2016-05-29

宇野維正『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書、2016年)


宇多田ヒカルと椎名林檎とaikoと浜崎あゆみを聴き直そうかな、と思った。
1998年はシングルからマキシへの転換点でもあった、ってのが目新しかった。
1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)
宇野維正
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2016年5月:映画研究部顧問として映画を見た今年の感想

毎年ドキドキさせやがるぜ。
https://twitter.com/ynueiken

宮崎の『愛と闘争のために』(2015)
安保法案可決の話や国会前のデモ映像と何がどう関係するのかよく分からんかった。
〈お芝居っぽいセリフ〉あるいは〈純文学っぽいセリフ〉を日常会話で話す、という面白さの効果を試しているようだ。確かに、もう海の上にだって安らぎは存在しないのかもしれないし。衝撃のラストだな。

宮崎の『日本の恋人たち』(2015)
同棲中の部屋に別の男を連れ込んだ女は、男と男と三角関係になるわけだが、ちょっと話し合った後、三人で、住んでるマンションの屋上で馬跳びしていた。
馬跳びもポエティックになり得るということだろう。
愛は一瞬だってことらしいが。

佐藤の『僕の日常は』
なんか既視感があるなあと思ったが、去年見た500日のサマーごっこのやつじゃねえか。
〈僕の日常〉は〈起床朝食便登校〉の繰り返しだが、授業で可愛い女の子と(席をひとつ隔てて)会話するようになったらすっかり良い感じに変わった、というやつ。

監督名を把握しそこねた『乙女珍道中』
映研の合宿で撮影されたものらしい。
高校三年間同級生だったハルとアキという女子の物語で、砂浜で遊びながら友人に砂を被せているうちに、友人を見失ってしまう、という驚きの展開があった。
さらに、そこに、ハルとアキが片思いしていたナツキという男がその友人を見つけてくれる、という展開もあった。
しかもそれは夢じゃない。
なにが「道中」だったのかは分からない。
女子高生の思春期は僕の想像の埒外にあるのでもう少し説明して欲しいものである。

DVDで是枝裕和『誰も知らない』(2004)

アオイホノオを見た後にこれを見たので、柳楽優弥がとても瑞々しく見えた。

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2016-05-25

くさか里樹『ヘルプマン! 認知症編(第11〜12巻) 』

認知症のひとの心の動きがとてもリアルに描かれていて、とても怖かった。こんな風に、過去の自分と現在の自分が混乱し続け、その混乱は自宅にいてもどこにいても終わりがないのかもしれない。
認知症のひとは、事実を覚えていられないことが多いけど、どんな気持ちでやり取りしたかは覚えていることが多い。それは分かってる。だからこそ色々なことは大変なのだから。
このマンガの主人公は介護士だけど、11-12の認知症編では主人公はほとんど出てこない。なので、このマンガ全体についてはあんましよく知らない。面白そうな気はする。浦沢直樹みたいな絵柄だなあ。

菅野完『日本会議の研究 』(扶桑社新書、2016年)

読了。面白かった。
社会や国民が右傾化したのではなく、1960年代の学生運動の情熱を維持して粘り強く民主的な市民運動を地道に継続してきた人々こそが自分たちの理想とする社会へと日本を変革しつつあるというプロセスの途中報告。
日本会議とその周辺の諸活動は大変地道な努力の末に影響力を持ち得ていることを示す本で、これがホントなら、その地道な努力には敬服の念を感じざるを得ない。
ただ、その動機がまったく理解できない。明治憲法復帰させて誰に何の得があるのか?

