駅|アートエリアB1|鉄道芸術祭|音のステーション:

で、思ったこと。
僕は「サウンド・アート」(という言葉)に反応するのだが、これはなかなか偏狭な話だな、と思った。
だって、大概の場合、「サウンド・アート」の「サウンド」って、アートの素材のひとつにすぎないのだから。
音を使う作品のすべてが、「音という現象」とか「聴覚」をテーマにするわけではない。
(例えば、「サウンド・アートの古典」みたいな扱いのされるRobert Morris, The Box with Sounds of Its Own Makingは、あまり、音は重要な要素な作品であるとは言えない。みたいな話。)
多くが、「音楽の別名としてのサウンド・アート」に強い関心を抱いているわけでもないし。
今回の展示のほとんどは「音楽」をテーマにしていた、と言えるだろう。というか「音楽にまつわる諸慣習」というか。
でもまあ、それでもなんつうか、音を使う作品って賑やかで楽しいなあ。

まあでも、こういうことを考えられるようになったのは、量を見てるからだ。
今後も蓄積していこう。

以下、写真も加えてメモしておこうかと思ったけど、勝手に写真をアップロードしちゃいかんよなあ、と思ったので、写真はアップロードしない。
(写真撮影はオッケーだった。ちゃんと許可貰った。)
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1.駅名収集マイク





2.藤本由紀夫《passage》(2014)

会場に入るとピンポーン

自動改札機のミニチュア


3.宇治野宗輝《WAREHOUSE RITUAL》(2014)、《エレメンタリー・デュエット》(2010-2014)

ガチャガチャゴトゴトゴツゴツガシャーンガシャーン。
このひとの作品、「ヤンキー魂」みたいなものがあって、面白いなあ。
つうか、なぜか「エリートヤンキー三郎」を思い出す。


4.相川勝《CDs》(2010-)

すげえ!
全部手描きのジャケットと、口真似のカヴァー。
面白かったのは、知ってるCDを聞いているはずなのに全く元音を思い出せないし、アウラも浮かび上がってこなかったこと!
笑ってしまった。


5.八木良太《TV-Train》(2014)

下からのぞき込むと、内部で「京阪電車に乗っている映像と音」が再現されているダクトみたいな装置。
中腰はつらい。




6.和田晋侍《ドラムボール》(2014)

でかい球体のなかにドラムセットが丸ごと入っていて、それを転がす。
単純だけどゴーカイ!
さすが、巨人ゆえにデカイ、のひと。


7.鈴木昭男《「なげかけ」と「たどり」》(1963)

シルクスクリーン+空き缶の入ったゴミ箱。
階段の上から空き缶を放り投げるあの写真をシルクスクリーンで展示し、その横に、空き缶を入れたゴミ箱を展示してあった。

8.江崎將史《out of service》(2014)

世界中のテンツ道の発着時刻を水に教えることで、音が染みこんでいくみたいな作品???
コンセプチュアル過ぎて分かんねえよー。

9.伊東篤宏《Stand Type OPTRON》

蛍光灯+缶のプルタブのついた風車
風車も一緒に展示してあるのが、なんか「気が利いていた」。

10.警笛用ラッパ

ラッパだった。

11.アーティストへのインタビュー

インタビュー動画が延々と流されていた。

12.音・機械・身体にまつわるYouTubeセレクション10

YouTubeセレクションは、誰がやったんだろう。
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以下、Facebookのメモ

中川 克志さんが写真2枚を追加しました。
なにわ橋駅のアートエリアb1で開催中の『鉄道芸術祭4 音のステーション』を見た。
10個ほどの作品があり、どれも気が利いていて面白かった。
(諸々は後でまとめるとして、気が利いてる、ってのは、褒め言葉だろうか?)
記録資料を作成する予定はないらしいのが、とても残念。
映像資料、見せて欲しいなあ。
— 場所: なにわ橋駅



2014-10-19

大城真個展 ”strings”at space dikeの感想

◯2014-12-24に追加された映像
english below
10月に三ノ輪のspace dikeでやった展覧会"strings"の記録が編集できたのでvimeoにアップしときました。照明が暗かったりストロボとシャッターが干渉したりで撮影が難しく、画質が若干荒れ気味なとこもありますがそこは大目に見て下さい。
展覧会に来てない人の為に解説すると、ウーハーから50Hzのサイン波を再生してて、ウーハーの振動板 に紐をいくつか括り付けて部屋の数カ所まで張ってます。ある一定のテンションをかけるとウーハーの振動が紐に伝わって波の形を描きます。この振動してる紐に24Hzを中心に、時々その上下に若干スイープするストロボをあててます。ピタっと止まったように見えてる時はストロボの周期が25Hzになった時です。よくよく見ると紐が2本に見えたりする時があります。
後日動画にも解説追加する予定です。
I finished editing the video of "strings", the installation that I did in October at space dike. The lights were pretty dark, so some of the images are a bit noisy.
I placed a woofer thats playing a 50Hz sine wave on the corner of the gallery, and tied some strings to it's speaker cone, and stretched them towards several points in the room. The strings start to vibrate and depict waveforms at certain tensions. I'm lighting up the installation using a 24Hz strobe light, which sometimes sweep a bit up and down. Sometimes the strings pause, and that happens when the frequency of the light reaches 25Hz. If you look close, you sometimes see the strings double.
I'll add a detailed explanation to the video in a few days.



Strings - Makoto Oshiro from ooooshiroooo on Vimeo.
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この作品を静止画像で記録するのはホント大変だろう。動画も撮影できるのか???

space dike: 大城真個展 ”strings”
2014年10月11日(土)から10月26日(日)まで

19日(日)に三ノ輪のspace dikeで開催中の大城真個展「strings」を見た。
その後のトークも含めて今の自分の関心事ともリンクしていたし、とても面白かった。

作品はひとつだけだったけど、世界の成り立ちに関わる自然現象を取り出し、飽きのこないやり方で見せる作品として、素晴らしい作品だった。
単純な規則に基づき事象は複雑に、しかし規則的に動く。このインスタレーション作品では、スピーカーとストロボと紐が音と光を(あるいは、音と光がスピーカーとストロボと紐を)明滅させていた。
世界は常に震えているのだ。
なんとステキなことだろう。

今週末でおしまいというのはもったいない。まだの方は是非。
以下、もっと整理した文章を目指したいところだが、きっとまた完成させずに放ったらかしてしまうだろうから、とりあえず書いた分だけメモ代わりに。
(10月22日に大城真さんにいくつかコメントをもらったので、文言を少し修正しました。)

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1.作品記述

50hzの低周波の電磁波のドローンがスピーカーから発せられていて、スピーカーから部屋の隅(建物のハリ)に何本もの紐が結びつけられている。
50hzの振動を受けて、紐は50hzのサイン波の軌跡(一秒間に50回の振幅)で震えている。
部屋の隅では三台のストロボが24hzの周期で明滅し、数分に一回、一瞬、点灯される。
明滅中、紐は低速度で揺らめいているように見えている。
また、点灯されると、紐が実は高速に動いているのも見える。
つまり、パッと見た感じ、スピーカーから生えた紐がイソギンチャクのように揺らめいている。

ギャラリーの部屋(せいぜい8畳程度?)の3分の2ほどの大きさのこのインスタレーション作品を見る経験は、このインスタレーション「の中に入る」経験である。そんな距離でインスタレーション「の中に入る」と、この紐を触らざるをえないわけだが、紐を触ると、触った部分を端点とする振動が生じ、紐の高速運度の軌跡に変化が生じ、紐と指との間などで音が発生したりもする。
つまり、インスタレーション作品全体が震えているように感じられる。

まとめると、このインスタレーションでは音波と光波(と物理的振動)の衝突が見事に可視化されている。
紐のゆらぎの中にいる経験はいつまでも飽きのこない経験だった。
気持ち良かった。

(後のトークによると、このストロボの明滅が24hzというのはポイントらしい。もし49hzだと紐の振幅の両端が常に見えるらしく、すると、常に2本の紐があるように見えるらしい。また、9hzくらいだとポケモン現象を起こし、倒れる人が出てくるかもしれないらしい。24hzだと、うまい具合に滑らかに低速で紐が動いているように見えるし、また、24hzの明滅というのはカメラのストロボと同じ明滅なので、実はこの明滅のリズムに人離れているらしい。)
(この点灯の周期は実はArduinoでプログラムして紐の見え方を制御しているらしい。詳細はメモしそこねた。)
(以上のメカニズムの説明の正確さには、あまり自信がない。)

