2010-11-29
2010-11-28
音源
なぜ、いま、ここで、ドイツ語で歌うのかとか、なぜ蝶ネクタイなのかとかは、もう、ただ不思議だ。
コンサート音楽とレコード音楽が違うのはもちろん、このシューベルトと、現代のヨーロッパのシューベルトと、過去のヨーロッパのシューベルトと、全て別物なんだなあ。
腹減ったなあ。
音響経験の快楽
とはいえしかし、舞台上の様々な点から電気的な増幅を介さない音が発せられるのは、面白い。
とはいえしかし、これは、音楽経験じゃない。
それに、自宅の再生環境がひどい人間の感想かもしれん。
けいはんなフィルハーモニー管弦楽団
こういうクラシックのコンサートをみるのは、何年ぶりだろう。
「オーケストラという非効率的で非経済的な楽器」は音源がいっぱいあるから楽しいなあ、とか、日本の田舎でもモーニング姿で高価な楽器で100年以上前に作ったものを再現させるなんてヨーロッパのげーじつ音楽の浸透力とか伝播力は恐ろしいなあ、とか思った。
が、慣れん音楽は寝てしまいそうだ。
memo-高木正勝
有名なのか。知らんかった。
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Takagi Masakatsu
YouTube - 高木正勝 - Girls [HD]
【インタビュー】世界を魅惑し続ける映像作家/音楽家、高木正勝が語る「表現の本質」とは (1) 音楽とは何か? という疑問から生まれた音の「原風景」への回帰 | クリエイティブ | マイコミジャーナル
memo-reminiscene / 及川潤耶 + 齋藤高晴 (CD + DVD)
reminiscence
Junya Oikawa Takahharu Saito Junya Oikawa Takaharu Saito
及川潤耶 - Oikawa Junya
よく分かんねえ。
もうけっこう簡単にデジタルに映像処理できてしまうんだから、もっと意外な映像じゃないと驚けない。
のと、今の音響再生機器はしょぼすぎるので、あんまりポイントは聞こえていないだろうなあ、と思った。
PCでMP3できく、ってのは変わらないだろうけど、まともなスピーカーとかを入手しよう、と思った。
memo-梅田哲也『しろたま』(CD + DVD)
UMEDA TETSUYA - 梅田哲也 website
20091115 梅田哲也「○(しろたま)」発売!
--------昨日の感想
と思ったら、今、コンクリ打ちっぱなし部屋で、何かのハウリングを操ってた。「和風サウンドアーティスト」というレッテルは、ただの間違いであることが分かった。
posted at 15:42:53
たぶんこういう感想は全て、梅田哲也というひとの特徴を示すものではないか。 よく知らないけど。インスタレーション作品として粋なものを作る、音楽演奏にもさんかする、何らかの意味で「日本的な」インスタレーションを作る、とか。「町家でサウンドアート」とかいう感じのイベント、似合いそう。
posted at 15:40:50
テニスコーツと共演してる映像もあった。かっこいい。
posted at 15:37:05
エイリアンを見た後だと、『リング』の一場面に見える瞬間もある。
posted at 15:36:40
何度か作品を見たことがあれば、これがどんな感じのインスタレーションの記録か、とかは分かるが、見たことないと分かりにくい。ま、インスタレーションって、そんなもんだ。
posted at 15:35:35
並行して、梅田哲也のしろたまというDVDを見てる。これが何の映像か、という基本的なデータくらい出してくれんものか、と思った。
posted at 15:33:44
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参考:梅田哲也のCD+DVD『○(しろたま)』 - みみのまばたき
:「一度でもそのパフォーマンスを観た/聴いたことがある人なら、梅田哲也が触れると、何もかもが、忘れていた自分の音をとり戻しはじめるような、幸福な錯覚がある、といってもうなづいてくれるのではないだろうか、と思います。」