あと、そもそも、それだけかな?という疑念は残る。
やはり、社会は右傾化しており、階層化されてしまっているではないか。それはそれとして事実として、日本会議とは別物として、認めなければいけないだろう。


2016-05-22

[報告]香港のsoundpocketのヤンヤン(Yeung, Yang 楊陽)へのインタビューを発表しました。

サウンド・アート」調査の一環で2015年11月にAround Sound Art Festivalを見に行った時にsoundpocketのヤンヤンYeung, Yang  楊陽にさせてもらったインタビューをまとめて『常盤台人間文化論叢』に公表しました
インタビューの時もその後の色々なやり取りでも丁寧に応答してもらって、ヤンヤンにはとても感謝しています。
今まで何回かインタビューやインタビューの整理をやってきたので多少は慣れてるつもりだったけど、改めて、自分らのやり方がかなり乱暴なことに思い至り、反省しました。
「香港のサウンド・アート」の事情をもっと丁寧に探っていかないといけない。
今後も香港の事情は追いかけて行きたいと思います。

NAKAGAWA, Katsushi / KANEKO, Tomotaro. 2016. “Research on the Development of Sound Art in Asian Countries — Interview with Ms. Yeung, Yang (楊陽, founder and executive director of soundpocket in Hong Kong).” Faculty of Urban Innovation (Yokohama National University) edTokiwadai Journal of Human Sciences, 2: 80-91.

(『常盤台人間文化論叢』2: 80-91)

2016-05-20

DVDで『ティモシー・リアリー』(2005)

最後に首狩り族的なシーンもあるけど、それそれとして、ドキュメンタリーをおもしろく作るのはなかなか難しいのだろうなあ、と思った。
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2016-05-19

録画しておいた『花様年華』(2000、香港)

ウォン・カーウァイの映画
屋外の場面ばかりで、トニー・レオンとマギー・チャン主演の舞台劇みたいだった。
二組の夫婦が隣の部屋に越してきて、片方夫婦Aの夫がトニー・レオンで、もう片方の夫婦Bの妻がマギー・チャンで、どうやら、夫婦Aの妻と夫婦Bの夫が不倫しているらしい、ということが判明し、その後、トニー・レオンとマギー・チャンの心も揺れ動く、みたいな話。
なのだけど、夫婦Aのの妻も夫婦Bの夫も、顔も体も登場せず、声しか登場しない。
ほとんどすべてはトニー・レオンとマギー・チャンの会話劇のなかで進行する。
マギー・チャンの上司とかトニー・レオンの友だちとか、ふたり(夫婦AとB)が住んでいる下宿の女主人とか、時々ほかの登場人物も出てくるけど、物語の展開に大きく関わるわけではない。
というか、そもそも「物語の展開」はさしてない。
トニー・レオンとマギー・チャンが結局のところ不倫関係になったのかどうか、僕にはよく分からなかったし。

なので、そういう朧気な物語なので、(舞台は1960年代だけど)とっても90年代な雰囲気を感じた(2000年の映画らしいが)。
心理劇として高く評価されるのかなあ、と思った。

ぎっくり腰で療養中の僕が見る分には、ふーん、という感じでしたが。
別に、夫婦間の愛憎のもつれとかに関心はないので。
やっぱ、ほとんど室内劇ってのが残念でした。

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2016-04-23

[宣伝]音響文化研究会トーク・イベントのお知らせ #5 「見る」ための音―障害と音響技術の関わり

金子智太郎×伊藤亜紗×瀬野豪志 トーク・イベントのお知らせ
「「見る」ための音――障害と音響技術の関わり」
『聞こえくる過去』(インスクリプト)刊行記念

エジソンは録音技術を目の見えない人のための本にしようとしました。ジョナサン・スターンは『聞こえくる過去』のなかで、聴覚障害が録音技術の成りたちに深く関わっていたと考えます。今回は、音響技術が障害といかに関わってきたかをテーマにお話を伺います。ゲストは視覚障害者の世界をあざやかに描いた『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の著者、美学研究者の伊藤亜紗さんと、補聴器やオーディオ・ブックの歴史を研究されている瀬野豪志さんです。

ゲスト:伊藤亜紗(東京工業大学准教授)、瀬野豪志(蘇音 音響技術史)
日時:2016年4月23日土曜日 15:00~17:00 (14:30開場)
場所:本屋B&B 世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F
入場料:1500yen + 1 drink order