参考:"ローリングシャッター効果"iPhoneをギターの中に入れ、演奏する弦を撮影するとこう見える(動画) - 涙目で仕事しないSE


2.振動とメディア

この作品は真正なるメディア・アートなのだと思う。このインスタレーションはあるメディアの存在を浮き彫りにする。「振動」である。この作品は「振動というメディア(=媒体)」を主題化するメディア・アートなのだと思う。
また、このインスタレーションは、電磁波、光波、音波、振動波というかたちで存在する「振動=波」の衝突を物質化・可視化することで、「振動とは世界に遍在する現象である」ということを主題化しているのだと思う。スピーカーの発する「50hzの電磁波」は人工的に生み出されたものだ。しかし、50hzの電磁波によって生み出された振動が、音波や光波や振動波として干渉しあう現象は自然現象だ。この作品は、世界の成り立ちに関わる自然現象を取り出し、視覚化した作品なのだと思う。
あらゆる事物はさまざまなレベルで振動している。生命は振動している。音を発する事物も振動している。極めて静的でまったく動いていないように思われる岩石のような事物でさえ、例えば、光を反射するというやり方で、振動と関わりをもって存在している。
つまり、世界は常に振動している。
このインスタレーションは、世界の基底に存在する、全てを生々流転させる活力の源泉のようなものを露わにする。
この作品を経験するひとは、元気づけられないわけにはいかないのではないだろうか。

(後のトークで畠中さんは、自分は「サウンド・アート=モノ派」論というのを考えていてその延長線上にこの作品を位置づけてみると面白いかも云々と思った、と言っていた。メディア=作品の媒体を主題とする作品として位置づけて見ると面白いかも、という発言だと思うが、この観点はやたら拡大すると、グリーンバーグ的な意味でモダンな絵画もメディア・アートになるわけだな。)
(ところで実は、「そのままでは見ることも聴くこともできない不可知の、しかし世界のどこにでも遍在する振動を現実化した作品」であるという点で、この作品はケージ以降の実験音楽の正当な継承者である、というお話を作ることもできる。作る必要はないけど。)

3.歴史:メモ

「芸術における電磁波の歴史」という観点からこの作品を考えた時、この作品は僕の今の関心事とリンクする。
電磁気とは「自然」の一部なのだから、電信や電話など、電磁気を検知できるコミュニケーション技術が登場することで、「自然」概念は(電磁気を含むものとして)変化する。電磁気が「自然」に組み込まれていく過程はおおよそ次のように整理できる。まず、電信や電話の登場とともに電磁気が人間の日常生活の中に侵入する(同時期にマックスウェルがラジオと光がともに電磁気であることを証明し、また、地震学や天文学などの科学的探求においても電磁気が大いに利用され始める)。次に1900年前後に放射線が発見され、1920年代にはラジオが一般化する。1945年に原爆が投下されることで、放射線が電磁気のスペクトラムの全てを「自然」のなかに導入することになる。電磁気は近現代に「自然」概念を大きく拡張したと言える。
参考:Kahn, Douglas. 2013. Earth Sound Earth Signal Energies and Earth Magnitude in the A!rts. Berkeley, CA: University of California Press.

だとすると、この作品は、どういう位置づけが可能だろう。この作品を見て思い浮かんだ名前は、アルヴィン・ルシエ、ゴードン・モナハン、カールステン・ニコライなどである。
(以下略、というか、ちゃんと考えていない。)


4.

来年の夏に、Douglas KahnがいるUNSWで、エネルギーとアートみたいなお題目でカンファレンスが開催されるらしい。作品を詳細に分析する20分ほどの発表を募集する、みたいなことを書いているから、この作品を歴史的な文脈に位置づけられることができれば発表ネタとして面白かろうと思った。のだが、そこで、僕はふたつのことに気づいた。
まず、僕はこの作品の原理的な事項をきちんと理解できていない。そしてもうひとつ。この作品は、どうやってドキュメントを残すのだろう? 動画撮影できるのか?
Call for Papers: Energies and the Arts Conference 13-15 August 2015 | National Institute for Experimental Arts


5.

なんで三ノ輪の、しかも駅から離れたギャラリーでやるのだろう、と思ったが、いくつかの意味でここが良い場所だから、なのだろう。
ビルの屋上に登らせてもらった。周囲にこのビルより高いビルもあるけど、その景色も含めて、昼間にぼーっとしてたら楽しかろうなあ。

以下は、整理していないただのメモ:畠中さんとのトークより

◯紐の材質について
紐の材質が、倍音が少し乗るような材質を選んだことが大事だったらしい。材質によっては、本当にキレイなサイン波の形の揺れを再現できるが、それは避けた、とのこと。
で、畠中さんが、ルシエのMusic on a Long Thin Wireもキレイなだけのサイン波を鳴らすわけじゃないし、生楽器の弦の振動もキレイじゃなくてガタガタだ、ということに言及。すると、大城さんは、そういうことは展覧会のタイトルでも少し匂わせている、とのこと。
で、畠中さんが、なるほど、ということはこの作品は「”音の視覚化”というものはそんなスッキリしたもんじゃない」ということを示しているので色々考えさせるし、色々考えさせるってことは良い作品だってことだ、と発言。

→修正:「材質というよりは紐の張り方ですね。材質も多少影響はありますが、テンションのかけ方でずいぶん変わってきます」とのことらしい!

◯きっかけ
昔、ウーハーに50hzのサイン波(一秒間に50回ウーハーを振動させる)を流すと、そこに取り付けた紐がサイン波の形で動くことを発見し、遊んでいた。そこに、50hzより少し遅いテンポでストロボを明滅させると見え方が変わることも知った。で、この作品の原型は、10年ほど前の大阪の梅花堂の展示にあるらしい。そこでも展示したし、大阪や京都でも、天井から紐をぶら下げる作品を作ってきた。最近Arduinoを使うようになったので、もっとこの方向を突き詰めていけるのでは、と思うようになった。
とのこと。


修正:「元をたどると2008年のlooplineでの展示が原型にあって、そのあと2010年に梅香堂で夏の大△の展示で今回の作品にも通じるものを展示した、という感じ」とのこと!

looplineでやった"kinema 58, 59"の記録

kinema 58, 59 from ooooshiroooo on Vimeo.
http://vimeo.com/58562056

梅香堂での"夏の大△"





◯ストロボによる視覚の遅延について
畠中
遅延する知覚、だと思った。だから、手塚治虫のマンガを思い出した(「処刑は3時におわった」だと思われる)。

大城
止まって見えるような瞬間も設定してある


◯没入感について
大城
梅花堂では紐は一本だった。
今回は紐が多いことで、ある種の没入感を生じさせることができる。

畠中さん
没入感というのは納得がいく。
梅花堂の時は20Hzなので音が聞こえないけど、今回は50Hzなので音が聞こえる、ってことに納得がいった。
何本も建物のハリに繋がっている、ってのはミソだろうなあ、と。角田俊也さん的な。

など

2014-10-11

悪魔のしるし「わが父、ジャコメッティ」@KAAT

6月の試演会を上回る、しかし壮大かつ爽快なポカーンを感じた。
「メタ演劇ドキュメンタリー」と呼ぶことにした。
上演回数重ねるとどう変わっていくのかな?

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1.
登場人物は、悪魔のしるし主催の危口さん、危口さんの実の父である木口さん、新たにキャストとして加わった(6月の試演会にはいなかった)大谷さんという女性の3人。木口さんが、フランスで4年ほど画家修業をした地方画家である実の父を演劇に出してみよう、という思いつきから始まったのが今回の「演劇」。しかし、その試みは当初予期していたよりも困難でなかなか形にならなかったらしい。
ということを、開演して数分後に危口さん本人が「劇中」で語っていた。
あるいは、13時の開演前から大谷さんとお父さんが「お父さん(=地方画家である木口さん)が若いころフランスに留学していた話」をしていたり、13時に危口さんが登場してその後数分間は、お父さんと大谷さんが、劇中の演出のアイデアを危口さんに提案する、という寸劇があり、その後、全員引っ込んで「では始まります」みたいな始め方をしていた。
また、10分か20分毎に危口さんは「実の父とジャコメッティを重ねあわせた演劇を作成する際に直面した困難」に言及していた。

2.
つまりこれは、乱暴に簡単に言ってしまうと、自分が演劇を作るプロセスに言及し続けるメタ演劇だった。
ただし、大上段から演劇について語るメタ演劇ではなく、「演劇を作ることに困惑している自分」を曝け出すことで演劇にぶつかっていくメタ演劇だった。その意味で「心細くもケナゲで勇気あふれる試み」だったような気もする。なんというか、「メタ演劇ドキュメンタリー」(を見せる演劇)とでも言おうか。
既存の演劇と隔絶した舞台を生み出すためにもがく自分と実の父を虚実ないまぜに曝け出しながら、部分部分の演出は才気溢れる天才的なものだった。「お父さんが、木工ボンドと鼻の薬を間違えるエピソードを演出に入れることを提案する映像」を流しながら大谷さんが「自分は将来ひとの記憶に残る女優になりたい、といった夢」を語る部分から、危口さんとお父さんと大谷さんが三人一緒に歩きまわるシーン(そういう部分があったのです)は素晴らしかった。