:「扇風機は立派な楽器だということを、思いださせてくれるひと」
:中川:この文章は、近づき方が分からない場合はひっかかるところがあるかもしれないが、どういうコンテクストのなかで理解すればよいか分からないので、ちょっと分からない。
2010-11-27
録画していた『OK牧場の決斗』
おべんきょうした、感が強かった。
狂言回しのように物語を語るウタがあったけど、ああいうのは、西部劇では珍しくないのか? 浪花節みたいで、なんだか面白かった。
ワイアット・アープとドクが、どんなキャラクターかは分かったが、マッチョな世界観にはまったく感情移入できなかった。
なんでドクは、あのレディに優しくなかったのか、とか、なんで最後に決闘しないといけないのか、とか、色々な点でひっかかっちまう。
西部劇じゃない西部の物語として、大草原の小さな家は面白かったのだな、と思った。
あと、昨日ちょっとツイートしたように、こんな世界にヨーロッパ芸術音楽持ち込んだら、白人たちはピアノののなかをいじりたくもなるだろう、と思った。
で、黒人はブルースで、ちょっと何かがコマシになったらジャズなわけだな、と思った。
2010-11-25
上野から帰宅
東京芸大の美学研究室でお茶もらったり、武藤先生に遭遇したり、夕飯食べたり。
上野には好印象を抱いた。
デビット・ダンとかアルビン・ルシエについて、前置き説明なしに会話できるって、貴重な機会だった。良かった。
来週の発表、うまいことやっておくれやす。
蒲田で夜更かし
仕事について語ってくれた。
「日本的企業の功罪」とか、社長と平社員も「仕事をする」という点では同じ、とか。
中学も高校も大学も同じなのに、自分とはけっこう違う人間になっていて、でもやっぱり、けっこう気安い感じで接することもできる。
「みんな、立派な社会人だなあ」という感想は、本人が、これまでやってきた自分の仕事に自負心を感じている様子に対して抱いた感想なんだろう。
ひとは、二十代に苦労して、けっこう変わるものなのかもしれん、と思った。
たぶん、みんな違う感じで話すに違いない。
他の奴らはどうなってんだろう。
僕はどんな感じで話すのやら。まず聞かれんやろうしなあ。
2010-11-24
池田亮司
ジョン前田を思い出した。
これを、デジタルな時代のテクノロジカル・ランドスケープがどうたらこうたらというと、それはなんか違うだろうな、と思った。
ということで、八時まで時間潰して品川に移動。
先に品川に行くか、ホテルに行くか。
さて。
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http://www.cinra.net/news/2010/11/09/223013.php
マルタイン・エングルブレクト
これを東京都現代美術館で、掌におさまる大きさのレンガでやってた。
なかなかかーいらしー感じ。
もうひとつの企画展にて。
トランスフォーメーション展一階終了。
が、その音楽の素性は不明。
映像作品、飽きた。
映像作品は、一目では分からないので、「芸術と客体性」のフリードいうところのモダン・アートじゃないのかもしれん。
ちがうかもしれん。
どっちでもいいけど。
東京都現代美術館でトランスフォーメーション展なう。
もちろん、僕に見る目がないという可能性も高いが、それは格差商売の紋切型でもある。要注意。
よし、次。
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及川潤耶 - Oikawa Junya「ロックバンド活動後」ってなんや。
2010-11-23
今日のヌーベルバーグ-トリュフォーの『家庭』
フランソワ・トリュフォー
ドワネルものの四番目。いちおうコメディだった。
見方にちょっと慣れてきた気がする。
駅のホームにおかしな男がいるシーンがあったが、それは、前後のどんなシーンにも関連がない、とか。
「絞殺魔」呼ばわりされていた不審者は、テレビに芸人として出てたけど、それ以上は映画に登場しない、とか。
「映画本編を貫く一本の筋」のようなものは、どうやらなさそうだ、とか。
それらは、「リアリティ」をますための仕掛けなんだろうか?
(町山智浩が言うように)その方が、本当の人生に近いから?