お申し込みは、本屋B&Bのサイトのこちらからお願いします。
http://bookandbeer.com/event/20160423_miruoto/

INSCRIPT 『聞こえくる過去』刊行記念トークイベント開催!
http://www.inscript.co.jp/

2016-04-02

メモ:苅谷剛彦『アメリカの大学・ニッポンの大学』

この人は東大の院からノースウェスタン大学の院に行ってPhDを取って、PhDを取って帰国して就職した後、ノースウェスタン大学で集中講義を担当したらしい(そしてその後東大の先生になって、さらに、ハーヴァードに就職した)。
僕は若い時期に留学しようとさえ思わなかったなあ…。

グローバル化時代の大学論1 - アメリカの大学・ニッポンの大学 - TA、シラバス、授業評価 (中公新書ラクレ)
グローバル化時代の大学論1 - アメリカの大学・ニッポンの大学 - TA、シラバス、授業評価 (中公新書ラクレ)苅谷 剛彦

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2016-04-01

メモ:石井光太『神の棄てた裸体』

箱根の養生園で読んだ。
今の自分とはまったく関係ない(と思う)状況の人々の報告を読むことは偽善だが、同時に、刺激でもある。

神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く (新潮文庫)
神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く (新潮文庫)石井 光太

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2016-03-15

吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書、2016年)

「文系は役に立たないかもしれないが価値がある」ではなく「文系は役に立つ」という主張を述べるために、「役に立つ」ということを、目的遂行型と価値創造型のふたつに分けて、文系は後者の意味で、そして長期的には必ず「役に立つ」ということを主張した新書。
真正面からこの問題に答えていて頼もしい。
価値創造型の「役に立つ」が具体的にどのようなものか、ということを、もっと多くの実例を上げつつ示しておいて欲しかったなあ、と思った。そしたら、僕も、文系なんか要らないと思っている人々に対して文系の有用性を話すときに、「例えば…みたいなことがあるでしょ?!」とか使えたのに。
議論の展開がいちいち具体的に論理的なのが一流の文系の学者だなあ、と思う。人文社会系、リベラルアーツ、一般教養、等々の言葉と概念の違いも明確に説明するとか、19世紀以降のいわゆる「文系の知」の根本的な問題圏域はすべて「価値(の構築プロセス)」の周辺に会ったことを丁寧に示したりとか、入試、就活、学部、学年、言語という日本の大学を守る「5つの壁」を突き破る具体的方策を提案するとか。

吉見先生のゼミのやり方の一つとして「アタック・ミー」というものがあるらしい。先行研究批判をする方法を学生に体得させるために、教師自身の論考などを学生に批判させるゼミらしい。この「論文ゼミ」もすごそうだ。日英バイリンガルで運営しているらしい。こういうゼミを運営できる大学は極めて限られている気もするが。そして、僕にこんなことできるだろうか?! 僕もこういうゼミで勉強したい。



「文系学部廃止」の衝撃 (集英社新書)
吉見 俊哉
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以下、http://www.yoshimi-lab.jp/seminar/seminar-a.html より


論文ゼミについて


1990年代末から10年以上にわたり、論文指導の一環として
「論文ゼミナール」を隔週で開催してきた。
その中から、すでに多くの社会学者、メディア研究者が巣立っている。


論文ゼミナールの基本的な進め方は以下の通り。
  1. 隔週で定期開催し、各回3時間とする。
  2. 毎回、発表者は3人。発表時間は20分以内で、1人当たりの討論は40分
  3. 使用言語は、英語または日本語。
  4. ゼミナールの目標は、より水準の高い修士論文、博士論文の完成にある。

発表にあたっての心構えは、以下の3点。
  1. 自分たちはアウトサイダーだ(インサイダーと勝負する度胸と知力をつけよう)
  2. 書くこと、話すことで考える(閉じこもらずに、不完全な自分をさらしていこう)
  3. 才能とは執念だ(でも、時には自分自身の足元を疑ってみよう)
  
論文を執筆していく上での要点は、以下の通り。
  1. 論文の基本要件
    1. 問題意識の明確化
    2. 先行研究のレビュー
    3. 分析枠組(+仮説)の構築
    4. フィールドワーク(データ収集・分析)
    5. 結論と評価
  2. 批判の論点の明確化
  3. 批判が該当する具体的記述の抽出
  4. 批判の方法的基準
    1. (実証の)妥当性の基準 → 反証データの提示
    2. (論理の)整合性の基準 → 論理的矛盾の具体的指摘
    3. (結論の)有用性の基準 → 批判者自身の価値判断基準の明示
  5. 背後仮説(Background Assumption)への理論的批判
  6. 代替的モデルの提示

