2010-11-11

映画館で見た『玄牝(げんぴん)』

は、抜群に面白いドキュメンタリーだった。
最初は、これは、吉村医院とそこに集うカルト(森ガール率高し)を紹介するものかと思ったが、そんなケチくさいものじゃなかった。
カルトがどうこうじゃなかった。

帝王切開とか胎盤検査とか「不自然なこと」をして産んだらちゃんと子どもを愛せない、とか言いやがる時点で、このヒゲじじい(吉村医師)は許せない。帝王切開で出産したら、子どもを愛せない? 「自然」とか「普通」と言いながら、「普通じゃない存在」を(無意識的にせよ)見下す奴らは大嫌いだ。
だけど、そんなカルトな人々も出産する。映画には三回出産シーンがあって、人の中から人が出てくる出産シーンは、掛け値なしに感動的だ。出産シーンは、カルトかどうかなんか関係なく、感動的だ。弟か妹の出産シーンを見て涙する男の子が映されるのだけど、あんなに深くしかし控え目に感動している男の子がフィルムにおさめられたことはあるのだろうか?(あんまり知らないから、けっこうあるかもしれんが。)
そして気づくのだ。いつか自分の子どもが「普通」に出産されて感動するだろうと思っている自分も、「自然」で「普通」な出産を当然と思う程度には、内なるカルトを飼っていることに。自分も、この森ガールたちのカルトと、さほど変わらないことに。所詮は僕も、自分とせいぜい自分の知り合いの出産さえ上手くいけばそれで良いと思ってることに。
とはいえ、それだけではなくさらに、この監督はすげえ、と思うのだ。この映画は、我ら「普通の人」の内なるカルトを暴きつつ、しかしそんなケチくさいことは目的じゃないことに気付くのだ。
たぶんこの映画を一言でまとめると(無粋な話だが)「子どもを無事に産むために頑張ってる人々を描いている。」となると思う。一言でまとめたってその映画について分かるようになることはほとんどないと思うけど、一言でまとめられることをきちんと伝えるためにこそ、映画とか小説は作られるのではないだろうかと思う。カルトも内なるカルトも、そのための道具立てみたいなものだ。この映画は、この一言でまとめられることを、とても強力に伝えてくれる映画なのではないだろうかと思う。

ということで、とても面白かったです。デートで見る映画じゃないと思うけど、そろそろ孫ができそうな年代の人はすごく面白いのではないだろうかと想像しました。


玄牝 (2010): 映画評論家緊張日記
映画「玄牝(げんぴん)」 オフィシャルサイト


カルトの狂気を描いたホラー映画『玄牝〈げんぴん〉』 - 俺の邪悪なメモだから、こういう見方だけで終わるケチくさい映画じゃないと思う。

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