とはいえ、映画が人生に似る必要は全くないと思うが。
2010-11-22
SUVACO
近鉄から京都タワーに向かう途中、京都駅東側改札を出た左前の高級コンビニみたいなところ。
つうか、阿闍梨餅って、東京でも横浜でも買えるらしい。
あと、札幌でも買えるらしい。
今日買う必要はないことに気付いた。
会うのは明後日なんだから、京都駅から新幹線に乗る前に買わないといけない。
確か新幹線乗る前に買えるんだよな。
しかし、気付いたら列が動き出した。
我が家のおやつ買って帰ろう。
非常口まで並んでるやん。
いいのか???
今日も阿闍梨餅を手土産に買う。
紅葉狩りの季節だからに違いない。
先週は空いてたのだが。
確かに今が紅葉まっさかりだからな。
2010-11-21
memo-デビッド・バーン:いかにして建築が音楽を進化させたか
建築が音楽を進化させた、というか、音楽は演奏されたり聴かれる状況に適したものとして作られてきたのだ、と述べている。
状況とは、教会とか、オペラ・ハウスとか、コンサート・ホールとか、車(カー・ステレオ)とか、MP3プレイヤーとか。
それはその通りなので、ミュージシャンが「普通の話」としてそういうことを述べていてくれるのは、分かりやすくて面白い。
ただ、オチがなあ…。
“歌うという喜びは変わらない”と言って終えてるような気がする。
それはたしかにそうだとは思うが、なんか他になかったのか?という気持ちになる。
2010-11-20
Office for Mac
自分用の長文ワープロソフトはWriterを使い続けるかもしれんが、ソフトはなんでも良いよな、ということでいきたいものである。
DVDで『エイリアン』
コントでネタにされるけど元ネタを知らない映画シリーズ。
今日はエイリアン。
アンドロイドが出てくる映画だったのを知らなかった。
猫を助けたせいで他の乗組員が死んでいったように見えるのは、適当に見ていたからだろうか。
映画ばっか見てるな…。
今日のヌーベルバーグ-夜霧の恋人たち
最後の最後にストーカーが一席ぶって終わる、ってのは、とても良かった。
「ああいう映画の終わり方」もあるんだな。
どう見たら良かったのかな。
場面展開の突然さとか物語る作法のちょっとした違和感(仕事を変えたこととかを、説明しないこととか)は面白かったが、それは主眼じゃないだろう。
分かりやすいインパクトのある映画しか「良い」と判断しなくなってるのかもしれんが。
それが悪いとも思わないが。
アントワーヌ・ドワネルの修行時代の軽快なコメディらしい。
なんで夜霧なんだろう。
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ヌーベルバーグとは、何なんだろう。
その本質は何か、とかじゃなく、ウィキペディアひいたら分かるようなこと知らないのだけど、今は、「数十年前のふらんすの映画」ということにしておこう、と思った。
今日のヌーベルバーグ-トリュフォーのアントワーヌとコレット
女の子に惚れて家の側に引越しまでしたのに、まともに相手にもされずにふられる、というお話だった。 白黒の短編で、オムニバスのひとつ。 映画がどうこうより、物語中に、ピエール・シェフェールに関する講演会か勉強会に出席してる場面(名前しか出てこないが)レコードを作ってる場面が出てきたのが興味深かった。 BGMは、全部クラシカルな音楽。 映画経験はすぐさま忘れそうだが、シェフェールの名前が出てくる映画として、ずっと記憶するだろう。
録画していた『アパートの鍵貸します』
スクリューボールコメディーかと思い込んでいたが、違った。
不倫する男や、不倫する上役にアパートを貸して出世する男や、睡眠薬を飲んで自殺する女などがでてきた。
いくらジャックレモンやシャーリーマクレーンが出てくるとはいえ、けっこうくらい話ではなかろうか。
最後のハッピーエンドもとってつけたような感じだし。
1950年代のNYの大企業の風景がよくでてた。
どれくらいリアルなのかは分からんが。
レヴォリューショナリーロードとかと時代設定は似てるのかな?