つまりこれは、危口さんが自分の体を張って、全身で「演劇」にぶつかり戸惑っている様子を見せるメタ演劇だった。危口さんの誠実さとかキュートさが感じられて、とくに、元から危口ファンなひとには堪らなかったろう。僕の後ろの兄ちゃんの笑い声、うるさかったなあ…。

3.
ただし、僕にはこの演劇あるいは危口さんが、何と戦っているのか、なぜ戦っているのか、よく分からなかった。僕にとってはこれが「悪魔のしるし」の初体験だし、「演劇との格闘」にはさして興味がないし。少なくとも共感はできなかった。
また、この「メタ演劇」には(メタ演劇なのだから当然かもしれないが)「物語の筋」がない。
結局のところ、僕は何を見たのだろう。

4.
結局のところ、僕は、この才気溢れる天才の爽快な実験作を見たのだ、と考えておくことにした。
「物語の筋」もないまま、また、メタ演劇としてのテーマに何らかの決着が付けられたようにも思われないまま、一時間ほどの演劇を構成できる演出は天才的というべきだろう。たぶん。
(「才能とはある種の欠落によって構成されている」という言葉も思い出した(僕の言葉だけど)。)

見ている最中に「才気溢れるメタ演劇」という言葉を思いついたので、危口さんは将来、作家の高橋源一郎みたいな存在になると良いのになあ、と思いました。
あと、グーニーさんみたいな存在だなあ、とも思いました。

2014-10-10

横浜STで荒木優光『 パブリックアドレス - 音場2 』(2013)

”音響上演”と銘打っている荒木優光さんの公演にとても興味を惹かれていたので、どんなものなのだろう、と思って見に行った。
「新しい形態の音作品/音の上演」として見るのが面白かろう、という結論に至った。
ーーーー¥
1.
舞台では、最初にいくつかのスピーカーが設置された後、そのスピーカーから「視覚障害者の横田さんに聴こえていたと思われる音(=バイノーラル録音したもの)」が再生される。舞台上では時々スピーカーの位置が変えられる時もあるが、基本的には、ひたすら横田さんと荒木さんの会話の録音が再生される。彼らはオオサンショウウオについて話したり鴨川の増水について話したりする。

2.
STスポットは狭いハコ(20名くらいで満員)だったので音像はクリアだったが、それでもやはりこの手の高音質録音を聴くには、暗い部屋で(ハコは明るかった)でかいスピーカーで大音量で聴くのが楽しいよなあ、あるいはヘッドフォンが一番だよなあ、と思っていたので、個人的には退屈だった。それに、音のアネクドートな性質なんか使わずに音響だけで勝負する、フランシスコ・ロペスとかクリス・ワトソンを聴きたいなあと思ったのだ。
「終わり頃に天井から降りてきて床に当たってゴツっと音をたてる、ぶら下げられたマイク」は面白かった。終演後、作家の方と話して、このマイクは「この演劇は全部記録されたものでできているから、ひとつくらいこの場で作られるものを入れよう」と思って入れたものらしい。こういう必要性を感じることは、この作品が小劇場出身であることを示しているようで面白かった。
でも、音像がぶれる高音質録音なフィールドレコーディング作品はなんか残念だなあ、とか思ってた。

3.
しかし!
終演後、知り合いの方、そして他の観客の人たち(20名くらい)には、かなり衝撃的に面白かったらしかった! みなさんは、劇場で「何も見るものがないのに何か出来事が生じていたこと」にかなり興奮し、感激していた。

そこで僕は気づいた。
僕は見方を間違えていたのだ!
これは「不自由なフィールドレコーディング」とかではなく、あくまでも「小劇場出身の、音で物語る作品」だったのだ。
だから、音像は多少ぶれていようとも、ドキュメンタリー的な要素が重要なのだし舞台にスピーカーを並べるような「その場で現前する演劇的所作」が重要なのだ。

4.
なるほどねえ。
僕は、フレームワークが違うのでまったく評価や感想が異なる、という事態を経験したのだ。フィールドレコーディング作品としてどうこうではなく、「リアルタイム性への配慮=リアルタイムに劇場で発生するものごとへの配慮」と「あくまでも物語にこだわる点」は、録音だけで勝負するフィールドレコーディングや、ホワイトキューブに展示されるサウンドインスタレーションとは異なる方向性に向かっていく「音の作品のヴァリエーション」なのだ。
そういう意味で、「新しい形態の音作品/音の上演」を開拓していくかもしれないので、今後に期待できるなあ、と思った。
例えば、これ以上大きな会場でやるとどうなるんだろう?
(まあその前に、どれくらい集客力があるだろう。)

「音に重点を置いた演劇」は、音だけの映画とかフィールドレコーディングではなく、鈴木昭男さんと恩田晃さんのライブパフォーマンスなどと比較するのも面白いのかもしれない。音のアネクドートな性質を強調するという点ではevalaなども想起される。作家本人は、リュック・フェラーリからの影響が大きい、と言っていた。




2014-10-06

中華菜館 同發新館で『セデック・バレ 』(2001)

一部と二部で合計四時間半あったけど、その「長さ」をまったく感じさせなかった(正確には、同發新館のイスで観たので、腰にキタ)。なんか、すごかった。
映画館で見れて良かった(同發新館だけど)。

日清戦争後に日本に割譲された台湾に住んでいた台湾原住民(あるいは先住民)による、1930年の抗日運動霧社事件を題材に脚色した物語で、彼らが自分たちの「掟」とか「神話」とかのために生きるお話だった。日本軍が侵略してきてから数十年は艱難辛苦の時を耐えていたが、首を狩って自分たちの狩場を守る勇者だけが祖先が住まう楽園に入ることができるのに今や若者たちはそんな機会がないので勇者になれないし、日本人の首を狩って自分たちの狩場を守ることで祖先が住まう楽園に行くぞ!というお話だった。で。
やたら人が殺し殺され続けるお話しだった。「こんなに人が死ぬことは正しいことなのだろうか?」とか「自殺って良くないのでは?」とか、いわゆる「ヒューマニズム」とか「お涙頂戴な展開」がほんの少しもないという点で、ある意味清々しくも爽快な物語だった。ひとが簡単に死ぬし、簡単に殺されるし、女子供も殺されるし。

主人公がやたら眼力の強いかっこいいおじさんだった。若い頃はTOKIOの長瀬くんを彷彿とさせて、年とった後は古谷一行を彷彿とさせた。この人は台湾現地の牧師さんでプロの俳優じゃない、というのはホントだろうか?
ライムスター宇多丸のポッドキャスト情報)(ライムスター宇多丸のシネマランキング2013! の一位らしい)

セデック・バレ - Wikipedia
セデック・バレ 第一部:太陽旗/第二部:虹の橋【通常版 2枚組】[DVD]
B00EDYK414


2014-09-30

Speaking Sculpture展@ギャラリーノマル

I've learned that Art is very expensive and that an increasing number of (visual?) artists are using sound in Kansai area.

大阪は深江橋まで初めて行った。
アートは高いこととと、関西で、音を使うアーティストが増えつつあるらしい、ということを学んだ。

藤本由紀夫さんの作品は、normalbrainの数百曲をランダム再生する、というもの。一曲一曲、たいそうな展開もないし、聞いているとかなり面白いのだけど、全曲入ったUSBが59800円だそうです。
今村源さんの≪ヒビクわたし≫がステキでした。発泡スチロールみたいなものでできた人体が逆さになって時計回りし、その身体に取り付けられた針金が床を擦り、その振動が発泡スチロールの身体を共鳴させるもの。「音を知覚するまでに至るプロセス=どこからどんな風に音が発せられているかに気付いて再確認するプロセス」に発見の面白さがあるし、音が発生するメカニズムが分かった後も、微かな音に耳をそばだてるのは面白い。
名和晃平さんの作品は、顔のところに取り付けられたスピーカーから聞こえるかどうかの微妙な音量で、外国語の会話が再生される、という作品。自宅に置くならこういうのが良いのかな?
中原晃平さんの作品は、石とかダンボールとか画用紙にデタラメな平仮名を書き付けた作品。ある種の「原始のことば」みたいなものの表現を狙ったのかもしれないけど、自宅に置けるものじゃないなあ。

ギャラリーノマルは25周年だそうです。
オーナーはスピーカー作ったり版画工房したりもしてるそうです。
男前でした。

参考までに、と思って、今村さんの作品の値段を聞いたのだけど、まあ、アニキが一昨日買ったばかりのレクサスよりは安い値段だったけど、でも、どんなひとが買うのだろう?と思った。
買うひとはけっこういるんだろうけど、僕は今まで、アートを買う人に会ったことがないなあ。
僕には手が出ないし。
アートってなんで高いんだろう。
Why can Art be so expensive? 