2016-03-11

[宣伝]音響文化研究会トーク・イベント#4 のお知らせ

音響文化研究会第四回目、以下の要領で開催します。
どうぞよろしくお願いします。
僕も「れきおん」のサイトで予習して行きます。
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#4 過去の音と向き合う ―― 録音アーカイヴの取り組み

ゲスト 藤本草(公益財団法人日本伝統文化振興財団会長)
2016年3月11日 (金) 19:00〜21:00 MEDIASHOP(京都市中京区)入場無料

レコードが音を聴くための手段として定着してから百年以上が経ち、膨大な数の録音物が作られてきました。さまざまな分野で過去の資料のデジタル化が進められている現在、蓄積された「過去の音」とどのように向き合うかが問われています。そこで、国立国会図書館が公開している20世紀前半の録音アーカイヴ「れきおん」の構築に携わられた藤本草さんをお迎えして、同アーカイヴ設立の経緯や理念、録音アーカイヴ作りの実務上の課題などについてお話を伺います。
参考サイト: れきおん(歴史的音源) – 国立国会図書館
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2016-02-28

メモ:huluで『東京トライブ』

井上三太の漫画原作のラップ・ミュージカルということでどんなものかと期待していたのだけど、色々な意味でびっくりした。
時折ラップでセリフが話されるのだけど、それよりも、安岡力也の普通のセリフのほうが何言ってるか分からなかった。
なんともバカバカしくて良かったけど、決して、面白かったということではない。
池袋には気をつけなければいけない。


東京トライブ 投稿者 chr-7


うまいこと言うなあ。
"架空の日本を舞台に描かれた暴力映画"

2016-02-27

メモ:横浜シネマリンで映画美学校作品上映会 acy

映研の名ばかり顧問として毎年大学生の作る映画を見させてもらう機会があるのだが、それよりは断然に物語映画らしかった。楽しく見た。
ややこしい筋だったけど、いちおー理解できたし(たぶん)。

小説家志望の大学生とその恋人の話のようだった。その恋人はアイドルで、右眼と右耳が使えなくて、さらにその母親とその母親の使い走りみたいな男が出てくる。母親は主人公の大学生に、娘であるそのアイドルを題材に小説を書けと迫っているらしく、母親は昔スゴイ女優で、その男はその母親を使って映画を撮りたかった映画監督だったらしく、さらにさらに、父親がどーしたこーしたで、祖父がどーしたこーしたらしく、さらにさらにさらに、僕が数分間意識を失っていた間に、そのアイドルの双子も登場していた。最後大学生は小説を書き上げて映画化の話も来た云々というナレーションもある。映画作成初心者たちが、映画作成をめぐる物語映画をとったわけで、つまりはメタ映画だった。
のだけど、ちょっと書き出してメモしてみたけど、どう考えてもこれ、設定詰め込みすぎ。

フツーの学生映画と違って、音響処理とかはマトモで安心だった。

あと、映写開始前に、後ろにマルコスさん夫妻がいることに気付いてちょっと驚いたのだけど、撮影場所を貸してあげたからのようだ。
立派な洋館だったなあ。

メモ:のげシャーレでマツリクロッシング acy

昨年に引き続き、韓国と日本のミュージシャンたちが打楽器中心のアンサンブルで20,30分くらい演奏して始まった。その後、バクローチョーバンドの演奏と、再び韓国のミュージシャンと一緒に演奏があり、そこで第一部終了。僕はそこで引き上げさせてもらった。

観客100人くらいののげシャーレ地下の一番前に座ったので、打楽器中心のアンサンブルの迫力が目の前ですごかった。
ということに加えてさらに特筆すべきは、会場がやたらファミリー感に溢れていたこと。みんな、やたら手拍子でノリノリだし、掛け声もやたら飛ぶし、座り席なのに踊り出す人もいるし、子どもも多めだったし。
全員が出演者の個人的知り合いでもなさそうだけど、韓国語のMCに反応できる人も多かったので在日の方も多かったのだと思うけど、全員が在日のひとというわけでもなかったようなので、客層がイマイチよく分からない。
なんともほのぼのした暖かい舞台で好ましかったけど、僕にとっては必ずしもホームというわけでもないので、以下のような感想を持った。

