アンソロジー。
Dan LanderのSound By Artistsが1990年。
21年後なのだから当たり前なのだけど、「sound art」の規定の仕方がシンプルかつ明快。
サウンド・アートとはジャンルとかムーヴメントとかいうよりもまずはメディア(「油絵」とか「水彩画」のように)だ、なのでこのアンソロジーではコンテンポラリー・アートにおける音の重要性を示すテクストを集めるのだ云々、という言い方がシンプルかつ明快。
こういう言い方はそりゃ当たり前で普通なのだけど、画期的に聞こえるのは、今まで「サウンド・アート」とか「音を使う芸術」よりも「サウンド・アートという言葉が持つ歴史的意義」に理論的関心が向けられてきすぎたからかもしれない(実際のところは、前者にも後者にも、さほど関心は向けられてこなかったかもしれないが)。
コピーライトの問題があってシェフェールのテクストは収録されていないらしい。
こういうのが日本語であると、いろいろ便利なのだが。
Kelly, Caleb, ed. 2011. Sound. Series - Documents of Contemporary Art. London: Whitechapel Gallery, and Cambridgem MA: The MIT Press
Sound (Whitechapel: Documents of Contemporary Art)
Caleb Kelly
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Caleb Kellyはこの人(Dr Caleb Kelly - About - The University of Sydney)で、Cracked Media: The Sound of Malfunctionの著者。
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Documents of Contemporary Art - Series - The MIT Press:こういうシリーズのひとつ。
2011-09-30
memo-Singuhr 1996-2006: Hoergalerie in parochial / Sound Art Gallery Berlin
Singuhr 1996-2006: Hoergalerie in parochial/ Sound Art Gallery Berlin
Carsten Seiffarth
1996年にできたベルリンのサウンド・アート・ギャラリー―singuhr-hoergalerie (Singuhr Sound Gallery):―の記録集。
Paul de MarinisのFirebirdが展示されていたギャラリー。Firebirdの映像を見たとき、穴蔵みたいなところで展示したんだなあ、と思ったが、そのうち、いくつかのサウンド・アートが同じようなところで展示されている写真を見かけるようになって、その場所が判明した。そのうち行くこと。
付属DVDには音声が収録されているが映像は収録されていない。
どうやってiTunesに入れれば良いのか分からない。
Seiffarth, Carsten, und Markus Steffens eds. 2011. Singuhr 1996-2006: Hoergalerie in parochial / Sound Art Gallery Berlin. Har/DVD. Berlin: Kehrer Verlag Heidelberg.
この本は、サウンド・アートのパイオニアの二人として、Maryanne AmacherとTerry Foxに捧げられている。
Carsten Seiffarth
1996年にできたベルリンのサウンド・アート・ギャラリー―singuhr-hoergalerie (Singuhr Sound Gallery):―の記録集。
Paul de MarinisのFirebirdが展示されていたギャラリー。Firebirdの映像を見たとき、穴蔵みたいなところで展示したんだなあ、と思ったが、そのうち、いくつかのサウンド・アートが同じようなところで展示されている写真を見かけるようになって、その場所が判明した。そのうち行くこと。
付属DVDには音声が収録されているが映像は収録されていない。
どうやってiTunesに入れれば良いのか分からない。
Seiffarth, Carsten, und Markus Steffens eds. 2011. Singuhr 1996-2006: Hoergalerie in parochial / Sound Art Gallery Berlin. Har/DVD. Berlin: Kehrer Verlag Heidelberg.