2014-09-23

山下残『そこに書いてある』@青山スパイラルホール

| 山下残 | zan yamashita:
日本ろう者劇団による合唱がサイコーに素晴らしかった。
しかしまあ、確かに、野村誠さんと匂いが似ている
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DANCE NEW AIR » そこに書いてある:
”京都を拠点に活動する山下残の代表作のひとつ『そこに書いてある』が発表から12年の歳月を経て、やっと東京に初お目見えする。2002年の伊丹アイホールでの発表から、京都、ブリュッセル、イスタンブールを経て、今回は、昨年ソウルにて発表された韓国を代表するアン・エスン・ダンスカンパニーとの再創作の上演だ。舞台は、観客に渡された一冊の本に従って進む。本の中には、単語、ことばの連なり、図解、棒線で描かれた絵などが書いてあり、それらは舞台上のダンサーたちへのコマンドでもある。ページをめくる毎に楽しさと意外性にみちた世界が現れ、観客を言葉とイメージの世界に誘う。「言葉」と「身体」の問題にこだわり続ける山下にしか作れない必見作品。(久野敦子/公益財団法人セゾン文化財団プログラムディレクター)”
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山下残『そこに書いてある』を見た。感想はまた後で記すとして、とても良いコンテンポラリーダンスでした。 で、最後に、べえが歌ってた! 引越しの歌を歌ってた。暮らしと夢は続いていくのだ。
いいね (1)  コメント (0) 2014年09月23日 17:09:16

2014-09-21

中華菜館同發新館で侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督『童年往事 時の流れ 』(1985)

同發新館で映画を見た。

何も起こらないなあ、と思いながら見ていたのだけど、最後の三分間で傑作になった。
第二次世界大戦後の台湾の一家族のお話なのだけど、劇的な物語はまったくなくて、日常が淡々と過ぎ、父も母も祖母も亡くなったりしていく。小学生だった主人公の「あは」は大学受験の年齢になる。「あらすじ」ってこれくらいかもしれん。
あまりに何も起こらないので途中何度か眠りそうになったけど、「20世紀中頃の台湾の庶民生活の描写」に対する興味で見ていたら、最後の三分間で大変感動した。途中、祖母と散歩するエピソードがあって、何のことか分からなかったのだけど、そういうことだったのか、と。

激動の第二次世界大戦後の台湾史にほとんどまったく言及していないよなあ。
高校の歴史って、第二次世界大戦後のことはあまりやらないと思うので、高校で世界史か日本史やったくらいでは、この映画の歴史的背景は理解できないのではなかろうか。
僕もまだよう分からんし。

童年往事 時の流れ - Wikipedia:


夜、目が覚めた。
時間が経つと、個々のシーンがとくに脈絡もなく脳裏に浮かんでくるようになった。
これは本当に傑作だったようだ。
主人公の一家は、仕事で先に台湾に渡った父から「台湾には水道もあるぞ」と言われて台湾に移住した(それが理由じゃないけど)。
家庭の中でアハがひとりになる瞬間、水道が効果的に使われていた。
父が死んだ夜に水道で体を洗っていると母親が大声で泣き叫び始める、とか、夢精をして夜中に水道で下着を洗った後寝床に戻ろうとした時に母親が泣きながら手紙を書いていることに気づく、とか。他にもいくつか水道を使うシーンがあった気がする。

2014-09-20

『スズキユウリ ”Playing with Sound”』@ポーラミュージアム

肩書きが「サウンドアーティスト/デザイナー」なのは何なんだろうと思っていたが、確かにデザイナーだ。「アーティストとデザイナーの違い」とは何か、とか考えそうになったが、すぐに辞めた。
ウェブサイトにはもっと色々あるけど、今回の展示は一室だけ。もっと大規模に見られると迫力あるだろうなあ。
http://yurisuzuki.com

大量生産してオモチャとして販売すべきだと思う。KORGのCLIPHITみたいな感じだが。
http://sothis.blog.so-net.ne.jp/2014-09-04-1
これ、これを使う人の側で、出音の音色調節などができないと面白くないよなあ。

イントナルモーリをテーマに作られたと思われるオブジェの正体がよく分からなかった。

2014-09-15

倉内太『ペーパードライブ』

ペーパードライブ
倉内太
B00LE5UGTU


ぐるぐる回る@埼玉スタジアム2002で、CHECK YOUR MOM(倉内太+柴田聡子)を見て、なんとも良いなあ、と思ったのだった。
その後けっこう何度も聴き続けている。
良いアルバム。

分かる人が限定されるけど、とても器用ななあちゃん(永江孝志)、みたいな感じがする。三輪くん(三輪二郎)も思い出す。
まあ、なあちゃんは不器用だから良いのだし、三輪くんは三輪くんだからカッコイイのだが。
なあちゃんも最近久しぶりに弾き語りのライブをしたらしいし、べえと一緒に横浜でライブして欲しいものである。
(誰が客に来るかは不明。)

[宣伝]9/15(月)に三沢洋紀と岡林ロックンロールセンターで「ぐるぐる回る2014」に出演します。


僕らは5番目のless than TVステージで1525-1550に出演予定。
でかいところから小さいところまでステージによって色々違うらしい。 →〈ぐるぐる回る 2014〉が2014年9月15日に開催決定!! 会場下見に同行しちゃいました!! - OTOTOY
たんげん君に会えるかな。姿形も名前も(種族も)変わってしまったようだが。
ともあれ、埼玉スタジアム2002ってどうやって行くのが賢いのだろうか。

ウェブサイト:ぐるぐる回る2014 - 2014年9月15日(月・祝)埼玉スタジアム2002
Facebookページ:ぐるぐる回る2012 ←「2012」だけど、このページで正しいはず。

2014-09-14

[宣伝]9/14(日)にパーカッション・サウンドシフト4というイベントに参加します。


場所は六本木super delux
数十人以上の打楽器奏者とかドラマーとかミュージシャンが交代で演奏し続ける、というコンセプトのイベント(だと思います)。
さて、僕は何しようかな。
新聞紙叩いても聞こえないだろうし。
他の人みんな、うまそうだなあ。

ウェブサイト:Percussion Sound Shift - パーカッションサウンドシフト
Facebookページ:Percussion Sound/Shift 4

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9/14(日) • Sunday, September 14

Percussion Sound/shuft 4
パーカッション・サウンドシフト4

Sound/Shiftのコンセプトは、「ギャラリーの生けるインスタレーション」であり出演者が交代でプレイしながら「発展し続けるサウンドスケープ」をつくるというものである。演奏の多くが長時間にわたるものになるSound/Shiftは、100人あまりのミュージシャンが、時間をずらして出入りしながら3~5人の集団をつくり、変化し続けるアンサンブルを生み出す。

The concept of a Sound/Shift is a "living gallery installation" in which multiple performers play in shifts to produce an ever-evolving soundscape. Often performed over extended periods of time, a Sound/Shift may involve as many as a hundred musicians who play in clusters of 3 to 5, entering and exiting at staggered intervals to create an ever-changing ensemble.


秋山ジーノ/Gino Akiyama
荒井康太/Kota Arai
サム・ベネット/Samm Bennett
モリィ・バーンズ/Morry Burns
マルコス・フェルナンデス/Marcos Fernandes
モーガン・フィッシャー/Morgan Fisher
平島聡/Satoru Hirashima
ヒロイ克典/Katsunori Hiroi
石原雄治/Yuji Ishihara
北山ゆうこ/Yuko Kitayama
小林MuupyムツミMutsumi "/Muupy" Kobayashi
熊田央/Tadashi Kumada
前田紗希/Saki Maeda
門田文孝Y/asunori Monden
森もんち隆晴/Takaharu Monchi Mori
森岳之/Takeshi Mori
永井朋生/Tomoo Nagai
永田砂知子/Saxhiko Nagata
中川克志/Katsushi Nakagaswa
ノブナガケンKen Nobunaga
左方まさよ/Masayo Sakata
清水博志/Hiroshi Shimizu
武田義彦/Risa Takeda
武田理沙/Toshihiko Takeda
露木達也/Tatsuya Tsuyuki
ワッソン/Wasson

Super Deluxe * スーパーデラックス
東京都港区西麻布3-1-25B1F • 03.5412.0515
https://www.super-deluxe.com/room/3726/
17:00 open & start • adv. ¥1500 / door ¥2000