分からんが。
2010-11-18
DVDでゴダールの『パッション』
今日から、ぬーべるばーぐの映画を見よう、と思った。
何個か見たら、面白さとか凄さが分かるようになるに違いない。
が、初っ端から、ヌーベルバーグの映画ではなかった。
ヌーベルバーグな映画監督だったゴダールの1982年の映画だった。
手元にあるものを見てるのだから仕方ない。
幾つかのニ項対立を読みとろうと思ったら、読みとれるのだろう。
物語の有無とか、過去の巨匠の絵画作品を活人画した映画の光と影とか。
こんな感じに。
http://saudade18.exblog.jp/9628593/
とはいえ、正直、こういう映画の初心者として、よう分からんかった。
登場人物の誰が誰でどういう関係にあるか、とか、基本的な筋みたいなものとか設定とか映画のキモみたいなものからよく分からんかった。
効果音とか背景音楽とかボイスオーバーとかセリフとかが、「普通」の文法とは違うことだけに気付いた。
物語のない映画は分かりにくい。
非物語的な音楽は聞き慣れているのだが。
フルクサスの実験映像とかのほうが分かりやすい。
京都造形大の紀要に論文を書きました。
書誌情報等は3.学術論文 - Audible Cultureをご参照ください。
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今年の春に出た、近大の紀要論文(中川克志 2010 「雑誌『音楽芸術』における電子音楽をめぐる二つのレトロ・フューチャー-電子音楽とコンピュータ音楽輸入時の進歩史観の変質?」 近畿大学文芸学部(編)『文学・芸術・文化』21.2:210-236。)の続きです。
これも、1950-60年代の『音楽芸術』を調査して見つかったテーマをまとめたものです。前の論文では、「電子音楽」と「コンピュータ音楽」の受容状況を調査しましたが、この論文では、コンピュータ音楽とライブ・エレクトロニクスの受容状況を比較しました。
けっこう地味な調査論文で、ここから大きな展望を開拓するといった類の論文ではありませんが、日本の電子音楽に関心のある人(というけっこう狭い領域の人)には便利なものになったと思ってます。
この調査を通じて幾つか見いだせそうなことがあったけれど、調査は中断しています。
「狭義の電子音楽→コンピュータ音楽」という進歩史観はけっこう脆弱でほぼ同時代にそこには組み込まれないままに「アメリカの電子音楽」が認知されていたこと、あるいは、その進歩史観とは別の進歩史観として「狭義の電子音楽→ライブ・エレクトロニクス」というラインがあったわけだけど1970年の大阪万博前後に「インターメディア」という概念も登場し、「ライヴ・エレクトロニクス」との差異化を探りつつも、アカデミックでクラシカルなゲンダイオンガクとケージ的あるいはアングラなものとしての実験音楽とを区分する概念として機能し始めそうな兆候があったこと、などです。
あまり需要はないだろうけど、この調査は、そのうち再開したい。
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抜き刷りは後日らしい。
ゲラ(校正原稿)も返却してくれるらしい。
ってことは、今やってるCrossSectionsも、本体が完成したら、各執筆者に校正原稿をきちんと返さないといけないのだろうか。
でも、今までゲラが返却されたことってあったかな。
2010-11-16
【歌ってみた】じゃりン子チエ~バケツのおひさんつかまえた
すげえ似てる。
じゃりン子チエの歌は元気になるなあ。
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Amazon.co.jp: じゃりン子チエ(配信限定パッケージ): 中山千夏: MP3ダウンロード
iTunesStoreで買うのと、Amazonで買うのと、どう違うんだろう。
値段は一緒なんやなあ。
Jarinko chie OP
2010-11-15
オプションツアーなう
mp3 experimentみたいな体験中だが、BGMは、どっかのおっさんが酒に溺れて離婚した過去を語ってる。
悲しい話じゃないか。
寒い。
帽子欲しい。