この本は、サウンド・アートのパイオニアの二人として、Maryanne AmacherとTerry Foxに捧げられている。
2011-09-29
Pierre Henry’s House of Sounds
Open publication - Free publishing
オンラインで全部読める(半分以上写真だし)。
Pierre Henry’s House of Sounds / modisti: "Pierre Henry’s House of Sounds"
2011-09-28
memo-Emerich Spielmann: Superpiano (Wien 1929)
『現代音楽キーワード事典』をパラパラめくって目に止まった項目。
Electronic Musical Instrument 1870 - 1990
1929年にドイツ人のEmerich Spielmannという人物が発明した楽器で、Superpianoというものがあったらしい。
Electronic Musical Instrumentの記述によれば、最初のサンプル・プレイバック方式シンセサイザーで、ガラスもしくはフィルムのディスクを用いてループ・サウンドを再生する楽器だったらしく、ってことは、サンプラーもしくはサンプリング・シンセサイザーの先駆的存在とされる60年代に発明されたメロトロンやチェンバリンよりも、さらに先駆的存在ってことになる。
Electronic Musical Instrumentの記述によれば、どうやら20-30年代には、オプティカル・サウンドフィルムを使ったサンプリング・キーボードが何個か作られていたようだが、あまりポピュラーなものとはならなかった、ということだろうか。
資料が少なくて分からないことが多いので、メモとして。
デヴィッド・コープ 2011 『現代音楽キーワード事典』、Cope, David. 2001. New Directions in Music. 7th edition
右の和書は左の翻訳なのでこれは「事典」じゃない。でもこれはゲンダイオンガクを概観するのに良い本。
院生の頃にちょこちょこ勉強した。
通史じゃないのでこれだけではダメだけど、基本的に何となく秘教的なゲンダイオンガクの世界を、少し解放的に眺めるのに役立ったと思う。
今ではこれだけではやっぱ狭いのだけど、これにはbiomusicの項目とかあって面白かった。
ちなみに、このMINTIAのリッチミカン味は美味しい。
現代音楽キーワード事典
デイヴィッド・コープ 石田 一志
New Directions in Music
David Cope
◯書誌情報
Cope, David. 2001. New Directions in Music. 7th edition. Illinois: Waveland Press.
デヴィッド・コープ 2011 『現代音楽キーワード事典』 石田一志・三橋圭介・瀬尾史穂(訳) 東京:春秋社。
◯ちょっとメモ
この本ではケージの使用法とは違うやり方で、「偶然性」と「不確定性」という言葉を使っている。
第五章の「不確定性」は「indeterminacy」の訳で、これで「ケージ的な作曲における偶然性」も「演奏における不確定性」も「ヨーロッパ的な偶然性」も言い表している。
ヨーロッパ的なaleatricを「偶然性」と訳したりもしているので、この本を使うときは注意。
院生の頃にちょこちょこ勉強した。
通史じゃないのでこれだけではダメだけど、基本的に何となく秘教的なゲンダイオンガクの世界を、少し解放的に眺めるのに役立ったと思う。
今ではこれだけではやっぱ狭いのだけど、これにはbiomusicの項目とかあって面白かった。
ちなみに、このMINTIAのリッチミカン味は美味しい。
現代音楽キーワード事典
デイヴィッド・コープ 石田 一志
New Directions in Music
David Cope
◯書誌情報
Cope, David. 2001. New Directions in Music. 7th edition. Illinois: Waveland Press.