2014-09-09

『フィオナ・タン まなざしの詩学』@東京都写真美術館

http://www.syabi.com/contents/exhibition/movie-2341.html



1.
『興味深い時代を生きますように(May You Live In Interesting Times)』という映像作品があるらしいという前知識だけで、『フィオナ・タン まなざしの詩学』を見た。この中国の呪いのことわざ(と言われるけど実は20世紀半ばにアメリカ人が創造したと思われる言葉)が、翻訳中の本にあったので。
その程度の動機で行ったけど、面白かった。現実に対する新鮮な視線を提供してくれる映像作品群だった。
僕らの普段の物見方はけっこう凝り固まっている。実際に人間を正面像で見ることはほとんどないのに、正面像の写真記録が「ふつー」だと思う。そんな「常識」をこそげ落として、しかし「こそげ落としたから出てくるホンモノの唯一正しい何か」を提示するのではなく、ちょっと違う角度からの物事の見方をシンプルなやり方で提示する、そんな作品たちだった。この喩えはどうかとも思うけど、ちょっと古くなったゴボウの皮をもう一度綺麗にこそげ落として、それを使って、シンプルで美味しいサラダに仕立てあげる、みたいなひとだった。
あと、今やっている展覧会を最後に(9月23日まで)、東京都写真美術館は二年間の休館期間に入るらしい。あそこに行く以外に恵比寿に行くことなんか、ないだろうなあ。

展覧会カタログには「安全な立脚点を持たない旅人の目線で世界と向き合うことを選んだ」(57)という言葉があった。このカタログは、展覧会の作品を再録したものではなく、フィオナ・タンを解読する色々なキーワードとその解説1200字(何文字かは知らないけど)、みたいな用語集だった。展覧会の作品の情報がきちんと収録されていないのは困ったなあと思ったけど、良いカタログだったな。

2.
『興味深い時代を生きますように』(1997)は、インドシナ華僑の父とオーストラリアの母との間に生まれたフィオナ・タンが、世界中に散らばって生きているタン一族に会って話して、最終的には、中国の田舎にある、村人全員がタンさんという父の祖先の村にまでいく、というドキュメンタリー。
フィオナ・タンの両親は、最初はインドシナで結婚して生活していたが、『アクト・オブ・キリング』で描かれたようなインドシナの政変――とはいえ結局まだ見れてないのだけど――の後、政治的な問題などがあって生活するのが難しくなって来たので、オランダの華僑のもとに身を寄せる。
ややこしくてたぶん正確に理解していないのだけど、フィオナには、インドネシア、オーストラリア、オランダ、香港、中国にいとこやオジオバがいるらしい。で、それぞれが、自分のことをオランダ人だと思ったり世界市民だと思ったり中国人だと思ったり華僑だと思ったりしているらしい。
で、フィオナは、彼らと会って話をして、自分のアイデンティティとかフルサトとかに思いを馳せるわけである。もちろん、最終的に「本当の故郷、とか、確定した自分のアイデンティティ」を見つけ出すわけではなく、「そういうものを求めたけど、見つからなかった、ただ、この旅の途上で出会った人びとの姿が胸に焼き付いている」みたいな終わり方をする。

3.
こうまとめると、なんだそりゃ?とも思うが、僕は爽快だった。
最後に辿り着く中国の田舎の村は、ワン・ビン(王兵)監督の『無言歌』とか『三姉妹 雲南省の子』などに出て来るみたいな村なので、そりゃオランダみたいな西洋近代社会で生活してきた人間なら「私はこの村では暮らせない」っていう結論になるよなあ、と思った。「ルーツ」と「ふるさと」は別物なので、あらゆる生命のルーツは海にあるけど、起源から遠く離れて生きてきた我々はもはや海中では生きていけないように、「ルーツ」が常に暮らしやすいわけない。
何らかのホンモノの「アイデンティティ」とか「ふるさと」を捏造して何かある種の物語に仕立てあげる素振りもみせずに、こういう当たり前な(に見える)視線を提示してみる、ってのが、爽快だった。「私はなに、どこからきた?」みたいな、もしかしたら普遍的なのかもしれない問いに対して真正面から答えようとして、その問いには答えられないことを「明快に示す作業」を見て、爽快だった。こういうのがこの作家の特質なのだろうか。この作家は、こういうある種のシンプルさが素晴らしいのかな。

4.
ただ、このドキュメンタリーが『興味深い時代を生きますように(May You Live In Interesting Times)』というタイトルになっている理由はイマイチ分からなかった。いちおう、インドネシアの虐殺が自分の家族が世界中に散らばった原因なので、タン一族がこのことわざの「You」ってことなのかな? つまり、タン一族は、誰かに「興味深い時代を生きますように(May You Live In Interesting Times)」という呪いの言葉をかけられたのだ、という意味か。
ただ、ぼくはこの諺が呪いを意味するということがよく分からない。この諺の反語的なニュアンスがよく分からず、むしろ「興味深くも楽しい人生を送りなさい」というお祝いの言葉として使うこともできるんじゃないかなあ、と思ったりする。だとするとこのタイトルは、「タン一族は興味深くも楽しい人生を送っているぞ」という自慢のタイトルなのかなあ、と思ったりもする。
まあ、よく分からんのだけど。

5.
他の映像作品もそれぞれ骨があって面白かったな。
マルコポーロの言葉の朗読と、その朗読とほぼ無関係に東南アジアの映像が続く作品とか、ひとつの部屋のなかで六種類の質感の映像を同時に見せるインスタレーションとか、面白かった。ビデオカメラ、8mm, 16m, 35mm, HDD、あともうひとつ何か、あわせて6種類の映像メディアで博物館の収蔵品を映し出し、6つの画面をひとつの壁に投影するインスタレーションなのだけど、そういう古いものには色々な時間層が積み重なっているという基本的な事実を、「古いもの」にあまり関心のない僕にも教えてくれる。
などなど

ただし、音がだせえ、とおもった。リズムなしで弦楽器の不協和音を数秒出すだけ、なのだが、なんともテンプレな効果音にしか聞こえない。
誰か音をいじってくれるひと、いなかったのか?
最後にそれを思いました。


2014-09-07

DVDでAlvin Luciers『No Ideas but in Things』(2013)


おそらく、 《独奏者のための音楽(Music for Solo Performer)》(1965)、《私は部屋の中に座っている(I'm sitting in the Room)》(1969) 、《細長いワイヤーの音楽(Music on a Long Thin Wire)》(1977)の3作が飛び抜けて有名なアルヴィン・ルシエのDVD。冒頭の鉛筆で事物の音を使うパフォーマンス?が、とても素敵。
2011年に撮影された素材で構成されたドキュメンタリーのようで、撮影場所のほとんどが北欧で、最後にウェスリアン大学の映像が少し入る。ルシエが半生を振り返るとか、作家としてのルシエ像に迫るとかではないけど、「自然の音響現象を聴き手に知覚させる」とまとめられるだろうルシエの作品の特徴――"make it available to people to hear"というフレーズや、最後のルシエの"no ideas but in things"という言い方が象徴的――がよく分かる見せ方で、面白かった。《朽人に寄り添う鳥(Bird and Person Dyning)》(1975)(この邦題、なんか違うのではなかろうか)――マイクとスピーカーのフィードバック現象を利用し、マイクを持ったパフォーマーがスピーカーの間をうろつ(き、フィードバック音が鳥の鳴き声のような音を出す場所を目指してうろつ)くパフォーマンス(2018年4月4日追記:昨日のルシエ来日公演でこの理解が間違えていることを知った。佐藤実さんや大城真さんに教えてもらったがうまく咀嚼できていないのだが、もっと知覚のメカニズムを面白く使っている作品だった。)――とか《パノラマ(Panorama)》(1993)――どこかの山脈のパノラマ写真を元にその稜線を音のカタチに変換した作品――がどういう作品か分かって面白かった。
邦題は『事物の中以外に観念なし』(正確だけど、なんかニュアンスが違う気がする。『事物のなかにこそ秘密がある』とか? これはこれで違うか)。

ボーナス映像によると、アルヴィン・ルシエは2031年まで生きるつもりらしいし、墓石には「composer」と書いておいて欲しいそうです。また、自分は「実験音楽家」ではないそうです。
僕はデヴィッド・バーマン(David Behrman)のファンなのだけど、2011年のデヴィッド・バーマンが話している映像を見たところ、とても元気そうだったので、日本に来てくれないものかなあ、と思いました(デヴィッド・バーン(David Byrne)も大好き)。

これ、良いDVDだ。
イマイチ(英語が)よく分からない部分もあったし、日本語版買おうかなあ(→後に「日本語版」なんか無いことに気づきました)。
事物の中以外に観念なし ~ 作曲家アルヴィン・ルシエ (No Ideas But in Things / The composer Alvin Lucier / A film by Viola Rusche & Hauke Harder) [DVD] [輸入盤]
B00FTGY3YY

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Generative Music Workshop: Alvin Lucier "Music on a Long Thin Wire" from Generative Music Workshop on Vimeo.