1.打楽器中心のアンサンブルは素晴らしく力強い
2.客席の一体感とかファミリー感とかは素晴らしい
3.とはいえ、それは「内輪の盛り上がり」に過ぎないようにも見えてきたので、そろそろ、この盛り上がりを横浜市全体に広げていくために、のげシャーレを卒業して別の場所でこれをやってみて欲しい

以上、感想です。
僕もあの打楽器アンサンブルに参加してみたい。

2016-02-15

メモ:戯曲[好きにやることの喜劇(コメディー)]@blanClass


岸井大輔さんの「好きにやること」をテーマとする文章をもとに作ったらしい、3つのパフォーマンスを見た。
これはblanClassの月1セッション「アジアで上演する」というリサーチプロジェクト(?ワークショップ?)を元に書かれた文章(=戯曲)を元に作られたパフォーマンスらしく、岸井さんも、当日どんなパフォーマンスが行われることになるか知らなかったらしい。
見終えた後モヤモヤしたけど、帰ってから昨日録画しておいた『ENGEIグランドスラム』の村上ショージとジャルジャルのネタをもう一度見たら2400を回ったので、なんかまあもういいかな、と思った。
3つの感想を持った。

1.
当日配布のリーフレットに「[本戯曲は]自由な行動(芸術表現のような)は必然に回収されてしまいがちだという診断の表現なので、喜劇(コメディー)と名づけました」とあるので、これは、どのようなパフォーマンスであっても「必然」に回収されてしまうという構造なのだと判断した。一見これは、ケージのFontana Mixのように、演者に演奏用楽譜を作成させるタイプの(メタ)作品のようにも思えるけれども、それにしては、楽譜の規定とか演者に対する楽譜の強制力が緩すぎる。だから、たぶん違う。たぶんこれはあくまでも、どうやっても岸井さんの掌に回収されてしまう構造になっているのだと思う。
ということは、岸井さんという人は(なかなかハイパーなひとのようだとは思っていたのだけど、それだけではなく)なかなか器か何かが広くてアレな人なのだろう、と思った。いろんなタイプの「戯曲」を追及しているひとなんだな。で、blanClassってそういう実験のための場所なんだな。
来場者もまたこの演劇の上演者だったみたいなので、僕も今日の上演を良くするために、一生懸命、〈退屈な進行に寝てしまった観客〉とか〈退屈で緊張感の足りないパフォーマンスにイライラして、愛想よくハイタッチしてあげない観客〉を演じました。なんとも凡庸でありきたりなことをしてしまった。
「好きにやること」をやるのは難しい。

2.
blanClassってこういういろいろな実験をやるところだったらしい。TPAMでやることではないような気がする。
まあ、やったもん勝ちだとは思うけど、でも、TPAMのひとつとしてやると、内輪のひとだけではなく、TPAM的なものを期待して来る人もいると思うのだけど(僕はどっちでもない)、今日みたいな実験はかなり客層を選ぶと思う。良いか悪いかは別として
「好きにやること」をやるのは難しそうだ。

3.
blanClassから自宅まで徒歩20分弱なので歩いて帰ったところ、4,5分歩いてから、自分が全く逆方向に向かっていることに気づいた。
僕もちょっとは「好きにやること」をやれたのではないか(ぜんぜん違うかもしれないが)。

2016.2.13戯曲[好きにやることの喜劇(コメディー)]上演 | ブランクラス|blanClass
(写真はまた後で)