デヴィッド・コープ 2011 『現代音楽キーワード事典』 石田一志・三橋圭介・瀬尾史穂(訳) 東京:春秋社。
◯ちょっとメモ
この本ではケージの使用法とは違うやり方で、「偶然性」と「不確定性」という言葉を使っている。
第五章の「不確定性」は「indeterminacy」の訳で、これで「ケージ的な作曲における偶然性」も「演奏における不確定性」も「ヨーロッパ的な偶然性」も言い表している。
ヨーロッパ的なaleatricを「偶然性」と訳したりもしているので、この本を使うときは注意。
『TOKYO NOBODY』
TOKYO NOBODY―中野正貴写真集
中野 正貴
無人の東京の光景。
朝まで東京で飲んでたりしたらこういう風景に出会うこともあるのだろうと思うが、一度見てみないとなかなか信じがたい。
無作為で撮影するという縛りがあるみたいだけど、どうやって撮ってんだろう。
ともあれ「ひとけのない都会の光景」は、それがそのまま「未来/過去の光景」に変化しても不思議じゃない気がしてくる。
というか、何年の写真でもどうでもいい気がしてくる。
何の根拠もないけど、ふとそう思った。
中野 正貴
無人の東京の光景。
朝まで東京で飲んでたりしたらこういう風景に出会うこともあるのだろうと思うが、一度見てみないとなかなか信じがたい。
無作為で撮影するという縛りがあるみたいだけど、どうやって撮ってんだろう。
ともあれ「ひとけのない都会の光景」は、それがそのまま「未来/過去の光景」に変化しても不思議じゃない気がしてくる。
というか、何年の写真でもどうでもいい気がしてくる。
何の根拠もないけど、ふとそう思った。
2011-09-26
2011-09-25
2011-09-24
2011-09-23
2011-09-18
西尾維新『不気味で素朴な囲われた世界』
不気味で素朴な囲われた世界 (講談社ノベルス)
西尾 維新 TAGRO
西岡さんが雑談中に「最近はまってる」と言ってた西尾維新を、手に入れて一年くらいして初めて読んでみたのだが、まあ、面白かった。
が、二冊目、読むかな。
マンガみたいやな、と思ったのは、「キャラ」だけで話を作ってるからで、心情描写も情景描写も「外」の世界の描写もないからだろう。
それより何よりともあれ、なぜ、あのモダンで精悍な五十代のデザイナーが、西尾維新にはまって(た)んだろう…。
西尾 維新 TAGRO
西岡さんが雑談中に「最近はまってる」と言ってた西尾維新を、手に入れて一年くらいして初めて読んでみたのだが、まあ、面白かった。
が、二冊目、読むかな。
マンガみたいやな、と思ったのは、「キャラ」だけで話を作ってるからで、心情描写も情景描写も「外」の世界の描写もないからだろう。
それより何よりともあれ、なぜ、あのモダンで精悍な五十代のデザイナーが、西尾維新にはまって(た)んだろう…。
六本木ヒルズのTOHOシネマズで『監督失格』
監督失格
クライマックス(?)というか、話題の「死体発見時の映像」は、ひたすらしょーげき的。
この場面を見て、この映画は『ザカリーに捧ぐ』みたいなオチになるのではなかろうか、と思った(つまり、最後に「親」をクローズアップして終わるのではなかろうか、と思った)。
が、違った。
最後、これは「林由美香に惚れてとりつかれたダメな男(たち)のドキュメンタリー」だったってことが分かるのである。
なるほど!と思ったところで、矢野顕子が、しあわせのばかたれー、と歌う。
この瞬間は、ちょっと良い。
終わり方が瞬間的だと『戦場でワルツを』を思い出す。
林由美香が、サッパリした好感の持てそうな人柄、というのは、とてもよく分かる。
そもそもなぜ自転車旅行したのか、は分からん。
2011-09-14
かまち潤『LPレコードの逆襲 CDは音楽の楽しみを奪った』(1991)
古本屋で見つけてパラパラチェック。CDに強い抵抗感を抱いていたアナログ・レコード愛好家の音楽評論家のことば。
もう、ロジックが古臭く破綻しているので、82年のCD登場直後かと思ったら、発行は1991年だった。90年代に入っても「CDへの抵抗感」がけっこう根強く存在していたことが分かる。