これはちょっと違う。







《Nothing is Real》(1990)という作品がとてもステキだった。
ピアニストの高橋アキのために作った作品らしく、彼女が、あなたの作品はビートルズの《ストロベリー・フィールズ・フォーエバー》を思い出させる、つまり「nothing is real」というフレーズを思い出させる、と言ったらしく、なのでルシエは、その部分のメロディを使って、ピアノのボディとこのティーポットを使って、everything is realな作品を作ったらしい。

NO IDEAS BUT IN THINGS - The Composer Alvin Lucier - Nothing is Real





最初の方で《Sferics》(1981)や電磁波を聞こえるようにしてるんだ云々と説明しているところ、あるいは、《独奏者のための音楽(Music for Solo Performer)》(1965)を作るきっかけがケージをAnn Arborに呼んだ時にケージに言われたからだとか、Edmond Dewanと知り合っていたからだ云々という話は、Douglas Kahnの『Earth Sound Earth Signal: Energies and Earth Magnitude in the Arts』を読んでいたので何のことか分かったけど、読んでなかったら全部初耳のことなので、しばらく分からなかったろうなあ。

Earth Sound Earth Signal: Energies and Earth Magnitude in the Arts
Douglas Kahn
0520257553

2014-09-05

Henry Flyntは面白い。

David Grubbsの『Records Ruin the Landscape』の第一章をパラパラ読み始め(Douglas Kahnの後だと、とてもスラスラ読めるぞ!)、そこで取り上げられていたので、ubuwebでHenry Flyntを聴いていたのだけど、面白いミュージシャンだなあ、と思った。
ゲンダイオンガクとかインド音楽とかを混ぜ合わせた「スーパーハイブリッド」なフォーク・ミュージックだった。
かっこいー。
UbuWeb Sound - Henry Flynt

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David Grubbsの本は、90年代以降のレコードの再発やアーカイヴ化の流行、さらには21世紀以降のubuwebなどオンライン・ソースの浸透により、60年代の実験音楽たちの聞かれ方がどのように変化したか、ということを述べていく(あまりアカデミックな記述ではない)。で、この本では、そうして90年代に大きく位置づけが変わった代表的事例として、Henry Flyntが取り上げられている。

Henry Flyntは1990年代まで、1986年にHenry Flynt - You Are My Everlovin / Celestial Powerというカセットテープをリリースしただけで、他は『Sound and light : La Monte Young, Marian Zazeela』所収の「La Monte Young in New York, 1960--62」などの文章で知られていた。
しかし90年代以降、HFの音源がたくさん発掘されてリリースされ始める。この時期にはほかにもスミソニアン博物館が1930年前後に出していたHarry SmithのAnthlogyが再発されたり、ミニマル・ミュージックの発掘が進んだり(Tony Conrad, Four Violinsなど)、「60年代の実験音楽の聞かれ方」が変化する。さらには21世紀になるとたくさんのオンライン・アーカイヴが登場する。そのなかにHFが登場したのだ云々。

この本、かなり読みやすいけど、どうやってオチつけるのかなあ…。
最後まで読むかなあ…。

Records Ruin the Landscape
David Grubbs
0822355906






2014-08-31

8月29日−31日アートキャンプあみの

8月29-31日に「アートキャンプあみの」に参加した。
最初、京都駅で集合して網野町の宿まで連れて行ってくれるプランもあり、なんだこれは?と思っていたのだが、これは「香港から来る人用のオプション」だった。
行ってから分かったのだが、これは、香港のsoundpocktというNPO団体みたいなものと、そこに数年前から招かれていて縁(ゆかり)の深い鈴木昭男さんたちとの交流会的な性格の強いイベントだった。
なので、香港のsoundpockt関連のアーティストたちが数日前から町で滞在制作していたし、また、わざわざ香港から網野町に、10人ほどの若者たちがやって来ていた。そのために「京都駅でピックアップして宿まで案内して、3日間のスケジュールの間の移動手段も確保されたツアー」が組まれていたということらしい。かなりファミリアーな雰囲気のイベントだった。
最初はなんか場違いだなあ、ちょっと参ったなあとか思っていたのだけど、数時間経つと楽しくなってきて、結果的には、行って良かった(今月末に今度はsoundpockt主催の香港でのイベントに行く。そっちは網野ほど田舎じゃないし、けっこうオープンそう)。

神社への奉納ダンス・パフォーマンスとか、古墳で鈴木昭男さんと香港のダンサーが一緒に移動しながらパフォーマンスしたりとか、あと、旅館の二階での鈴木昭男さん、evala、sonihouseのパフォーマンスとか、網野町唯一(たぶん)のライブハウスでのライブとか、けっこう盛り沢山だった。
海岸に埋められていたChan Kiu-hong Joeの作品(海中の音を口から発する作品)と、kanabunに展示されていたFiona Leeのサウンド・インスタレーション作品が、とても良かったです。
あと、梅田哲也くんのデモクラティック楽団は、歩いている間は何のことかさっぱり分からなかったけど最後にうまいことまとめていたようにも思えて良かったのだけど、ただ、たぶん、することは翌日の懇親会時に突然決まった、寝る前のパフォーマンスが、ステキでした。


だから他に梅田哲也さんなどが招かれていたわけだし、網野町の町おこしイベントとかではないけど、こういう「何か変なこと」が好きな人がみんな手伝っていて、懇親会場では網野町唯一のカフェ(たぶん)のひとが出前でエスプレッソやコーヒーを淹れられるよう準備していたし、手打ちそばもあったし、作品展示会場のひとつはデイケアの場所だったし、「変なコト好きな神主さん」の神社でダンス・パフォーマンスしてたし、会場間の移動のために、宿泊中の旅館の大将がバスをずっと運転していた。


実際、網野町では昨年、それまで町に一台だけだったタクシーが廃業したらしく、街なかの移動が大変だった。中川夫婦は申し込むのが遅かったのでこのツアーに加われず宿も別だったので、移動が大変だった。でも、網野町のひとはみんな優しかった…! 最初、駅から宿まではバスに便乗させてもらったし、二日目は宿の人が自転車を貸してくれたし(とても快適だった)、最終日はながせさんという人が、最後のパフォーマンスが行われた神社から駅まで送ってくれたのみならず、電車の発車時刻まで少し時間があるなら近くの牧場でゆっくりしていてくださいなということで、美味しいソフトクリームを食べることが出来る場所まで連れて行ってくれたりもした! →野村牧場


◯リンク
Facebook:アートキャンプあみの
ダンサーで、あみの受け入れ側のキュレイターで、ダンス・パフォーマンスを行った宮北さんのウェブサイト:Around sound art festival 2014 ・アートキャンプあみの | Hiromi Miyakita Web
鈴木昭男さんのウェブサイト:Around sound art festival 2014 | 空っぽ「ぽんぽこりん♪」
フィオナ・リーのインスタレーション作品を展示していたkanabun:アートキャンプあみの | kanabun:

Soundpocktのウェブサイト:soundpocket
SoundpocktのFacebookページ:Soundpocket HK
2014年9月末のSoundpocket: Around Sound Art Festivalのお知らせ:randian - Soundpocket: Around Sound Art Festival

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◯海岸に埋められていた作品(海中の音を口から発する作品)
これ、どんな作品か知る前は、なんだかつまらねえ作品だなあ、と思ったのだが、口から音が出ていること、それが何であるか、を教えてもらうと、面白くなった。


kanabunに展示されていたFiona Leeのサウンド・インスタレーション作品
カフェの二階に行くと、電子音の虫の音、みたいなものがずっと聞こえるサウンド・インスタレーション。このフィオナ・リーの作品は、「天井からぶら下げたタブレットのペンと、雑誌の下に隠したタブレットとの間に生じた電磁波」と「kanabunカフェの外にぶら下げた、インディアンのドリーム・キャッチャーみたいな電磁波捕捉装置が捉えた屋外の電磁波」を音響として室内で発するというサウンド・インスタレーションだった。
なので、Christina Kubischとかに関心がある人なのかなと思ったら、自分はそういう世界の背後に隠れているものを聴くことに関心がある、最近自分の周囲の友だちのあいだではEarth Sound Earth Signalという本が話題なんだ、みたいな話を聞いた。なので、Douglas Kahnのこの本の書評を書き終えたばかりだった僕は、大変好感を持ったのであった。
名刺が「電球の音を聞いている写真」でかっこ良かった。

Fiona Lee | kanabun

梅田くんの寝る前のパフォーマンス
寝る前に少しだけパフォーマンスすることになったらしい。
「紙でレコードを再生する」というパフォーマンスなのだけど、こういうパフォーマンスは「紙でレコードから音を発することができる」というビックリだけじゃツマラナイので、そのパフォーマンスのプロセス(音を発するまでのプロセス)に少しの味付けと、そのパフォーマンスを終わらせるための味付けが必要なわけで、それがかっこよかった。「レコードに小麦粉をふりかけて、それを紙でこすりとる」という味付けを使ってた。

懇親会の会場に行かせてもらったのだけど(いっぱいひとがいた)、梅田くんと初めて話して面白かった。色々な国で活動しているアーティストの話は面白い。香港と台湾と韓国とかその他の色々な国で、音楽のシーンからもアートのシーンからも、色々な領域から声をかけてもらうひとなので、いろいろな側面からその国の音楽とかアートのシーンを見ることができるアーティストの話として、面白かった。
また、共通の知人として植野さんの話をさせてもらったのだけど、やはり、植野さんは便利で偉大な人だなあ、と思った。つうか、梅田くんって、ベアーズでパフォーマンスしてたんだねえ。