--------------












2016-02-14

メモ:30秒に一回みっける写真道場!!@ ハツネウィングA acy

素人参加型のイベントじゃなくて、フツーに、複数のアーティストが作品発表してた。勘違いしていた。

とすると、黄金町のチョンの間という独特のあの空間でやる意義がちょっと薄いように思った。つまり、あの狭い空間を単にパーティションを分けるためだけに使っていたので、あの空間の面白さをあまり効果的に使えてないように思った。あと、それぞれの作品のコンセプトはもう少し絞れるんじゃないだろうか。スマホが普及して爆発的に増えた〈一般人の写真〉を一年間ひたすら見せる、というコンセプトとか、高校生男子の日常を画像とインタビューで炙り出す作品とかその他の作品も、方向性はとても好みなんだが、あと2つか3つか遠くに跳ねさせられるだろう⁈と思った。
0211のイベントはまた別のモノだったのかもしれませんが、それは参加できなかったので。

2016-02-09

メモ:ジ・オブザバトリー@神奈川県民ホール

カッコ良かった。バンドやりたくなった。本を書きたくもなった。

ユエンチーワイがミキサー? あと、ギター二本とベース一本とキーボードひとつとドラムセットひとつ。ギターのひとりはドラムセットにも座る。キーボードのひともドラムセットに座ってた。あと、4人のガムランチームがいる。
17,18年前に初めて梅田でトータス見た時を思い出した。確かに楽曲の組み立て方に似てるところがあるかもしれない。ユエンチーワイはジョンマッケンタイアのような感じなのかもしれない(知らないけど)。新しいアルバム手に入れよう。

ただ、これは、ただの〈トータスの延長〉ではないのだろう、と思う。
うまく言えなくてもどかしいのだけど、たとえば、ガムランチームのリズムの組み立て方に合わせてギターのリフが控えめになっていること、とかは、けっこう本質的な違いなんじゃないかと思う。
違うかもしれんが。
とにかく、面白かった。

今回の公演はTPAMの音楽プログラムのひとつなので、終わった後、会場出た後の社交がなかなかの賑わいを見せていた。
僕は関係ないので恩田さんに感動だけ伝えて今帰り道なのだが、あいつらは、今日見たものがスゲえ面白いものだったことに気付いてないんじゃなかろうか。大きなお世話だけど、不安だ! 後ろにいたTPAMのカードを首からぶら下げていた二人組、演奏の途中からずっと喋ってたしな。ダンスは見てられるけど音楽は見てられないって、なんともマヌケな話だ。











2016-02-08

メモ:鈴木昭男(京丹後)、堀尾寛太(東京)、ビン・イドリス(バンドゥン) @BankART

なんだか今日は、鈴木昭男さんのパフォーマンスにとても感動した。
今まで何度も見てきたし今日が他の時とそんなに違うわけではないと思うけど、BankARTの広い部屋のなかを布で包んだ瓶を持って時々床に当てて音を出したり棒切れでダンボールをこすったり、そういうパフォーマンスをしている昭男さんを見ていて、この人は今までずっと、こうやって音を出して遊ぶことだけを一生懸命やってきたのだろうなあ、とか思って、感動した。
そうなのかどうかそりゃあ〈ホントのこと〉は知らないけど、ヘンな人だし、スゴイ人だなあ、と思った。
何をいまさらという感想かもしれんが。


堀尾寛太さんのパフォーマンスも、何というか、一本ピシッと筋の通ったパフォーマンスだった。
モーターでクルクル回る風船に赤や緑の光をあてたり、その風船が板(?というか、何かの円盤? あれは何と呼ぶ機械なんだろう?)に接触する音を増幅したり。暗い中で風船が摩訶不思議なホログラムみたいに見える時間帯もあったし、音がなくなっても背景で風船の影が蠢く時間帯もあったし、見ていて飽きない。
何回か見ているけど、今のところ、毎回ちょっとずつ違う。僕がそんなに頻繁に堀尾さんのパフォーマンスを見れていないからということもあるけど、毎回違うものを見ることができて、楽しい。もう少し観察を重ねていきたいと思う。

とか考えたあたりで、ふと気付いた。今日のこれは「TPAMの音楽部門」のはずだが、これ、素直に「音楽」って言って良いのか? 
そりゃもちろん、答えは〈呼び名なんかどうでも良い、面白いパフォーマンスならそれで良い〉なんだが、やはり、音を出さないパフォーマンスをも「良い音楽だ」と判断する言説構造みたいなものに、関心がある。だって、それは即ち、僕も含めて、ひとがどういうものをどういう基準で「良い音楽」と考えているか、ということの解明にもつながるはずなので。自分がある事柄をどういう基準で判断しているか、に気付く瞬間はいつもスリリングだ。