「CDはダメでレコードは良い」と主張するロジックがけっこうな屁理屈で、アナログ・レコードは社内に放置しておくと熱で曲がるけどそれはもう一度熱を加えたら元に戻るかもしれないけれどCDはちょっとでも壊れるともうダメになる0か100かの商品だ(77)とか、CDには「音が作りだす温もりや余韻、言葉ではうまく表現できないもろもろのプラス・アルファ」(107)とか。
副題からして「CDは音楽の楽しみを奪った」なわけで、新しいメディアが登場するたびにそれに対する嫌悪感とか抵抗感は、旧来のメディアに注がれてきた情熱が大きければ大きい、たくさんの情熱と共に噴出するものなんだろう。
かまち潤 1991 『LPレコードの逆襲 CDは音楽の楽しみを奪った』 μBooks 東京:毎日新聞社。
LPレコードの逆襲―CDは音楽の楽しみを奪った (ミューブックス)
かまち 潤
もう、ロジックが古臭く破綻しているので、82年のCD登場直後かと思ったら、発行は1991年だった。90年代に入っても「CDへの抵抗感」がけっこう根強く存在していたことが分かる。
「CDはダメでレコードは良い」と主張するロジックがけっこうな屁理屈で、アナログ・レコードは社内に放置しておくと熱で曲がるけどそれはもう一度熱を加えたら元に戻るかもしれないけれどCDはちょっとでも壊れるともうダメになる0か100かの商品だ(77)とか、CDには「音が作りだす温もりや余韻、言葉ではうまく表現できないもろもろのプラス・アルファ」(107)とか。
副題からして「CDは音楽の楽しみを奪った」なわけで、新しいメディアが登場するたびにそれに対する嫌悪感とか抵抗感は、旧来のメディアに注がれてきた情熱が大きければ大きい、たくさんの情熱と共に噴出するものなんだろう。
かまち潤 1991 『LPレコードの逆襲 CDは音楽の楽しみを奪った』 μBooks 東京:毎日新聞社。
LPレコードの逆襲―CDは音楽の楽しみを奪った (ミューブックス)
かまち 潤
2011-09-13
DVDで『Hear and Now』(2008)
Hear and Now
Irene Taylor Brodsky
人工蝸牛を移植することを決めた65歳の老夫婦の手術前と手術後を娘が記録したドキュメンタリー。生まれつきdeafなので音は見るか触るかしかできなかったのに65歳になってから「聴覚」を得た老夫婦の記録。
この映画を知ったきっかけは、これ。
65歳で生まれて初めて「音」を体験した夫婦 - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記:ただしポッドキャストは「コラムの花道」のポッドキャストなので、もうない。Youtubeとかニコニコ動画とかにあるかもしれないが見つからなかった。
オリバー・サックス『火星の人類学者』に出てくるらしい「外科手術で視覚を移植したところ、認知的な枠組みが出来上がっているところに視覚を移植しても”通常の視覚”は獲得できなかったので、結局その視覚を取り出すことになった、みたいな話」の聴覚版として覚えていたが、ちょっと違った。
聴覚(人工蝸牛)を移植して数日たってからしばらくは、カクテルパーティー効果が働かず(音声の選択的聴取ができなくて)ちょっとしたパニックになるというのは、覚えていたとおり。
でも、けっきょく人工蝸牛を取り出すといった劇的な事態にはならない。そもそも使いたくない場合は人工蝸牛とセットで使う補聴器みたいな機械があるので、それを使わなければ良いだけ。夫婦で少し違うけれど、ふたりは、この新しい知覚装置を、それなりに使いこなしたり、たんに使わなくなったりしたようだ。
メモをふたつ。
1.
手術直後、「いろいろな音を聞いて喜ぶ老夫婦の様子」は、とても印象的。
ベーコンを炒める音、道端の雑草を触る音、照明のスイッチを付けたり消したりする音、廊下や雪道の足音、等々。
物心ついたばかりの子どものように音を聞いて、音を聞くことだけで、喜ぶ。
2.