2014-08-25

DVDで『サウダージ』(2011)

原稿半分にするのは明日に回して、こいつを見た。
そりゃ何度でも映画館で見たいけど、行けねえんだよ。DVDで許してくれ。

田舎の街の狭さがこれでもかというくらい描かれているのを見るたびに、和歌山のこと思い出す。僕にとっては『サイタマノラッパー』と同じ時期に知った、「田舎モノ映画」の傑作である。
そうじゃなくても傑作だと思う。男目線が強すぎるけど。


あと、この映画を見て初めて、BOØWYをカッコ良いと思って聞けるようになった。


Amazon.fr - SAUDADE de Katsuya Tomita Avec Wesley Bandeira, Chie Kudô - VOSTF - : DVD & Blu-ray:

2014-08-21

8月17日−20日台湾、林其蔚(Lin Chiwei)、『造音翻土』、noise kitchenなど

8月17日−20日に台湾に遊びに行った。
月曜日に美術館に行こうとするという大失態を演じたにもかかわらず――僕はもともとお目当ての行き先が定休日の日にそこに行ってしまうことが多いので、念には念を入れて妻が美術館の休みの日を確認し、台湾では美術館のお休みは火曜日らしいと言ったので、それは珍しいなあと思ったけど、だったら月曜日に高雄泊で大丈夫だと思ったが、その月曜日の朝、高雄美術館に行こうとウェブサイトを確認したら、やっぱり月曜日は休みであることが判明した。とはいえ、旅行中は常に動き続けなければいけないものだという信念のもと、スケジュール通りその日は台北に向かい、翌火曜日に台北から日帰りで高雄にもう一度行ったのだった。何度でも胸に刻もう。世界的に、基本的に、美術館は月曜休館なのである!――、目的通り高雄美術館で「造音翻土-戦後台湾サウンドカルチャーの探索」を見て、林其蔚(Lin Chiwei)さんともゆっくり話して、noise kitchenも見に行けた。台北ファブラボにも行った。「台湾のあんだーぐらんどな音楽シーン」を見に行けなかったのが残念だけど、初台湾旅行はなかなかステキな観光旅行だったと言えるのではなかろうか。
ということで、以下は観光旅行的な話以外のメモ。
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林其蔚(Lin Chiwei)さんとの会話

Facebookでの記録:中川 克志 - I had an talk with Lin Chiwei last night and had a good...:
Chiweiさんも忙しかったみたいだしうまく会えるかどうか分からなかったけど、2,3時間ほど色々と話せて良かった。まず第一に、僕は彼を『超越聲音藝術-前衛主義、聲音機器、聽覺現代性』(藝術家出版社、2012年)の著者として知ったので、何らかの研究者兼アーティストではないかと思っていたのだけど、研究者とかでは全くなくて、アーティストが本業のようだった。講演とか行うこともあるけど、その際も必ず何かのパフォーマンスを行うらしい。
Chiweiさんは90年代の学生運動をきっかけにノイズ音楽を作り始め、それ以来ずっとアーティストだそうです。フランス文学を専攻して3年ほどフランスに留学したそうです。90年代はオーガナイザーとしてとても有名だったらしい。そういうことと関係があるのかどうか知らないけど、「造音翻土-戰後台灣聲響文化的探索」のキュレイターのひとり(Amy Cheng)は、Chiweiの仏文の同級生らしい。なぜか今はpaintingをしているらしい。

半月ほどたって一番残っている会話の内容は、「台湾の”聲音藝術”はsound artという意味とイコールではないし、台湾の”聲音藝術”の歴史や意義について考えるためには、その文脈(の有無)に関する考察が必要不可欠だ」、ということ。
12月末のLacking Sound Festivalに出演するかもしれないらしいので、それに行きたいなあ。

参考:

超越聲音藝術林其蔚新書發表會


超越聲音藝術林其蔚新書發表會 - 現場表演DINO



◯高雄市立美術館で「造音翻土-戰後台灣聲響文化的探索(ALTERing NATIVism -- Sound Cultures in Post-War Taiwan)」展

Facebookでの記録:中川 克志 - 高雄市立美術館で『造音翻士 Sound Cultures in Post-war Taiwan』を見て来ました。...:
今回の台湾旅行の主目的。このウェブ記事を見て知った。「造音翻土-戦後台湾サウンドカルチャーの探索(台湾在住の岩切澪さんという方のレポート)(この方、ノンさんの大学の時の同級生らしいけど、京都精華の佐藤さんとかジョンとFacebookの友だちになってる。どういうつながりなんだろう)。そんな大規模な展示ではなかったけど、「台湾の聴覚文化の歴史」の叩き台(のようなもの)としては、偏向していることもはっきり分かるし(つまり後から修正しやすいし)、20世紀以降の台湾史における聴覚文化を5つの領域に区分して紹介する面白い展示だった。この展覧会のために36ページの小冊子が制作されていたが、図録は作られていないので、展示物の詳細を後から確認することができない。
展示は5つ領域に分けられていた。

I. Governance and Gaps
:日本植民地化の「台湾音楽の発掘」について知った。黒沢隆朝という音楽学者が台湾の高砂族の音楽を調べあげたらしい。

II. Sound Excavation
:70年代にChen Da(陳達、チェン・ダー)というfolksingerが登場したらしい。

III. Alter-native Sound
:70年代、80年代とフォークソングのブームがあったらしい。90年代には社会運動に関心の強いバンドが登場したらしい。ここで展示されていた「90年代の台湾のインディーズバンド」はno waveな音が多くて僕好みだった。カッコ良かった。

IV. Alter-native Flight
:IVとVでは「いわゆる普通の音響文化」に関する記述がなくなる。
:90年代には最初のノイズ・ムーヴメントが生じた。きっかけは1990年3月16日に発生し3月22日に終結した学生運動、三月運動(Wild Lily student movement)らしい。林其蔚(Lin Chiwei)も、この学生運動で座り込んでいる時に初めて、仲間の前でノイズ・パフォーマンスをやったらしい。
:なので、林其蔚(Lin Chiwei)が仲間とやっていた零與聲音解放組織Zero and Sound Liberation Organization)や、Chiweiさんがオーガナイズした台北縣後工業藝術祭(Taipei Broken Life Festival)の映像が流れていた。なんというか、アングラ芸人とノイズ芸人がたくさん出演するビックリショー、みたいな感じだった。映像ではお客さんがものすごくたくさんいたように見えた。

V. Alter-native Art
:「90年代のノイズから今日のサウンド・アートまで、sound makersは、マーケットのメカニズムに取り込まれずに音を作るにはどうすべきか、という問題に直面することになった」らしいので、この展覧会におけるsound makersは、けっこう狭い範囲のひとのことらしい。レイヴ・パーティーのチラシなども展示されていたのだが…。
:台湾では2002年以降「sound art」という言葉を使い始めたらしい(どこで使い始めたかという言及は、なし)。
:ここではEtat Lab, Lacking Sound Festival, Kandala Communeという三つのグループと、Huang Dawang というアーティストの作品が展示されていた

この展覧会の提示する「歴史」が「偏っている」という印象を受けるのは、そもそもこの展覧会の企画の意図は、台湾の音響文化一般の目録作成や台湾のポピュラー音楽の歴史を辿ることではなく、「社会に対する知覚の中核を構成するものとして、そして、既存の秩序について考察したり抵抗したりするための文化的運動の基盤として、音を提示すること」だったかららしい。で、こういう発想は、音楽はやsound makingは社会の未来のあり方を予見する、というJ・アタリの『ノイズ』にヒントを得たものらしい。
アタリにヒントを得るとこうなるだろうということは分かるけど、「音響文化の目録作成」をしない理由と、台湾のポピュラー音楽の一部を恣意的に無視する理由が分からない。台湾のポピュラー文化の一部には言及し、その政治的・文化的・歴史的背景を説明・解釈していたのだから。
この展覧会で再構成された「歴史」は(もちろん)企画者の歴史観に制限されているものだけど、それがどれくらい制限されたものか知るために、台湾の近現代史を勉強しないとなあ、と思った。

この展覧会の主眼は、alternateなnativismを提示すること、にあるらしい。なので、5つの領域において、現在通用しているnativismなsound cultureに対するオルタナティヴを提示してみた、というのがこの展示らしい。とはいえ、台湾における「普通の音響文化」がどんなものか分からないので、「らしい」としか判断できない。
展覧会のタイトルの一部でもある「翻土」の英訳は「excavating」らしい。つまり「1 〈埋もれたもの〉を掘り出す, 掘り起こす; 〘考古〙…を発掘する. 2 〈穴など〉を掘る, 掘って作る; 〈地面など〉に穴を掘る, …を切り開く.」の動名詞。これには2つの意味があるらしく、第一にこの展覧会が台湾のsound makingの歴史を発掘していること、第二にlocal cultureを発掘することで台湾固有の新しい文化を生み出そうという意図が展覧会にあること、という意味があるらしい。その成否は僕には判断できないが、だから、音響文化の歴史の紹介と一緒に、現代のサウンド・アートの作品展示もあったのだな。あくまでも「新しいもの」を生み出すことを企図する展覧会だったのだなあ。