ということで、今日の三人目はインドネシアのビン・イドリスさんのパフォーマンス。ギター一本のドローンとエフェクターで重厚なサイケな世界を作り出すのだけど、音量がでかくて疲れた。で、幸い、椅子に座らずに立って眺めていたので、途中から観客席から離れて外を眺めながら聴いていた。そしたら、これはまあ、気持ち良かった。さすがBankART。けど、そういう聴き方でも構わないと思う演者かどうかは分からない。僕は集中的聴取みたいなものを要求する音楽が苦手だけど、迫力のあるパフォーマンスだったことは確かだ。
明日は、オブザバトリーというひとたちのライブを見る。
修論審査会の(審査する側としての)準備もしないといけないのだけど、楽しみだなあ。





メモ:冨士山アネット「Dance Hole」@のげシャーレ acy

ネタバレしないように曖昧に書く。
去年に引き続き楽しみだった。去年に引き続きメタダンスなテーマだったけど、去年と違って観客参加型のダンスで、一時間の間、同行した他の人たちとの間で緊張が解けたり解けなかったりした。
で、このダンスについてアレコレ言いたいならそういう仕掛けの巧拙を見るべきだと思うけど、個人的に、腰痛持ちとしてつらかったという感想だけが先走るので、あまりアレコレ言う資格がない。
同行した他の人たちに迷惑かけたりはしなかったと思うので、それは良かった。

正確には、自分が椅子から立ち上がったりする程度の動きも大変な、けっこうな腰痛持ちであることを再確認して、改めてヘコんだ。

あと、終わった後、演出の長谷川さんを初めて間近に見たのだが、男前だった。実は去年、ステージ上の姿(と髪型)だけ見て片桐仁みたいだなあとか思っていたのだが、まったく申し訳ないことである。
何の役にも立たない感想だなあ…。

2016-02-06

メモ:岡崎藝術座:イスラ!イスラ!イスラ!@ST acy

役者が全員お面を被っていて、ひとりがどこかの架空の島を表現していて、他の4人がその島の住人だったりその島への移民だったりを表現していたらしいが、セリフで説明し過ぎだし、そもそも〈擬人化〉が行われているということが劇の終わり頃まで分からなかった。こうすることで、ある文化への移民の問題やら何やらを考察できるかもしらない、という見込みがあるみたいだけど、疑問を感じる。どうだろう。他の人の意見を知りたい。

萩尾望都『メッシュ』に出てくる前衛小劇団を思い出した。
去年も同じこと思ったな。












Asian Meeting Festivalが面白かった、というメモ

アジアン・ミーティング・フェスティバル 2016

昨年に続き今年も、アジア各国で活躍してるミュージシャンを集めて日本を即興演奏してまわる、dj sniffとユエン・チーワイと大友良英が中心になってやってるAsian Meeting Festivaを見に行った。面白い音楽って色々あるけど、僕は今、この企画がとても面白い。なのでライブの後に出演者のひとりである香港から来たFionaにこの感動を伝えようとしたのだけど、うまく説明できなかったので、簡単にメモしておく。日本語でメモして考えをまとめておけば、そのうち英語でも説明できるようになるだろう。
とはいえまだうまく説明できない。