最後、ふたりが手をつないで歩いていくシーンは感動的。
たbんこのシーンがあったから、町山智浩はポッドキャストで紹介したんだと思う。というか、確かに地味な映画だけど、この最後のシーンがあるのだから、日本でも公開すればよかったのに。そしたらわざわざリージョン1の映画を観る必要もなかったろうに(とはいえ、主人公の老夫婦ふたりのdeaf person英語は不明瞭なので字幕が付けられているので、その分、見やすかった)。
火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)
オリヴァー サックス Oliver Sacks
Irene Taylor Brodsky
人工蝸牛を移植することを決めた65歳の老夫婦の手術前と手術後を娘が記録したドキュメンタリー。生まれつきdeafなので音は見るか触るかしかできなかったのに65歳になってから「聴覚」を得た老夫婦の記録。
この映画を知ったきっかけは、これ。
65歳で生まれて初めて「音」を体験した夫婦 - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記:ただしポッドキャストは「コラムの花道」のポッドキャストなので、もうない。Youtubeとかニコニコ動画とかにあるかもしれないが見つからなかった。
オリバー・サックス『火星の人類学者』に出てくるらしい「外科手術で視覚を移植したところ、認知的な枠組みが出来上がっているところに視覚を移植しても”通常の視覚”は獲得できなかったので、結局その視覚を取り出すことになった、みたいな話」の聴覚版として覚えていたが、ちょっと違った。
聴覚(人工蝸牛)を移植して数日たってからしばらくは、カクテルパーティー効果が働かず(音声の選択的聴取ができなくて)ちょっとしたパニックになるというのは、覚えていたとおり。
でも、けっきょく人工蝸牛を取り出すといった劇的な事態にはならない。そもそも使いたくない場合は人工蝸牛とセットで使う補聴器みたいな機械があるので、それを使わなければ良いだけ。夫婦で少し違うけれど、ふたりは、この新しい知覚装置を、それなりに使いこなしたり、たんに使わなくなったりしたようだ。
メモをふたつ。
1.
手術直後、「いろいろな音を聞いて喜ぶ老夫婦の様子」は、とても印象的。
ベーコンを炒める音、道端の雑草を触る音、照明のスイッチを付けたり消したりする音、廊下や雪道の足音、等々。
物心ついたばかりの子どものように音を聞いて、音を聞くことだけで、喜ぶ。
2.
最後、ふたりが手をつないで歩いていくシーンは感動的。
たbんこのシーンがあったから、町山智浩はポッドキャストで紹介したんだと思う。というか、確かに地味な映画だけど、この最後のシーンがあるのだから、日本でも公開すればよかったのに。そしたらわざわざリージョン1の映画を観る必要もなかったろうに(とはいえ、主人公の老夫婦ふたりのdeaf person英語は不明瞭なので字幕が付けられているので、その分、見やすかった)。
火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)
オリヴァー サックス Oliver Sacks
2011-09-12
Gordon Monahan: Seeing Sound: Sound Art, Performance and Music, 1978-2011
これもモノグラフ(しかも英独仏のtrilingual)だが、G・モナハンはウェブサイトを閉鎖していない。
Gordon Monahan - sound art, sound installations
Gordon Monahan: Seeing Sound: Sound Art, Performance and Music, 1978-2011
Linda Jansma
P.デマリニスのモノグラフと違って、DVDが付いている。以前にカナダのディストリビューターを通じてDVD-Rで売っていたものより収録作品数は増えている。
モナハンといえばSpeaker Swinging (1982)だが、僕は一度Long Aeolian Piano (1984)のシリーズを見てみたい。Aeolian Winds Over Claybank Saskatchewan (2006/2007)でも何でも良いから。
Gordon Monahan - sound art, sound installations
Gordon Monahan: Seeing Sound: Sound Art, Performance and Music, 1978-2011
Linda Jansma
P.デマリニスのモノグラフと違って、DVDが付いている。以前にカナダのディストリビューターを通じてDVD-Rで売っていたものより収録作品数は増えている。
モナハンといえばSpeaker Swinging (1982)だが、僕は一度Long Aeolian Piano (1984)のシリーズを見てみたい。Aeolian Winds Over Claybank Saskatchewan (2006/2007)でも何でも良いから。
Paul DeMarinis / Buried in Noise.
Buried in Noise
Carsten Seiffarth Paul Demarinis
DAADギャラリーのアーティスト・イン・レジデンス時の展覧会にあわせて出版したもの。
ただし内容は、今までのウェブサイトの内容をまとめたモノグラフ。この出版に合わせてウェブサイトが閉鎖されている。ウェブサイトよりは写真が増えているようだが(特に旧作は)、ウェブサイトを閉鎖するなら、このモノグラフにはDVDとか付けて欲しかった。
DeMarinis, Paul. 2011. Paul DeMarinis / Buried in Noise. Eds by Beirer, Ingrid, Carsten Seiffarth, and Sabine Himmelsbach. Bilingual edition. Berlin: Kehrer Verlag.