ということで、全般的には、展示を楽しみました。また、もっと台湾のことを知ろう、と思いました。

この展覧会の一人、Amy Cheng(Chiweiさんの同級生)さんが何人かの仲間と一緒に台湾内外の現代アーティストの個展やグループ展、トーク、イベントなどを企画するTheCube立方計劃空間という小さなアートスペースがあるらしい。次は行ってみよう。

◯noise kitchen

Facebookでの記録:中川 克志 - noise kitchenに来ました。7,8個程度のサウンドアート作品があるカフェで、楽しい場所だった。...:
20分しかいられなかったけど、楽しかった。
小さいお店だし、モッチーにしてもらった報告(I am alive.: 音を鳴らして遊べるサウンド・アート・カフェ@台北Noise Kitchenのレポート by もっちー:)でもうバッチリな気がする。

参考:
Changee 噪咖





このマスターの方が、8月にあった時はこの映像よりもう少し太っていて、セクシーキラーを彷彿とさせた。

2014-08-14

メモ:レポートで知った作品たち1

今年はこんな感じ。コンセプチュアルなものが好きという僕の好みは変わらず。
課題(授業中に触れなかった作品をとりあげること)を出したのは僕なのだが、しかしまあ、学生たちはどこでこれらの作品を見つけてくるのだろう?
去年はこれ

◯末岡一郎『曖昧な葬儀』(2004)
昭和初期の葬儀の様子を撮影したアマチュアの記録映像を発掘し、切り貼りした作品。


◯Paolo Gioli, Secondo il mio occhio di vetro, 1972
タイトルの英語訳は「According to my glass eye」。人物の顔写真を二種類(以上)使って、それらを交互に見せることで生じる映像のリズムと、打楽器の音楽のリズムとの間に連携があるような、ないような。


Jason Freeman: Grow Old
「成長する(そして何年かごには死ぬ)音楽」というコンセプト。Jason Freemanは、ジョージア工科大学の建築学部の音楽学科の准教授(だよな?)。
あまり音が面白いとも思わないけど、面白いコンセプトだなあ、と思った。もっと時間をかけて、成長して変化する音楽に付き合ったら、面白いのかも。

Alan Berliner, Everywhere at Once, 1985
この作家のコラージュ作品シリーズのひとつ。
こういう「数百数千の多種多様な映像断片をゼロ・コンマ数秒程度の長さでひたすらつないでいく映像コラージュ」って、面白いよなあ。

Everywhere At Once de Alan Berliner from Cortos Chèveres on Vimeo.


◯実験映画 「LIFE」
youtubeで「実験映画」で検索すると、これが一番に出てきたらしい。そんな探し方もアリといえばアリ。


◯寺山修司『蝶服記』(1974)
よう分からん。


◯ペーター・フィッシュリ&ダヴィッド・ヴァイス『事の次第』(1987)
有名な作品。作家がスイス人というのを初めて知った。
Peter Fischli und David Weiss, Der Lauf der Dinge (The Way Things Go), 1987


◯ラース・フォン・トリアー『ドッグヴィル』(2003年、デンマーク)
これ、実験映画つうか、演劇をそのまま記録した、みたいな映画ではなかろうか?
面白いかどうかはよく分からんけど、倉庫みたいな場所を村に見立てて物語を構築しているらしい。ニコール・キッドマンが主演らしい。

トレイラー


全編あった。スペイン語字幕だけど。


◯おまけ:今年の横浜赤レンガ倉庫のビデオ・アート展の作品レポートで、たくさんの学生が言及した作品
瀬戸桃子『PLANET A』(2008年):塩は世界になる


ファビアン・ジロー『ザ・ストレート・エッジ』(2005年):みんなでモッシュ(コアベルも似たようなことやってたなあ)


テッサ・ジョシー『プラスティックとガラス』(2009年):工場で働く


2014-08-11

[宣伝]8/11(月)に柴田聡子さんの2nd『いじわる全集』発売記念ライブin日本橋公会堂でドラム叩きます。


2014-08-01
あらたに、なつやすみバンドのミズキちゃんがpercとして加わったので、もう鬼に金棒です。
僕は「ストイック」をテーマにドラムを叩きます。


まだ練習始まってないけど、とりあえず僕は、「ストイック」をテーマにドラムを叩こう!
と、今朝、ふと決めました。
まあ分かりませんが。

詳細は柴田さんの告知も御覧ください。
柴田聡子shibatasatoko - 柴田聡子セカンドアルバム『いじわる全集』発売記念ライブ in 日本橋公会堂の詳細、お知らせします。チケット、ご予約はじまりました。

バックの三人は「Music Helps」という名前になったようです。これは、ギターの植野さんがモスバーガーがフレッシュネスバーガーでなにか食べた時に見かけた言葉だそうです。たぶん「音楽は役に立つ」って意味だと思う。
たぶん。

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トレイラー!


柴田聡子shibatasatoko
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「日本橋公会堂」で検索するとこんな画像が出てくるのだけど、ほんとにこんな場所でライブするんだろうか?






あと、そういやたしかに僕は「現代音楽研究家」です。
月曜日は、午前中に音響メディア史の授業をやって、その後5限には、一生懸命、ゲンダイオンガクと実験映画の話をしている。
ただ、「現代音楽研究家」ってあんましかっこよくないよなー。
なんて呼ばれたらかっこいいかなー。





あるいは、前にもらった告知用の文章。
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柴田聡子セカンドアルバム『いじわる全集』発売記念ライブ in 日本橋公会堂
日にち:2014年8月11日(月)
場所:日本橋公会堂(東京都中央区日本橋蛎殻町1丁目31−1)
最寄り駅
東京メトロ半蔵門線 水天宮前 6番出口 徒歩 2分
東京メトロ日比谷線 人形町 徒歩 5分
東京メトロ東西線 茅場町 4a出口 徒歩 10分
都営浅草線「人形町」駅 A3・A5番出口から徒歩7分
時間:開場 18:30 / 開演 19:30
出演:柴田聡子とMusic helps(gt.植野隆司、ba.須藤俊明、dr.中川克志)
料金:前売2500円/当日2800円
全席自由席
チケットのご購入方法:
【柴田聡子本人から、または神保町試聴室・黄金町試聴室その2にてのご購入の場合】
柴田聡子のライブ会場、または神保町試聴室・黄金町試聴室その2(喫茶・ライブ・イベントの開店時にご購入いただけます。)にて手売りチケットをご購入いただけます。本人か、試聴室スタッフにお尋ねください。当日、受付にておまけが付きます。また、当日はこの手売りチケットにある整理番号の方から先にご入場頂けます。
【インターネットにてご購入の場合】
PC用予約フォームのアドレス(http://www.confetti-web.com/detail2.php?tid=24408&)または携帯用予約フォームのアドレス(http://cnfti.com/met9137/)へアクセスして頂き、ご予約の後、セブンイレブンにて発券頂けます。
※別途発券手数料がかかります。ご了承ください。
お問い合わせ:
shibatasatoko20140811 (at) gmail.com(柴田聡子)
03-6272-5616(留守番電話の場合は折り返しご連絡致します。)
協力:試聴室
柴田聡子web;http://sbtstk.tumblr.com/

2014-08-04

DVDで相米慎二『ションベン・ライダー 』(1983)を見ている。

相米慎二のことを知ろうと思ってこれを見て、一時間ほど頑張ったのだけど、もう見てられない。物語の進行が理解できないのと、あと、セリフがきちんと聞き取れない。
目の前の部屋で発せられている声と隣の部屋で発せられている声と、近くで走っている電車の音と、すべてが同じ音量だったりする。オン/オフの音の区別、とか、そういうもの以前の話だと思う。音響処理がとっても下手くそなのではなかろうか。
相米慎二監督がこの後に素晴らしい映画を撮影するのだとして(したかどうか知らないのだけどそれなりに有名なので、きっと、したのだろう)、それに基づいて「その前兆」をこの映画に見出すことは可能だろうけど、この映画単体を見ると、学生映画の延長にしか見えない。
そろそろ再生をやめようと思う。


みなさん、べた褒めしてらっしゃる。
「相米慎二作品を見るなら、この作品から見るべきではなかった」と思っている。
ションベン・ライダー - 作品 - Yahoo!映画:

B00005QYIAションベンライダー [DVD]
ファイブエース 2001-12-05by G-Tools