- - - - - - - - - - - - - - - 
まず大前提として、みんな、カッコ良い。ギター、サックス、打楽器、琴(みたいな楽器)、ターンテーブル、ガラス鉢、イスなど(最後のふたつ=最初のふたりは、ちょっと違う気がするが)。みんな、その楽器をカッコ良く見せる美味しいやり方をしっかり分かっているので、安心して、期待しながら即興演奏を見ていられる。変にダラダラしないし、フリージャズの真似ごとみたいなどこかで聞いたことのあるアレの再生産とかではないし、初めて会って数時間後でもしっかりとインタープレイしてくれるし(とはいやはり、何回か一緒に演奏した後のアンサンブルも見たい。たぶん毎回こなれていくのだと思う。面白そう)。
だから、即興演奏ファン(みたいなのがいるとして)にとって面白いことは間違いないと思う。でも、僕個人が面白がっている理由は、どうやら、「演奏の良し悪し」とは別の話だと思う。それは、僕が即興演奏についてあまり知らないことと、日本以外の状況をあまり知らないことが理由だと思う。
なので、以下、個人的なメモとして残しておく。
僕はAsian Meeting Festivaを見ていると以下の様なことを感じるので面白いのだけど、いやそれはなんか違うんじゃないか、とか、いやそれはなんか不勉強なんじゃないか、とかあると思うので、そういうことはまた適宜教えてください。僕も、もうちょっとシンプルにこなれた考え方をしたい。

1.
最初見ていると、ああ、NYのThe Issue Project RoomとかRouletteでやってても何の遜色もないなあ、いやそれどころかあそこらへんの演し物の中でも上級のものだなあ、と思う。

2.
そのうち、なんか違う、〈西洋的なもの〉の単純なヴァリエーションじゃない、と感じ始める。ギターのリフの展開の仕方とか、エアーサックス(というのかどうかは知らないけど。音をはっきり出さずに吹くアレ。運指の音とか息を吹き込む音とかよく聞こえるアレ)の入れるタイミングとか、女性ボーカルと男性ボーカルを重ね合わせる時のバランスの取り方とかが「なんか違う」という気になる。
あくまでもこれは「なんか違う」という「気になる」ってだけで、実は、単に〈ミュージシャンの個性の違い〉って言葉で説明しておけば良いのかもしれない。
でも、ここが面白い。
つまり、僕にとってAMFは、西洋と日本とアジアがどうしたこうしたとか考え出すきっかけになるところが、とても面白い。

3.
つまり僕は、Ensemble Asiaを見ると、いくつかの刺激を受ける。
僕は、自分がexperimental musicとかimprovisationを〈西洋的なもの〉を基準に見ていたことに気付く。つまり、自分が西洋中心主義的な視野で見ていたことに気付く。
僕は、自分が、〈アジア諸国のなかの日本〉みたいな視野を持っていなくて〈日本以外のアジアの国と西洋〉という関係性についてあまり考えていないことに気付く。いわば、〈日本と西洋〉という枠組みしかなくて日本以外の国はすべて世界、くらいの視野しか持っていないことに気付く。だから例えば〈日本以外のアジアの国で作られる、西洋由来のロックンロール〉にほとんど注意を払ってこなかったことに気付く。つまり、自分が自民族中心主義的な視野で見ていたことに気付く。
〈アジアの色々な国同士が並んでいる様子〉はなんだかとても面白いことに気付く。顔付きとかはみんななんとなく似ているし服装も使っている楽器もみんなけっこう似ているけど、出てくる音が少しずつなんとなく違うことに気付く。あるいは、何となく違うような気がする。
〈アジアの色々な国と西洋〉との力学は面白いことに気付く。
等々
こういうことに気付き、自分のものの見方を見直すきっかけになるので、面白い。で、色々と考えなから次から次へと音が移り変わっていくのを聴くわけである。こういうのはとてもエキサイティングな経験だ。

4.
この面白がり方は、日本で生まれ育って今もこれからも日本で生活していくつもりの僕だからするような面白がり方なのではないかと思う。世界中飛び回っている恩田晃さんなんかはどう思ったんだろう。あるいは、客席にけっこういた、日本在住のアジア人やヨーロッパ人にはどう見えたんだろう。あるいは、こんな面倒くさいこと考えずに、音の面白さだけを堪能したひとは、どんな感じで楽しんだのだろう。
知りたいところだ。

5.
別件のメモ。
演奏前にタクローくんに〈即興演奏家はみんな逆上がりができない〉という説を聞いた。その時はなんかイマイチ分からなかったが、ライブ見ている間になんとなく腑に落ちた。確かにみんな、バイク盗んだり校舎の窓ガラス破ったり、体育会系の不良っぽい感じではないのかもなあ、と思った。