Carsten Seiffarth Paul Demarinis
DAADギャラリーのアーティスト・イン・レジデンス時の展覧会にあわせて出版したもの。
ただし内容は、今までのウェブサイトの内容をまとめたモノグラフ。この出版に合わせてウェブサイトが閉鎖されている。ウェブサイトよりは写真が増えているようだが(特に旧作は)、ウェブサイトを閉鎖するなら、このモノグラフにはDVDとか付けて欲しかった。
DeMarinis, Paul. 2011. Paul DeMarinis / Buried in Noise. Eds by Beirer, Ingrid, Carsten Seiffarth, and Sabine Himmelsbach. Bilingual edition. Berlin: Kehrer Verlag.
2011-09-11
DVDで『アキレスと亀』(2008)
アキレスと亀 [DVD]
「夫婦の話」だと思うけど、「モダンアート」のパロディみたいなのがいっぱい出てきて面白かった。天涯孤独になった主人公が青年時代に(柳憂怜のときに)美大に行って同級生たちと「アクションペインティング」の真似事したり、中年以降に(ビートたけしになってから)、樋口可南子と一緒にドリッピングの発展形みたいなのを試してみたり。
みんなで輪になって真ん中にいるやつにカラーボールみたいなのを投げて、真ん中にいるやつはそれをバットで打ち返す、ってのは、見た目が面白そうだ。藝祭とかでやってそうだ。
「アート」とか「芸術」にのめり込んで色々見えなくなる人はいるし、僕も他人事然として滑稽に思って笑っててはいけない立ち位置だと思う。ので、僕としては、アーティスト本人にとってアートが実体的なものじゃないわけがないことは肝に命じつつ、「受け手に対してアートとして機能するもの」は必ずしも実体的なものとは限らないこと、を肝に銘じておこう、と思ってみた。
映画としては、人が死ぬ描写や劇的な展開があっさりしているのが面白い。
物語としては、娘が可哀想過ぎる。いくらなんでも、ハッピーエンドの夫婦の物語には見えない。
→
結論もオチもシンプルで明確なのに、映画ができるというのは、これは、スゴイことなんじゃないだろうか。
アキレスと亀 インタビュー: 北野武が苦悩の果てに辿り着いた答えとは? - 映画.com: "アートはやってるだけで幸せである"
「夫婦の話」だと思うけど、「モダンアート」のパロディみたいなのがいっぱい出てきて面白かった。天涯孤独になった主人公が青年時代に(柳憂怜のときに)美大に行って同級生たちと「アクションペインティング」の真似事したり、中年以降に(ビートたけしになってから)、樋口可南子と一緒にドリッピングの発展形みたいなのを試してみたり。
みんなで輪になって真ん中にいるやつにカラーボールみたいなのを投げて、真ん中にいるやつはそれをバットで打ち返す、ってのは、見た目が面白そうだ。藝祭とかでやってそうだ。
「アート」とか「芸術」にのめり込んで色々見えなくなる人はいるし、僕も他人事然として滑稽に思って笑っててはいけない立ち位置だと思う。ので、僕としては、アーティスト本人にとってアートが実体的なものじゃないわけがないことは肝に命じつつ、「受け手に対してアートとして機能するもの」は必ずしも実体的なものとは限らないこと、を肝に銘じておこう、と思ってみた。
映画としては、人が死ぬ描写や劇的な展開があっさりしているのが面白い。
物語としては、娘が可哀想過ぎる。いくらなんでも、ハッピーエンドの夫婦の物語には見えない。
→
結論もオチもシンプルで明確なのに、映画ができるというのは、これは、スゴイことなんじゃないだろうか。
アキレスと亀 インタビュー: 北野武が苦悩の果てに辿り着いた答えとは? - 映画.com: "アートはやってるだけで幸せである"
金沢健一展 出発点としての鉄 1982-2011@川越市立美術館
あんまし数はなかったけど、人間よりは大きいくらいのサイズの鉄の立体作品があった。
音のかけらシリーズはふたつ。
親指ピアノみたいなものだから、ピッチが不均整だったのは予想通り。ただ、予想以上に残響音が長かった。
音のかけらシリーズはふたつ。
親指ピアノみたいなものだから、ピッチが不均整だったのは予想通り。ただ、予想以上に残響音が長かった。
あくまでも鉄を使う立体作家として活動しているけど、サウンドガーデンに出品した音のかけらなどがウケタんだろう、と思われました。
あれは分かりやすいし。
いつかそのうち本人にお会いできる機会もあるだろう。
鉄の作品を作るのは暑そうだなあ、とか思った。
2011-09-09
2011-09-07
2011-09-04
映画館でバンクシーのイグジットスルーザギフトショップ
なんとも後味の良い、素敵なモキュメンタリーだった。
ストリートアートの映像を撮影してたやつが、Mr.BrainWashという名前でアート番長として成り上がった、というドキュメンタリーというよりモキュメンタリー。
なのだが、もちろんそれをただ肯定するわけはなく、だからといって、たんにそんなアートワールドってつまんねえよな、とかいうだけでもなく。
ストリートアートの映像を撮影してたやつが、Mr.BrainWashという名前でアート番長として成り上がった、というドキュメンタリーというよりモキュメンタリー。
なのだが、もちろんそれをただ肯定するわけはなく、だからといって、たんにそんなアートワールドってつまんねえよな、とかいうだけでもなく。
黄金町バザール2011がはじまったばかりの黄金町でこれを見たらどう思うかな、と思ったけど、あんましアートワールドとか考えない方が面白い。
主題歌がTonight the streets are oursという曲なのだけど、この曲のように、とっても爽やかな後味。
たぶんこの爽やかな後味のなかに色々な悪意とか皮肉とかウィットが隠れてるに違いない。
でもともかく。
つまんないモノが高く売れるようになるのがアートワールド。
こんなバカバカしいことが起こるってのは、それはそれで面白えことだ。
生成音楽ワークショップのサウンド・インスタレーション:エオリアン・ハープ
後期のスタジオ授業で、二回ワークショップをお願いしている生成音楽ワークショップが「黄金町バザール2011」に参加してサウンド・インスタレーションを展示しています。
杉山紘一郎さんと一緒に、エオリアン・ハープを設置しています。
関連のある人は見ておくように。
関心のある人はどうぞご覧ください。
場所はここ。
→日ノ出スタジオ (黄金町エリアマップ)と、その前の「旭橋」というところ。
本人たちのお知らせはここ。
→第4回「聴く」装置としてのエオリアン・ハープ | 生成音楽ワークショップ
生成音楽ワークショップのお二人には、後期のスタジオ授業でワークショップをしてもらいます。
11月19日(土)と12月3日(土)にしてもらいます。
授業参加者以外も参加可能なものとなるかどうかとかは未定。
詳細が決まったら連絡します。
杉山紘一郎さんと一緒に、エオリアン・ハープを設置しています。
関連のある人は見ておくように。
関心のある人はどうぞご覧ください。
場所はここ。
→日ノ出スタジオ (黄金町エリアマップ)と、その前の「旭橋」というところ。
本人たちのお知らせはここ。
→第4回「聴く」装置としてのエオリアン・ハープ | 生成音楽ワークショップ
生成音楽ワークショップのお二人には、後期のスタジオ授業でワークショップをしてもらいます。
11月19日(土)と12月3日(土)にしてもらいます。
授業参加者以外も参加可能なものとなるかどうかとかは未定。
詳細が決まったら連絡します。
2011-09-03
鈴木昭男@神奈川県立近代美術館
パフォーマンスではなくお話だったが、面白かった。
強く一貫しているひとというのは、不思議だ。音とか音楽とか聴くこととか。色んなところから音とか音の痕跡を拾い出す。
強く一貫しているひとというのは、不思議だ。音とか音楽とか聴くこととか。色んなところから音とか音の痕跡を拾い出す。
会場でようこさんに会った。元気そうで何よりでした。
鈴木昭男さんと吉村弘さんは大親友だったそうです。初めて知った。
ちょっと居残ったおかげで、イイもんも見た。
良かった。
2011-09-02
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